夫婦における「義務」とは
HSS型HSPのSophieです。
こんばんは
相方と喧嘩すると、
大抵、原因は何だったのか追及されます。
なんで、そんなことしたの?
なんで?
なんで?
なんで?
って。
そして、
どうやったら同じことを繰り返さないか
そのための手段について
解決策をさがします。
私はそれに対する答えを
いつも言えなくて、
毎回喧嘩がヒートアップします。
だって、自分の気持ちなんてすぐにかわるし覚えてないんだもの。
「あの時なんていったらよかった?」
「次からどうすればいい?」
って、聞かれても・・・
沈黙も怖いから、適当に言葉を紡いだりもするけど
次回から使える技(わざ)だと思わないでほしいな、って
そもそも、夫婦関係において
喧嘩の原因を追究することに、私は意味を見出せません。
原因とか解決策をもとめて話し合ったところで、
それらが
義務になって、
制限になって
束縛になって
どんどん窮屈な夫婦関係になっていく気がするんです。
例えば
「もっと主体的に掃除してほしい」って要望があったとします。
その解決策として曜日ごとに、
重点的に掃除するところを決めてやればいいのか、と解決策を提案。
月曜日は、洗面所
火曜日は、キッチン
水曜日は、お風呂場 ・・・・
そこから毎日、掃除していきます
そして、ふと思うのです。なんで、掃除してるんだっけ?
そうか、「彼に怒られるから、やらなくては」と。
でも、
そんな風に思わずに、
やっていくうちに楽しくなったりする場合や
自分を成長させてくれる変化もあると思います。
もちろん、それ あります!
だから、すべてを否定しているわけではありませんよ。
ただ、私は「これやって、あれやって」って言葉に意味を感じません。
人って人から言われた言葉より、
自分で気づいたことしかやらないから。
人に影響させたり、人を変えたいって思うのって
めっちゃおこがましいことだよなーって。
原因を追究するより、
なんで、彼はあのとき気分がわるくなったんだろう?
私はどうしたらよかったんだろう、
あのとき、こんな風に優しい言葉をかけてあげればよかった
これが原因かな?あってるか確認してみよ。
って、相手に答えを求めるんでなくて、
自分で答えを探しながら、
相手のことを知りたいって思う時間の方が大切だと
私は思うのです。
おわり