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分析麻痺
分析麻痺を英語で言うとAnalysis Paralysis。考えすぎて実行できなくなること。
全くもって、私はそうだ。頭の中でじっくり考え、様々なシナリオを検討し、綿密な計画を立てる。ツールも調べ、手に入れる。でも、ここまでして、硬直して身動き取れなくなる。実際の行動に移せない。
失敗が怖い。成功が怖い。人はどう思うだろうか。嫌われたら?思いのほか賞賛されたら?そんなことが頭の中をぐるぐると駆け巡る。自分の思考に翻弄された後は、実際には何もしてないのに疲れ果てる。そして逃避する。そんな不毛なことを繰り返していた。
そのことに気づいてから、何か行動を起こさなければいけないとき、何かを考えそうになったら、そこで思考をストップする。無の状態でプロジェクトに取り掛かり、機械のようにひたすら手を動かす。また考えが浮かんできても、また無の状態に戻す。そんなことを続けていると、いつの間にか、取り組んでいることが完了していたり、だいぶ進んでいたりする。ある意味マインドフルネスに似ているのかもしれない。
何事も、始めることはなかなか難しい。終えることも難しいが、まず始めなければ何も起こらない。始めてしまえば、案外難しくもなく、大変でもなく、むしろ楽しいこともある。何事も恐れずに挑戦してみると、例え上手くいかなくても気づきがあったり、学ぶことがあったりする。
そう理解していても、不安や恐れで考え過ぎに陥ることはよくある。
去年書いた短編小説を文学新人賞に応募するつもりで準備していた。でも数週間ぶりに読んでみて、本当にこれを応募していいのか躊躇した。果たして応募に見合った作品なのか。応募して一体どうするのか。本当に作品を発表する覚悟はできているのか。批判されるかもしれない。嘲笑されるかもしれない。そんなことで頭が一杯になった。
でも、書き上げた作品を応募することで、このプロジェクトがようやく完了するような気もした。作品に対するけじめというか。
そして、今週やっと、頭を無にして短編小説を新人賞宛てに郵送した。今は清々しい気持ちだ。もう自分の手を離れてしまった。自分ができることはした。
今、私にできることと言えば、新しい作品を書くことだろう。楽しんで書き、書き上げたものが気に入ったら文学賞に応募する。受賞を狙って書くのではなく、ただ心が赴くまま、書く。
書くことは思考をアウトプットする作業だ。分析麻痺にがんじがらめにされずに、自由に書き続けたい。