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香港電影鑑賞記:武影江湖『洪拳與詠春 Shaolin Martial Arts』Teach-in 講者:劉家榮、彭志銘

こちらの作品、モデレーターは Jimmy Pang 彭志銘、文化評論家として著作多数、香港電影人としてプロデューサーや副導の経験もあり、そして劉家良師傅に師事した劉家班の一員。劉家榮師傅は劉家良師傅の弟で、導演、演員。

劉家榮師傅は着席前にまず立ったまま皆さんにご挨拶。本当に謙虚な方。

彭志銘は劉家良師傅の徒弟なので劉家榮師傅を師叔と呼んでいるのだそうだ。

劉家榮師傅は冒頭から何度も何度も「香港映画の隆盛は李小龍先生が作った」と。このトークの作品は邵氏だし張徹監督の作品なので、龍哥との関連性は少ない。なのに何度も言及されるということは、心からそう考えてくださっているということだと思う。

お喋り大好きだけれど、とにかく謙虚な劉家榮師傅。

私個人の感想として、作品自体は王道の張徹的功夫片で、各シーンで何を言わんとしているか、何を表現したいのか、どういう美観を見せたいのかはよくわかるけれど、リズムや展開に少々飽きを感じた。前記事『猛龍過江』で張偉雄が功夫片の特徴の一つは「小子成長=若者の成長」ストーリーであると解説していたけれど、これはまさにそういったストーリーである。私の場合は、キャストが皆若いところに目がいってしまった。

途中でバックドロップが劉家榮の写真のバージョンに変わった。

劉家榮師傅が空手と功夫の立ち方の違いを見せてくださった。功夫の場合はつま先を真っ直ぐ前に向けるのではなく、巻き込んだ形にするとのこと。美しい前蹴りも見せてくださった。

劉家榮師傅が話してくださった内容を簡単に紹介する。
・邵氏は日本や韓国から監督を招いて様々な作品を作った(『天下第一拳』など)
・邵氏はアメリカに大きな市場を持っていたけれど、中華街の中だけであった
・功夫のパンチは腰と肩と手を結合させて打つ
・王羽と傅聲は二人ともやんちゃで喧嘩大好き野郎
・王羽は言われたことを素直に受け入れる努力家、記憶力が良い(何十手もあるアクションを全部覚えて動く、ただし周りの武師もしっかり合わせていく力があった)
・(劉家榮)姜大衛と共演した『螳螂』では一連で三十数手のアクションシーンがあったが、覚えるのが大変で、NGは5回出した
・邵氏の映画で女性主人公が剣を突くシーンに2日かかったことがある
・(劉家榮)龍虎武師は本当に大変。見た目はなんともなさそうでも病気やケガを負っていることが多い。生命保険は保険会社が加入させてくれない。怪我をしたら自費。当時の勞工處(日本でいう労基署)は龍虎武師のことはケアしてくれなかった。本当に大変だった。

観客からの質問への回答
Q:劇中で傅聲が高名な師傅の練習を盗み見して学んでいくが、功夫片を観れば功夫ができるようになるのか?
A(彭志銘):答えは簡単。功夫片を観れば功夫が出来るようになるのであれば、今この作品を観たあなたは功夫が出来るようになってますよね?
さすが彭志銘である。会場大爆笑。

Q:武指(アクション監督)は脚本通りにアクションを作っていくのか?
A:(劉家榮)家良は脚本を一度読んだらゴミ箱に捨てて、アクション・シーンは自分の好きなようにやっていた。
武指に一番必要なことは何かといえば、脚本を読みこむ力。脚本家や監督の意向を完全に把握して、それに最適なアクションを作ることが武指の仕事。

Q:良いアクション・シーンを作る為に、功夫の素養のある俳優を使うようにしていましたか?
A:(劉家榮)「武指最怕演員識功夫=武指が一番嫌がるのは、功夫の素養のある俳優」
下手に素養があると、せっかく武指がシーンに最適なアクションを構築しているのに、それに従わずに自分の思う功夫を勝手に入れてきたりする。それを避けるために素養の全く無い俳優を使うようにして、とにかく教えた動きが出来るようになるまで練習させた。

Q:アクション・シーンは手を決めずに俳優たちの実戦を撮っていくのか?
A:(彭志銘)勝手に闘っているものを撮ることは不可能。カメラやライトの位置も決めなければ撮れないし、カメラがそれを追うことも不可能。
 (劉家榮)50年代、功夫の素養のある俳優たちは手を決めずにやっていた。ある時、石堅と私の父・劉湛が「今日は手を決めずにやろう。実戦でやろう。」と示し合わせてやってみたら、結果は良いものが撮れなかった。お互いに相手の出方をみるから打ち合いにならない。功夫片だと、お互いに近付いてパンチを出す、蹴る、という手があるからアクションになる。

Q:香港映画は劉家榮師傅たちの貢献があったからこそ、こんなに世界中でヒットして受け入れられるようになったと思う。
A:(劉家榮)やはり龍哥がいてくれたからこそ、当時の観客がアクション俳優を欲してくれた。彼が亡くなってからは本当の武術家である俳優はいなくなった。なので龍虎武師からアクション俳優になった人が多かった。私自身もそういった幸運な者の一人。武術の素養があったから我々は案外容易く俳優になれた。
 (彭志銘)香港映画は功夫電影でハリウッドに進出できた。でなければこれほどまでに多くの外国の観客が功夫というものに触れ、功夫電影を受け入れることはなかった。70年代の功夫電影がこの流れを作った。香港独自の功夫電影は海外の映画では取って替わることができなかった。以前は8階からでも飛び降りるといった命知らずのアクションをやっていたから。
 (劉家榮)だから海外の映画人からは香港人はバカだな、なぜ下に段ボールなどを敷かないのかと言われた。
 (彭志銘)なぜ段ボールを敷かないかって?簡単に言うが段ボールにいくらかかると思う?8階から飛び降りるのに、100スクエアフィート分の段ボールを十層積み上げるのに段ボールがいくつ必要だと思う?すごい金額になる。

香港電影資料館電影院にて鑑賞。★★

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