私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(54)『追捕/Man Hunt』- バージョン違いの制作 -
とにかく必死で間に合わせたヴェネツィア映画祭出品。これで終わったかと思いきや、2ヶ月後にまた呼ばれた。この時はさすがに美味しいもの食べに行く時間が取れた。
再編集の為に再び食の天国へ
同じルートで同じようなミッション。まずは台北で混音=Mixing。
そしてバンコク。Color Grading もやっていたのかもしれないけれど私自身の業務はやはりセリフの調整や Lip Sync の確認、英文字幕のチェック等。
2度目の滞在にしてやっとホテルの裏庭にプールがあることを知った。しかし、プールに入れるような時間帯は当然仕事中につきリゾート満喫など夢のまた夢。結局指をくわえて眺めただけ。バンコクは仕事で来る所じゃないね、休暇で来る所だよ、って皆で寂しく意見一致。
映画祭バージョンと本公開バージョン
さて、なぜ同じことを2度もやったのか?
1度目はヴェネツィア映画祭出品に間に合わせる為にとにかく形にすることが最大の目的だったので、導演としては改善したい箇所もある程度飲み込むしかなかった。
ヴェネツィア映画祭が終わり、観客の反応を鑑み、本来的に満足していなかった部分を改善した本公開バージョン、つまり International Version 国際版を製作する為に2度目のプロセスを行ったのだった。
カットの入れ替えがあればセリフの付け替えも当然ある。そこで神ミキサーの杜哥とアシスタントがまたサクサク作業を進めてくれる。杜哥のスタジオでの作業に参加して思った。これは杜哥のスタジオに依頼したからこそヴェネツィア映画祭にも間に合ったし、この国際版もサクサク進んだのだと。
長年第一線で活躍してきた杜哥の実力は言わずもがな、吳導演とも何度も一緒に仕事をしているので吳導演の好みや言いたいことが即座に汲み取れる。仰々しいミーティングなど無しで速攻で作業にとりかかりサクサクやっちゃったんだから。さすがレジェンドな杜哥。
杜哥のスタジオは混音師=ミキサーだけでなく收音師=レコーディング係も多く抱えている。この收音師達が自分で録音してきた音なども音源アーカイブに収録して素材の充実を常に図っている。
これだけの規模のスタジオを展開し、これだけの人数を抱えて、これだけの素材をアーカイブする会社なのだから、料金は安くないはず。しかし、それだけの価値は絶対にある。思い通りの結果を出してもらうためには、制作側はやはりそれなりの費用を掛けなくてはいけないのだと心底思った。
もちろんこの費用対効果の重要さについては電影業界だけに限ったことではない。あらゆる業界に通じる。日本の製作者さん或いはクライアントさんは何でも安く済ませようとしたって思い通りの結果は出ないということを肝に銘じて頂きたい。
我々通訳者・作業者も、それなりの報酬のもらえるスキルを身に付け、不断のスキルアップを習慣付けることは言わずもがな。
様々な制約と挫折と妥協の中でのベストに近い国際版が出来上がった。
もう一つのバージョン
実は最後の最後に不穏なことが起きた。大陸版(中国本土用バージョン)である。MA社が大陸公開用に「彩蛋」を付けろと言い出したのである。エンドロール後の「NG集」みたいなアレである。
大陸の観客は「彩蛋」が無いと「なんで彩蛋が無いんだ!損した!カネ返せ!」になるから、今の大陸で公開する映画には必ず「彩蛋」を入れなければならないのだ、とその当時聞いた。
吳導演は「彩蛋」を付け加えることに同意しなかった。そりゃそうだ。導演の考えるストーリーはエンドロールまでできっちり纏められている。しかし制作会社の方針としては大陸で公開するためには必須だと考える。最後に監督がキレた。「やりたかったら勝手にやれ!ワシは知らん!」
その「彩蛋」部分とは、私もあまりの酷い内容にきっちり覚えていないが、こんな感じ・・・。どこかの森の中を自転車を押すドゥ・チウと真由美が楽しそうに歩いている。ハネムーンなのだ。二人で先だっての激動の日々を振り返る。「奴は元気にしているだろうか」とドゥ・チウが心を馳せる。「いつでも会いに来いよ」と矢村の姿。この矢村は本編で使われなかったカットの使い回し。どのシーンのカットだったか忘れたけれど、本来的には「早く来い!」みたいな激しいセリフ回しだったカットを無理やり「いつでも会いに来いよ」なんて優しい呼びかけに使っても表情が合わないっての。
この「彩蛋」には監督は全く関わらなかったので、幸運にも大陸バージョンを観る機会があった方は、この部分は John Woo作品ではない、と心して観て頂きたい。
因みに大陸公開作品は全て普通話(標準語)に吹き替えされる。大阪府警の刑事なのに標準語で喋る矢村から、英語しか話さないドーンから、とにかく全員。なんと真由美役のチー・ウェイ戚薇さえも吹き替えられていた。彼女は大陸中国人だけれど「成都訛り」があるからだそうだ。
書いているうちに思い出した。ドゥ・チウが最初の小料理屋のシーンで日本語で言うセリフがある。当初は日本人で似た声の声優を使って日本語部分だけ吹き替えることになっていたのだが、本人がどうしても自分がやりたい、俺はやれる、絶対に俺自身にやらせろ、と譲らない。大陸側のアフレコ時に私が電話で参加して日本語指導した。セリフの正しい日本語を私が教える、すぐさまそれをリピートしてアフレコする、それを聞いていた私がOKかどうか判断する、というなんとも珍しい手法で日本語セリフを録音した。
本来は通訳として参加した作品だったのだけれど、参加しているうちにアリ地獄に引きずり込まれ、通訳も翻訳も日本語指導も、果ては弾着ありの女優までやるという幅の広い内容になった。また、映画製作初参加にして、プリプロから撮影そしてポスプロと、映画製作のほぼ全行程に関わらせてもらった。こんな経験は二度と無いと思う。本当に感謝しかない。そしてこの作品は私にとって一生ものの大切な作品になったし、映画って大切なものなのだと心から感じさせてももらえた。ありがたいことです。
ここから私は香港電影人となっていく。(続)
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