私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(52)『追捕/Man Hunt』- ミキシングは台湾で -
とにかくヴェネツィア映画祭への出品というケツカッチンだったので必死のポスプロ。なんとか映画祭に出せる尺にまで切って切って切りまくった。
アフレコでは、編集がある程度確定した映像を観ながら修正したセリフの長さや Lip Sync リップシンクも調整しつつ録音する。映像を変なタイミングで切ってしまっていないか、セリフの流れがおかしくなっていないか、確認しながら作業。セリフのスピードや音の長さはミキサーさんが見事に調整してくださる。ホント凄いよ。
オフレコで実は凄いことがあったのだけれど、裏事情は公にできないので、いつかコメンタリー付き上映会でもした時にお話するとして。
混音 = ミキシング
吳導演はじめ主要クルー、そして私も。アフレコした素材を手に台北へ飛んだ。中華圏映画界のレジェンド Tu Du-Chih 杜篤之のスタジオ 3H Sound Studio へ。
杜哥は本当に凄い。ミキシング界の神。中華圏のあらゆる監督の作品を手掛けている。手がけた作品のポスターがオフィスの至る所に貼ってあり、それを観るだけでも華語電影博物館にでも来たような錯覚に陥る。全て監督や俳優達のサインが入っているので、華語電影好きにはもうたまらない。一部をお披露目。
ミキシング界のレジェンドなのだから当然といえば当然だけれど、メイン・スタジオは当然 Dolby Atmos。そんじょそこら辺の映画館より良い音響環境かもしれない。そんな贅沢なスタジオで、まず最初に一度通しで観た。アフレコの際は必要な部分しか観ていないので通しで観たのは初めて。
「導演!あんなことやこんなことがいっぱいいっぱい起きて困難山積みだったのに、よくぞここまで纏めた!この尺まで切り刻んだのによくぞ大筋のストーリーを守った!素晴らしい!よく頑張った!」
感無量。導演の力量に感動して泣きそうだった。全てをどこでどうやって撮ったか、その時に何が起きていたのか、最初にロケハンに来た時からこの時点までにどんな困難があったのか、全部知っているから。導演本人に向かってこんな偉そうなことは言えないからあくまでも私の心の中だけで。心臓をギューッと絞られたぐらい感無量だった。
映画ってこんなにも多くの人の血と汗と涙と努力といろいろな事を経て初めて出来上がるものなんだ・・・。
映画って愛おしい。映画をもっともっと大切にしたい。
しかし、一人感動に浸っている場合ではない。映画って凄い、映画って素晴らしい、なんてことはもう遠の昔からよくわかっている導演や杜哥や香港クルーや台湾スタッフは「じゃあ混音やろっか!」とそそくさと仕事を始める。アフレコの際に調整してもらったリップシンクを更に微妙に伸ばしたり縮めたりして微調整、そこへ膨大な量と種類の効果音ファイルから導演の意向に沿った効果音が選ばれ映像に合わせて作り、載せていく。
プロって凄い。やはりレジェンドの誉れに違わない。数十年録りためた効果音のサンプル量は半端ではない。銃の発砲音だってそれぞれの銃ごとに持っている。「このシーンはグロック?次のは45?」とか言いながら銃の発砲音を当てはめていく。音のサンプル一覧は冊子になっている。使い込んでボロボロになっている冊子をパラッとめくって該当番号を探す。杜哥もアシスタントも手慣れたものでサクサク進む。お見事としか言いようがない。
私は、日本語セリフや効果音の載せ間違いが無いか、リップシンクがおかしくないか等のチェックが主な業務で、撮影現場を生き抜いてきた者としてはもう本当にeasy job。しかも杜哥は本当に優しくて、毎日スープを作ってきてくれるわ、果物を剥いて私達に出してくれるわ、『非情城市』や『牯嶺街少年殺人事件』の撮影エピソードを離してくれるわで、こんな美味しい仕事させてもらっていいんですか?とハッピーな日々。
杜哥親自下厨のスープがこちら⇓
とはいえヴェネツィア映画祭までのスケジュールがケツカッチンなので拘束時間は長い。一日の業務が終わると一応疲れている。
しかし宿泊ホテルから歩いて3分の場所には夜市があって疲れた身体も美味しい食事で癒される。本当にありがたい仕事。美味しいものの写真はまた今度ね。
ということで初めての混音過程を体験して台湾で正々堂々仕事して、とても貴重な経験を積ませて頂いたところで、次の過程の為に次の場所へ。(続)