私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(36)『追捕/Man Hunt』導演組通訳/脚本翻訳 -
導演組通訳に
そうこうするうちに私はどんどん中枢に入っていき、常に導演と副導演の傍らにいるポジションになった。いつのまにか導演組(演出部)に入っていた。
「ソフィはアクション・コーディネイターと監督の間の通訳やってね」ーー私が李小龍迷だから丁度いいと思ってくれたのか、単にこれからアクション・シーンが増えてくるから専属通訳が必要になると思ってのことなのか、いや、両方か。うってつけじゃん?望むところだ。ワクワクする。
脚本翻訳も
「そして脚本翻訳もやってほしい」ーー
当然早い時期に中文と日本語訳の暫定稿が出ていたけれど、内容が刻々と変わった。構想していたものが撮れないのだから仕方がない。例えば市街地でのカーチェイス。何か所もロケハンしたけれど、大阪市内でもダメ、府下でもダメ。となるとこのシーンが成立しない。脚本から外す。するとそれに絡む前後や他のシーンも変わる。その代わりなんらかのカーチェイス的なシーンが欲しいとなったら、あらゆる可能性を探って撮影させてくれる道路を探す。撮影可能になった場所でどんなシーンに作り直すかと脚本を練る。新しいシーンが追加される・・・。
中文の脚本が変われば日本語翻訳もその都度必要になる。日本側スタッフは変更された内容に沿って新しいロケーションを探したりあらゆる準備をするわけだから。
その翻訳を私が担当することになった。現場通訳として最初から入っていたのは二人。撮影現場付きは、大阪に住んでいたから大阪弁で喋る台湾人男子。撮影部付きは東京在住の上海人女性。二人とも超ハイクオリティ。台湾國語/普通話も日本語も見事なまでにスラスラと滑り出てくる。この二人のレベルに追いつかねば!と思わせてくれるほど素晴らしい通訳者。
そこへ私が加わったのだけれど、日本語ネイティブは私一人だけ。やはり中文の脚本を日本語に訳すとなるとネイティブの方が良い。どんな言語にしても「読む・聞く・話す」より「書く」のが断然難しい。ということで脚本翻訳は私が担当することになったというわけ。
脚本変更の流れ
撮影場所の問題や監督の新しいアイデアで脚本に変更部分が出てくる ⇒
監督の指示で香港人脚本家が脚本に変更を加える ⇒
その部分を私が日本語に訳す ⇒
日本人脚本家に流れやセリフを自然になるように練ってもらう ⇒
戻って来たものを私が中文に訳して監督に伝える ⇒
監督のお目通しでOKならそれでよし ⇒
「いや、もうちょっとこうして欲しい」となれば日本人脚本家が再修正 ⇒
また戻って来て中文に訳し直して監督のお目通し
とか
〇〇役とxx役の絡みのシーンを今ある脚本のその部分とは別に任侠映画的な雰囲気でイチから書いてみて欲しいと監督から日本人脚本家に依頼 ⇒ 出来上がったものを私が中文に翻訳して監督に伝える
とか。
監督は高倉健氏のファンであり友人であるので、この『追捕』のプロジェクトを喜んで受けた。『君よ憤怒の河を渡れ』をリスペクトしつつ John Woo 的日本映画を撮りたいということで、日本人脚本家もチームに入れていた。日本人が観て「日本人はこんな風に言わない」「日本人だったらここでこんなことしない」とならないように。日本人が観ても自然に受け入れられるような流れやセリフ回しにしたいという配慮から。
出演者もほとんどが日本人俳優で日本語のセリフなので、日本人が聞いて自然なセリフでなくてはならない。
監督本人から詳しく聞いて意図を理解した私が監督の意図に最大限に沿った日本語にして日本人脚本家に回す ⇒
日本人脚本家は映画全体の雰囲気や流れから最適なセリフ回しに直す ⇒ それが監督の意図から外れていないかチェックして監督に伝える
という作業がこれまた毎日発生する。
プロの脚本家
日本人脚本家もベテランの方なので、「なるほど、そうくるか」というセリフ回しをひねり出してくださる。私の翻訳は監督の意図に忠実すぎてありきたりなセリフにしかならないが、やはりプロの脚本家は凄い。そのシーンだけのセリフを考えるのではなく、その人物の設定とそこまでの経緯まで鑑みて、この人はこんな風に生きてきたのだからこのシーンではこう考えてこういう言葉がでるんじゃないか、とまで練ってセリフにする。
監督自身もまた脚本もずっと書いてきた人なので、あらゆるところに込められるだけのウィットや中国語ならではの面白みを忍ばせる。これを日本語に翻訳した時に潰してしまうのは勿体ないので、ここはこう訳しているけれど実は監督の意図としてはこういうウィットを込めていて、それを潰さないセリフが欲しいです、などとお願いして日本人脚本家と一緒に頭をひねってみたりもした。
脚本を先に固めて役作りをしたい日本の俳優陣
このように脚本がくるくる変わって固まらないのが日本人の俳優達にはしんどいらしい。「日本の俳優は、事前に決定稿をもらって、それを読み込んで役作りをしてから撮影に臨むんですよ。だからせめて撮影の1週間前には決定稿を出してもらわないと困るんだよね。」と大物俳優からクレームが入る。
プロの俳優としてしっかり準備しておきたい気持ちはよくわかるしリスペクトもするけれど、状況が状況だけに脚本が固まらないのは仕方がないとしか言いようがない。
通訳として間に挟まっている私は、俳優陣から脚本の催促で怒られ、上に書いたような煩雑な脚本翻訳の手続きに追い立てられ、ストレスフルである。しかし、毎回「さすが John Woo 」と思わせられるものが監督から出てくるので、これだけでも間に挟まれるストレスを乗り越えられるのですよ。(続)