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電影鑑賞記『往村莊的路 A Road to A Village』(2024)

おひとりさま聖誕節だったので映画三昧にすることに。久々に非港產片を3本。

1本目は『往村莊的路 A Road to A Village』。ネパール映画だということ以外の情報無し状態で鑑賞。このポスターの絵柄に惹かれたのよね。

実は私、『那山、那人、那狗(邦題:山の郵便配達)』(1999) とか初期の張藝謀作品『紅高粱』(1988)、『菊豆』(1990)、『秋菊打官司』(1992)とかの山奥の小さな村で起きる物語が好き。多分、自分で直接経験できない生活への憧れみたいなものが私の中にあるのだと思う。本作のポスターに惹かれたのはそれ故だと思う。

ストーリーを大まかに紹介しておく。竹細工職人マイラは竹製品を売って生計を立てているが時代の流れから新しいものに取って代わられだんだん売れなくなっていく。生活苦から妻マイリもついつい夫にきつく当たってしまう。やんちゃ坊主ビンドレは小学生、パパのことが大好き。国外へ出稼ぎに行って戻って来た男が村に初めてのTVを持って帰ってくる。ビンドレはTVが欲しくて欲しくてたまらない。借金で首の回らないマイラは酒を造って売ることを村長に勧められ街へ出て売るが、違法だとして逮捕される。金を工面するためにマイラとマイリは村の畑仕事を手伝ってなんとかやりくりする。あれこれ事件を経て、マイラはやはり自分は竹細工を創ることが好きなのだと気付き、街でインスピレーションを得た色付きの竹細工を作り街へ売りにいく。なかなか売れず数日間街に留まり、ある程度売れたところで村へ帰ろうとする。なかなか帰ってこない父を迎えに行こうと思いつき、ビンドレはバスを止めようとするが・・・。

当然ながら字幕は中文と英文。ネパール語が全くわからないので中文字幕に頼るしかない。中文字幕は日本語字幕のように1秒当たり4文字といった字数制限が無いのでセリフの分を全て字幕に起こす。固有名詞も音を当てて中文化してしまうので、固有名詞部分でひっかかって読み取りが遅くなり、ハッキリ言って字幕全部は読み切れない。とはいえ、漢字は表意文字なので英語字幕を読むよりは私にはわかりやすいので、広東語できて良かったよ、と思うわけである。

「細かい繋がりや前後まできっちり考えて練りこんだストーリー」ではないせいなのか、私がその土地の生活習慣を知らないからなのか、それどういうこと?な場面がちょくちょく出てくる。例えば、TVが欲し過ぎるビンドレがTVを売っているかどうか街に確認に行くシーン。街へ行くバスに制服のままですんなり乗ってしまうのだが、バス代は?払ってないよね?無料?マイラもバスに乗る時にバス代払った画が無いな。どういうこと?となる。

そういった細かい部分は映画本編のおおらかさとして置いておく。

本作のような村が今の時代にもまだあるのだろうか。これは現実のままなのか、映画的フィクションなのだろうか。マイラたち一般の住民はとても貧しい。片や村長始め村の偉いさんたちや出稼ぎから帰ってきた男とその家族は服装も持ち物も裕福そうである。これは今でもある現実なのだろうか。自分の目で確かめに行ってみたいという夢は捨てきれない。

主演3人の苗字 (Rai) が同じなので、この3人は実際に家族なのだろうか。父マイラ役の役者はちょっと素人っぽさの残る演技である。もしかして素人なのではないかとさえ思ってしまう。一方、妻マイリの役者はとても自然な芝居をする。夫や息子を叱る時、手を挙げる時には母親にありがちな力加減をする。貧しさから心に余裕が無いのかして常に仏頂面だが、マイラが金を稼ぎ始めると笑顔が増える。このあたりの演出は演出なのか自然な感情の発露なのか。普段は息子に「学校行け」「勉強しろ」と怖いが、一旦息子が怪我をしたり遅くなって帰ってこないと心配する姿はやはり母親だねと思わせる。

そして息子ビンドレがとても良い。芝居をしろと言われて演技をしている部分も透けて見えるけれど、それでもかなり自由に自分で表現している。山の村にいるであろう容貌と走り方。よくぞ見つけてきたものだと思う。

本編全体に広がる大自然、山奥の村の生活、そこで暮らす村の人々、全てがとても愛おしい。このままであってくれと思う。

最後のどんでん返しが辛い。こんなにおおらかな作品なのに、そんなエンディングにするんだ・・・と思わせる。この切なさも含めて素敵な作品。

高先電影院にて鑑賞。★★★★★

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