電影鑑賞記『人海同游 Borrowed Time』(2024)
トレイラーが素敵だったので、いつものごとく何の前情報も入れずに観てきた。
このところ少なくなった、細部を何から何まで繋げてしまわない運び方のストーリー。フィルムで撮っていた頃は、その場ですぐ Play back して確認できないし、negative film を現像してから見直すということや予算もあって、ある程度の細部は切り捨てて(も致し方なしとして)いたような気がするので、ストーリーを細部まで繋げないスタイルも結構あったように思う。
そして何から何までセリフで説明しようとしないのも好感。このところの日本映画やドラマは何から何までセリフを入れて解説しようとするので、観客の思考や感覚を差し挟む空間が無くて窮屈すぎる。この作品は、なぜここで敢えてセリフを入れないのか、なぜこんなシーンになるのか、といった疑問を抱えたまま話が進んでいくというミステリアスな体験が出来る。いかにも 關錦鵬 Stanley Kwan らしい運びと絵に仕上がっている。
オープニング・シーン。仲良し家族たちで荔枝刈りに来た、という設定かと思ったら違った。そして帰宅すると母ちゃんが口うるさい。どうやら主人公は結婚式の準備中らしいが、母ちゃんは結婚に反対なのかと思うほど口うるさいし冷たく当たるのに、実は反対というわけでもなさそうである。
会社の仕事がストレスフルであることを示すシーン。これは本当に必要だろうか。どこかのベッドに横たわっている。これはどうやら新居になるらしいと暫くしてから気付くが、このシーンも必要だろうか。と、そこまで他人との関係性を広げる必要があるのだろうかと思うシーンがいくつもある。
タクシーに乗っているが支払いは現金のみで支付寶が仕えない、どうやって片を付けたのか?天星小輪ではない船に乗っている主人公。しかし天星小輪が見えるからここは中環碼頭に違いない。主人公は香港に着いてからどこへ行っていたのか?突然現れるフィアンセではない男。誰?香港の SIM card を買っていないのに、どうやって連絡を取ったの?解決していない謎を残したままストーリーが進む。
荔枝農家の話かと思ったら、違う。船に乗っているところに台風が来るから、海や台風にまつわる話かと思ったら、それも違う。誰だかよくわからない男が登場するので、フィアンセを捨てて新しい愛を見つける話かと思ったら、これまた違う。あの男と歩き回る森のシーンは現実なのか夢なのか、決定打が無い。最終的に父を探す娘の話に落ち着く。どういうことやねん?先だって『望月』を観た。『武替道』にも父娘の話が柱の一つになっている。最近は父娘の話が流行りなのか?
主人公のベースは廣州らしいが、母娘ともに廣州口音がキツイわけではない。しかし制作陣や監督の所属からみて一応大陸映画に分類される。もう本当によくわからん。
主人公と男が森の中を歩き回るシーンは二人が会った翌日の設定なのはわかる。二人の間には何も起こらない。起こりそうなのに起こらない。一晩泊めてあげても男は主人公に手を出さない。森の中で見つめ合う二人。いよいよここで熱烈なキスから始まって、定番の流れになるんだろうなと予測する。が、そちら方向へ行かない。もしかしたら前夜に定番の事が起きていたかもしれないけれど、それは描かない。關錦鵬すぎる。笑ってしまった。
この観客の期待を裏切りまくりながらも美しい絵を保つ。これも一つのセールス・ポイントではあるけれど、香港迷の皆さんに推したいのは、トータルでかなりの尺を占める果欄。この風景が出てくるだけでワクワクしてしまう。そこへ父親役の太保が入り込む。ピッタリしっくりしすぎやろ。ということで画面が楽しい。
忘れてはならないのは Peter Chan 陳湛文。彼が出演しているとは知らなかったので果欄に突然出て来て驚いた。というか変に果欄の労働者として溶け込み過ぎていて、一瞬陳湛文と気付かなかったぐらい。主人公の兄。また『望月』と設定同じやん。しかも兄として思う所あり、ちょっと冷たく当たってしまう。笑うところではないが笑ってしまった。
太保と陳湛文だけでも港產片迷には十分美味しい。
そして今はもう姿を変えてしまった春秧街。叮叮のギリギリまで店が出っ張っていたあの美しい春秧街がまだここにあった。そして多分ゲリラ撮影であろう押し迫る叮叮の前を気にもせずゆったり歩く二人。後で制作部が謝り倒したんだろうなーとか変に現場クルーの気持ちになってしまう。
作品全体としては「とても關錦鵬」。繊細な心の動きを美しい絵で描く。『胭脂扣』あたりが好きな方にはお勧め。
そして香港の風景、果欄が好きな方にもお勧め。ガッツリ果欄を記録してくれているので、これは香港の今の記憶としても重要な作品になると思う。
高先電影院にて鑑賞。★★★★