『梅艷芳 / ANITA』
観に行く気満々だったけれど
特にファンというわけではなかったにしろ、リアルタイムで梅艷芳を見聴きしていたので、企画が挙がっているという話を聞いた時から気に掛かってはいた。
大姐大と言われた梅姐の一生をどんな風に描くのか観てみたいという期待とあれほどまでの人物を演じきれる女優がいるのだろうかという心配というか大きなお世話。
いろいろな香港電影で共に闘った仲間達がSNSに少しずつ抵触しない程度に情報を流す。ああ、彼/彼女も参加しているのか、仲間が参加した作品なら余計に観に行かねばと更に気に掛かった。
煞青の声を聞いてからいよいよ公開に漕ぎつけたという情報が挙がってくるまでかなりの時間が経っていた。あれだけのCGを作り込むのだからポスプロに時間がかかるのも当然。
こちらバンクーバーでは上映されないのではないかと思っていただけに、香港と同じ11月12日公開と知って正直驚いた。制作側は本気で世界展開するつもりなのだと期待が膨らんだ。
ところが、公開少し前になって「本編では1989年の出来事が割愛されているらしい」という情報が回ってきた。
観に行こうという気持ちが一気にしぼんだ。
わかる、わかるよ。制作側としては大陸で上映できてなんぼだと。投資したからにはリターンが必要だと。今の香港ではタブーだと。香港電影界の端くれにいる者として十分にわかっているよ。
それでもやはり、自由と人間を愛する梅姐を描くのに六四前後の行動を割愛するというのは片手落ちではないのか。制作側の苦渋の決断もわかるけれどどうにか抗って入れ込んで欲しい。抗うことをやめた作品ならば自分でお金出して観に行くのはやめようと決めた。
けれど。
香港電影が今置かれている状況環境は私だって痛いほどわかっている。制作側が割愛するのも物理的条件として仕方がないのも理解できる。だからこそ監督や脚本がどこまで頑張ったのかを見届けるのもありではないのか。大切な仲間達が、現場の皆が、大好きな梅姐の為にと心を込めて創り上げた作品を応援するべきではないのか。そしてやはりバンクーバーで上映される数少ない港產片を見逃したくないし見逃すべきではない。
やはり観に行くべきか
と考え直してチケットをブッキングした。
上映時間の11:40きっちりに入った。が、スクリーンが真っ黒。何も映し出されていない。しかも入ってすぐの前5列分の席には誰も座っていない。
え?スクリーン間違えたか?と思って更に入って見挙げると観客席には結構客が入っている。
スクリーンが真っ黒、映像も音も何も無いというのはどうしたのか?しかし誰もざわついていない。ここバンクーバーでは大手シネコンでもよくあることなのか?
結局10分ほど遅れて予告が始まった。何事も無かったかのように。
最初から最後まで泣きっぱなしだった。
私が愛し暮らした香港がそこにあった。今はもう無い香港に溢れていた。
心が疲れた時に必ず行っていた尖沙咀海旁。対岸にそびえる高樓大廈の夜景に向かって「みんな見て!ここが私の街なの!私はこんなに美しい街に暮らしているんだよ!」と叫ぶことでストレスを発散し、香港への愛を更に育てていたあの頃。
その海旁の端にあった「Konica」の看板を見た時に「そうだった!私が暮らしていた頃にはKonicaの大きな看板があったんだった!」と思い出した。私が忘れてしまっていた私の愛した風景が本編のそこかしこに嵌め込まれていた。
ネタバレ
ここから超ネタバレなので、知りたくない人はここはすっ飛ばして。
陳家樂がまた成長していた。秋官の口調をかなり忠実に模写していて完成度が高かった。秋官の名前が出たところで会場からは「ほおー」の声。
オープニング・クレジットで白只の名前を見つけていて、いよいよ出てきた彼が「黎小田です」と言った時には納得。会場からも笑いが漏れた。
レスリーには「ふうーん」という声が上がった。誰もが哥哥役がとてつもなく難しいことをわかっているだけに複雑な声だった。けれど劉俊謙はよくやったと思う。舞台に飛び出す時の走り方なんか頑張ったと思うよ。
香港がキラキラしていた頃の記憶を皆で共有していることを実感した。上映まで港式廣東話でベラベラ喋っている人ばかりな時点で既に香港の戲院にいる雰囲気満タンだったが、笑いや反応のツボがまさに「香港人的集體回憶」だった。
嘩!これ黃進だよね?なんで俳優やってんの?と思ったところに「黃錦鵬です」で「そゆこと?」と笑ってしまったのだけれど、ここで笑ったのは当然の如く私だけ。あれがまさに『一念無明』の監督だとは誰もわからなくても無理はない。
梅姐の周りでちょろちょろしている長髪の青年がちょっと鬱陶しくて(すまん)、これ誰だよ?と考えて蔡一智に思い当たったのだけれど、胡子彤じゃあマッチョ過ぎだよ。それにしても胡子彤、『遺愛』に引き続き長髪づいてるね。
廖子妤は長髪だとかなり若く見えてしまう。ショートになってからの方が愛芳らしくなったと思う。
そして何よりも梅姐役の王丹妮が思った以上に梅姐になっていて良かった。6ヶ月も智叔から特訓を受けたのだから納得といえば納得。
マッチとの恋のおかげで日本と行き来するので日本の俳優も何人か出演していた。
マッチ役の若い俳優は知らない人だった。彼の名誉の為に言っておくけれど私は日本の若い俳優を本当に知らない。『追捕』の時に斎藤工を知らなかったぐらいなので、私の浦島度は相当なものだとご寛恕ください。
それより何よりジョニー役の岩城滉一が!仕方ないとわかってはいるが、物凄くおじいさんになっていて悲しかった。カッコよさピークの頃を知っていて、ここ数年(日本映画もテレビも観ないので)全くお姿を拝見していなかったからその変化についていけていないだけなのではあるけれど。
観てよかった
様々な映像やちょっとしたセリフに自分の経験や想い出が重なり、マスクを伝って涙が膝にポロポロ落ちるわ、鼻水が流れまくりで Masks Mandatory なのにマスクを外して鼻をかむわで、ボロボロになりながら観た。
エンド・ロールが始まった。
誰一人として席を立たない。本当に誰一人。こんなエンド・ロールは初めてだ。梅姐の写真が散りばめられているから皆それを見ていて席を立たないのであろうけれど、クレジットが終わり、最後の写真が止まるまで誰も席を立たなかった。香港人は誰もが梅姐のことを本当に大好きでリスペクトしているのだとひしひしと感じられた。
最後の最後に星光大道の梅姐の銅像が映し出され、隅っこにではあるけれど『梅艷芳 香港女兒』というクレジットが出た。ここで最後のひと泣き。制作側のギリギリの踏ん張りを見てとった。制作側も梅姐のことを心から愛しリスペクトしている。よくやったと褒めてあげたい。香港電影人の良心は生きている。
観てよかった。まる一日以上経った今も画面が脳裏に浮かんできては泣いている。心がギューッと絞られて息が止まりそうになっている。
私は香港を、香港電影を、香港人を、心から愛している。