私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(42)『追捕/Man Hunt』- 女優デビューしてしまった -
次なる場所は岡山県
牧場と研究室という二大ロケーションへと我々は移動した。その移動にあたって私にとっての大事件が発生する。
牧場シーンのロケ地となったのは蒜山高原のとある私有地。本来は阿蘇山の麓の牧場を使用することになっていて、草も焼いて準備を整えつつあったのだが、熊本大地震が発生してしまい変更を余儀なくされたのだった。そこで制作部が探し出して来たのが蒜山高原のとある場所。私有地なので詳細な場所はお知らせできない、というか、私にもどこなのかよくわからないので悪しからず。
予算もセットも規模が違う
だだっ広い草原に真由美の邸宅と厩を建てた。何もないところに家ごと建てたんだよ。Media Asia 寰亞が天下の John Woo 吳宇森を使うっていうのは、こういうことかー!スゲー!と映画製作初参加の私は本気で驚いた。
美術監督の種田陽平氏は『Kill Bill Vol.1』『セデック・バレ』『Hateful 8』と国内外の錚々たる作品を作っている方だけに、家や厩建てるぐらいはもう普通のことで、あれこれ驚いている私にいろいろと教えてくださった。こんな凄い方たちとご一緒できるなんて本当に幸せ。光栄。
さて、この岡山への全体移動の前夜に事は起こった。
大事件
副導演からメッセージが来た。「彩奈(真由美の牧場の住み込み家政婦)の役を Sophie にやってほしいって監督が言ってるんだけど、どうかな?」
えええええーーー!?!?えええええーーー!?!?マジすか?本気?
「ぎゃー!やるやるやる!やりますとも!」と3秒で返しそうになったけれど、3秒はあまりに嬉しがりすぎじゃないか?もうちょっともったいつけるべきじゃないか?いや、でもホントかな?何かの間違いじゃ?いやでも、Sophie って私の名前ちゃんと入ってるよ・・・てことは間違いじゃないってことよね?うわわわわ・・・
結局10秒もしないうちに「好呀!多謝!!」と返信した。あまりにそっけない返事かとも思ったけれど、もうこれ以上なんて書けばいいのかわからなかった。
夢かと思った。何かの間違いかと思った。でもマジだった。天下の吳宇森電影にスタッフとして参加できているだけでも夢のような幸運なのに、出演までさせてくれるなんて夢を斜め上に飛び越えている。そんなの断るわけないよね?天下の吳宇森作品で女優デビューだぞ?監督のご指名だぞ?セリフもあるんだぞ?普通、こんなことあり得ないぞ?幸運すぎて眩暈がした。
「彩奈は Sophie がやることになったってキャスティング・ディレクターに言っといてー」と言われて、どう切り出せばいいのかドキドキしながら電話した。「実は・・・彩奈は私にやってほしいって監督が・・・」「えーーー!ほん今、彩奈役の女優さんに明日からの撮影よろしくね、新幹線代は岡山で会った時に精算するね、って言ったばかりだよー!それを、ごめんねーって言うのか・・・辛いな・・・」って言われて罪悪感に苛まれた。女優さん決まってたんだ・・・明日の新幹線のチケットまで買ってたんだ・・・それをド素人の私が・・・。
先程までの天にも舞い上がる心地が一瞬で地獄の底へ落ちた。一気に巨大なプレッシャーがのしかかってきた。この女優さんが出来上がった作品観たら私を憎むんじゃないだろうか・・・。でも、でもね、監督のご指名なのよ。
彩奈は日本で生まれ育った中国人だからパーフェクトじゃない発音の北京語を喋るという設定。現場で台湾人や北京人のクルーと拙い國語で必死で喋る私を見ていて、私の下手くそな國語が彩奈にピッタリだと監督は思ったんじゃないかと私は勝手に推測した。そして女優さんには申し訳ないけれども、私はこの二度とないチャンスを有難く頂戴することにした。
このおかげで大きな問題が多々勃発しまくったのだけれど、それは表立って書けないので、いつか私のコメンタリー付き秘密上映会をやって「ここだけの話」として参加者に絶対に口外しない約束を取り付けてからこっそり話すことにしている。
そして岡山へ移動した私は「衣装合わせ」なるものも初体験する。あまりに冴えない衣装にガックリきたが、家政婦役なので仕方ない。ヘアメイクも施してもらったが、やはりオバサン設定なので冴えない。いやいや、役を頂いただけで既にあり得ないほどの光栄なのだから、つべこべ言わずにやるしかない。
ここでは書けない問題が多々勃発するせいで脚本がそれまで以上にくるくる変わる。もちろん、日本人俳優と監督とのセリフに関する交渉も私が間に入って通訳し、毎日変わる脚本は引き続き私が夜中に翻訳して日本人脚本家にブラッシュアップしてもらったものを副導演に戻すという現場通訳・翻訳の従来の業務はそのままこなした。
その上に彩奈のセリフも練習しなければならない。華僑設定なので発音がパーフェクトではないけれど流暢に喋らなくてはならない。広東語ならある程度ぶっつけ本番でもすんなり喋れる自信はあるが、國語がスムースに口をついて出るには練習が必要。
そして、撮影はやはりどうしても押しまくるので、彩奈の出番がいつくるかわからない。私は出番がくる可能性のある日は朝から彩奈の衣装を着て、その格好のまま通訳として一日中現場を走り回った。結局のところ、ほぼ毎日彩奈の衣装のまま現場通訳をやっていたせいで皆から Sophie じゃなくて彩奈と呼ばれるようになったわさ。
通訳者としてのシリーズのはずなのだけれど、彩奈でもう少し引っ張る。(続)