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「自由民主党憲法改正草案『前文』」コンメンタール

もはや「憲法」ですらない

1955年の結党以来「憲法改正」「自主憲法制定」を党是としてきた自由民主党。同党が2012年に発表した「憲法改正草案」について(以下「改憲草案」と表記します)、今回は「前文」に絞って分析していきます。「改憲草案」については昨年にnoteでも論じましたが(「『自民党改憲草案』を斬る」というタイトルです)、今回はより掘り下げた分析を行います。

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学研究を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末長く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

「前文」とは法律の各条項の前に記された文章であり、日本国憲法(以下「現行憲法」と表記します)の他に教育基本法等にもあります。現行憲法の場合「制定の趣旨、基本原理、目的」等で構成されています。つまり現行憲法の前文を読めば「全体像」「概要」が分かるという事であり、これにより同法が「国民主権、民主主義、平和主義、自由主義、理想主義」に基づいている事が分かります。これに対して「改憲草案」の前文については「国家主義、全体主義、公権力による基本権への干渉、自画自賛」といったものであり、市民の基本的人権が後退している事が見て取れます。たとえば「改憲草案」の各条に「公益及び公の秩序」といった文言がありますが、原則として基本的人権はこれに劣後するものとなっています。「公益及び公の秩序」とは為政者の匙加減で如何様にもなるものであり、極めて恣意的且つ漠然不明確な概念です。こうしたものに基本的人権が劣後するというのは、到底「公権力に対して制約を課し、市民の自由及び基本的人権への侵害を防ぐ」という「近代憲法」の原則を満たしていません。以下で詳しく論じていきます。

【第1段】
第1段の主語が「日本国」となっており、現行憲法で「日本国民は」となっていた事と対照的です。この時点で自由民主党が「国民よりも国家を優先している事」が読み取れます。更に「天皇を戴く国家」と記す事で「国民主権」に先立ち「天皇制」を挙げています。これは天皇の権威性を現行憲法よりも強化するものと言え、国民主権主義が後退する事になるでしょう。また、前文において「天皇を戴く国家」と「断言」している一方で第1条において現行憲法と同様「日本国民の総意に基づく」としているのは矛盾ではないでしょうか(「総意に基づく」のであれば、総意が揺らげば天皇制をなくす事もできます)。

【第2段】
ここは「自己憐憫」「自画自賛」に終始しています。日中戦争及び太平洋戦争において、自国が「近隣諸国や自国民に対して戦争の惨禍を齎した主体」である事を看過/棚上げして「被害者振って」います。自国の振る舞いに目を向けず「今や国際社会において重要な地位を占めており」等と自信満々に記すのは「戦争の惨禍について全く反省していない事の表れ」であると言えるでしょう。ここまで来ると「滑稽」ですらあります。自国の「愚行」について反省もせずにどうして「世界の平和と繁栄に貢献する」事ができるでしょうか。

【第3段】
この時点で、市民の「根源的人権」である「思想及び良心の自由」が侵害されています。ここからも自由民主党が「基本的人権を廃止したい」事が垣間見えます(実際、現行憲法第97条「基本的人権の本質」が削除されています)。「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」とありますが、日本国民が「誇りと気概を持つ」かどうかは各人の自由であり、公権力によって干渉される筋合のものではありません。「国に対する誇りと気概」がなければ「日本国民」として権利が付与されないとでも言うのでしょうか。また佐藤正久よろしく「国を守るために命を捨てるべき」とでも言うのでしょうか。また「和を尊び、家族や社会が互いに助け合って」について、これはまぎれもなく「個人よりも全体を重視する」ものです。「和」や「家族のあり方」や「社会の助け合い」といったものについては各人の価値観に委ねられるべきものであり、公権力が「義務付け」する筋合のものではありません。政府の方針を批判する事は「和を乱すけしからん行為だ」とでも言うのでしょうか。「家庭内における虐待」といった犯罪的行為等については各人の「自己責任」として放置し、救済するつもりはないとでも言うのでしょうか。それならばそもそも「家族の相互扶助義務(第24条)」という形で「干渉」しない事です。

【第4段及び第5段】
ここも「始めに国家ありき」という内容です。「国家の発展/成長のために日本国民は尽くせ」としか読み取れません。「自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ」「良き伝統と我々の国家を末長く子孫に継承するため」といった文言から「国家は市民に奉仕する」といった趣旨は到底読み取れません。

【現行憲法の前文から削除されたもの】
①「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する
→国民の代表者(国会議員)は国民に奉仕するもの、という内容が改憲草案の前文では見当たりません。つまり「国民の代表者は国民のために働くものではない(国家/政府与党のために働くもの)」とでも言いたいのでしょうか。「為政者かくあるべし」という観点が自由民主党にないから前文に盛り込まなかったのでしょうか。
②「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
→所謂「平和的生存権」ですが、改憲草案の前文ではそういった内容は見当たりません。表向き「世界の平和」を謳うも、自国民の平和については関心がないのでしょうか。

こうして前文を見ると「自由民主党改憲草案」は「自分達の自己満足と野望を綴ったメモ書き」の域を出ないものとしか思われません。

参考文献

⭐️伊藤真『赤ペンチェック 自民党憲法改正草案』(大月書店)
⭐️渋谷秀樹『憲法を読み解く』(有斐閣)
⭐️渡辺康行/宍戸常寿/松本和彦/工藤達朗『憲法1』『憲法2』(日本評論社)

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