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『非スポーツマン思考の自分が最後まで部活を続けた理由』 4年・#88 井上知紀
引退ブログとしてカッコがつかなそうな題名からスタートしますが、ちゃんと冒頭の内容もカッコ悪いです。
本音を言ってしまえば接戦の試合はあまり出たくないし、できるだけ相手チームは腹痛か何かで休んでほしいし、調子がいい時に入ったシュート本数が調子悪い時の試合に分配されないかな、とかとんでもなく頭の悪いことも考えたりします。
本当にいつまで経っても試合中の緊迫感は慣れないもので、試合の度「こんなきつい思いするなんてわかりきっているのになんで部活を続けているんだろ」なんて思うこともあります。
ただ、自分が部活を続けた理由はまさしくこうした弱さと向き合い続けた所にあります。
まず今回のリーグ戦の振り返りとしては、率直にしんどかったなと。
試合はもちろん、意外と大変だったことは連日の試合に向けたコンディション管理でした。食事・睡眠・疲労や怪我の予防も高校以上に気を遣わなければならず、それが精神的にも大変でした。
そうした甲斐もあってか、大きな怪我なく引退までやりきれたことは本当によかったです。
そして競技人生全体を振り返ってみても、成功体験2割、失敗・挫折体験8割?と思うくらい大変なことばかりでした。
さすがにこの比率は大げさだと思いますが、自分の性格上失敗や挫折をとにかく引きずって自分を責めることが多かったので、それだけインパクトが大きかったと思います。
言ってしまえば所詮4部リーグに所属する、プロに行くわけでもない、平凡なプレーヤーT選手なので、側から見たら自分の失敗や深刻さなんて大袈裟かもしれませんが、自分にとっては目の前に起こることが全てで、そんな大きな課題を超えて成長したと思ったらまた新たな課題といった連続の日々でした。
ただ今回のリーグ戦は誇らしくも、自分のプレーや得点が必要とされることも多く、その結果勝利を掴み取ることができた(もちろん勝利要因のたった一つだが)と自負できる試合もありました。
鬱陶しい自慢話になりますが、1次リーグでは3Pが3位、途中までは得点もリバウンドもなぜかスティールも10位以内に入ることができました。
これまでの部活において自分が直接得点に絡む形で勝利に貢献することはあまりなく、今回も周りには自分より上手い選手ばかりの中で、こうした成果を残せたことはとても嬉しく自信となり、初めて感じる高揚感もありました。
高校までセンターとして必死にリバウンドを取ることに集中していた私が、大学ではフォワードという路線転換を経験し、やはり環境が変化すれば何が起こるかわからないなとしみじみ感じます。
ただ、悪い意味で自分のプレーが試合を左右させてしまうこともあり、勝ったら上位、負けたら下位という超大事な埼玉大戦では自分が決めきれず負けてしまったこともありました。
もうここから完全にメンタルブレイクの始まりです。
まず下位リーグがどういう状況かを端的に言うと、3部昇格というプラスの結果は絶対に残せず、待ち受けているのは入れ替え戦や自動降格のあるマイナスな結果か、最高でも4部残留という“プラマイ0”な結果が待ち受けているわけです。所謂崖っぷちで、プレッシャーも負担も並外れていました。
そしてそのような環境を埼大戦のシュートあと1,2本の差で生んでしまい、さらに段々と信頼してくれた周囲の期待に大事な場面で応えられなかったのです。
加えて、あるOBからは「降格や入れ替えだけは避けてください」とのメッセージ、ある部員からは「お前が決めてれば上位だったのにな笑」と傷を抉られるありがたいお言葉をいただき、リーグ戦が始まって以降発症していた吐き気体質が、より悪化します笑
2次リーグ以降の試合前は必ず喉が詰まるようになり、途中から「試合前吐いた方が楽だな」と気づき潔くスッキリすることでむしろ平然を保てていました。
練習では、いくらシュートを決めても「試合で決めなきゃ意味ないしな」となぜか沈んでしまうようになり、我ながらよくここまで悲観的になれるなと感じます。
こうした状況の中、他競技の部活を続ける友達にも相談しました。ザ・スポーツマン君からのアドバイスの中に当時の自分には理解し難いものもあり、
「困難があった方が楽しいよ」という返答が来たときには、
「できるだけ楽に・順調に・ハッピーエンドで安泰な」が大好きな自分には全く理解できず、きっとこういう人が人生のしあがっていくんだろうななんて思うこともありました。
このような感じで下位リーグでは、埼大戦で結果を残すことができなかった自分に対する存在意義の疑心、「またあの試合と同じようなミスをしてしまうかも」という不安との戦いでもありました。
やはり下位リーグでも接戦試合はありましたが、そうした中でも試合に出る自分を励まし信頼してくれる部員の応援はとても心強く、不安を着実に克服しながら戦い抜くことができたと思います。
そして自動残留のかかった理科大戦では約10年間で経験した今までの悔しさ、学びを全て置いてくる気持ちで望むことができ、チームの勝利に貢献し、引退することができました。
自分はここぞというときにバシッと成果を出せるほどのすごい人間でもないので、きっとこれからも沢山の失敗や困難を経験すると思います。
しかし、この競技人生の中で本気で自分の弱さと向き合い、成果を出すために学んだ思考プロセスは社会人になってからも活かせるものだと思うし、当時自分を悔やんだ経験も今となってみれば全て無駄ではなかったと自信を持って言えます。
自分が本気で取り組む部活動はここで終わりますが、かつて高校の引退試合に経験した怪我や敗北の後悔から逃げず、最後の最後までバスケットボールを通して足掻きまくった経験から得た引退試合の勝利は、締めくくりとして何よりも価値がありました。
今まで”非スポーツマン“だった自分から
「困難があった方が楽しい」の意味がやっと少しだけわかる“スポーツマン”
に近くことができたんじゃないかなと思います。
そしてこの大学生活、OB OG方の支援やこれまで沢山お世話になった先輩方含め、自分は人一倍多くの方に支えられたと思います。特に一人暮らしという状況で、この4年間を通してご飯やお泊まりに呼んでいただき、まるで自分の息子のように接してくれる同期や先輩の保護者に出会うことができたおかげで今の自分があります。
更に途中で何度もバラバラになりかけても最初から最後まで一緒にバスケをしてくれたプレーヤー4人、マネージャー2人がいてくれてよかったです。
最後に、自分のバスケットボール人生の最初から最後まで応援し続け、自分の活動を心の底から喜び楽しんでくれる両親の存在。自分の成長にも失敗にも全てに本気で向き合ってくれて一番近くで応援してくれた父と母には感謝しかありません。
こうした全ての人が私の頑張る原動力になっていました。
バスケットボールを通じて出会ってくれたもれなく全員には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします!
(4年 井上知紀)