ある飛空艇技師の話
何気なく立ち寄った書店に不思議な本があった。古めかしい装丁でやたらと分厚いその本はグリダニアに拡がる「黒衣森」についての伝聞集だった。ぱらぱらとめくってみたところ、真偽も定かではない怪しい話がこれでもかと掲載された、悪趣味極まりない本だ。しかし私は眉をひそめたくなるその怪しさに惹かれ、そのまま伝聞集を購入して帰路についた。
ひとつ、またひとつと、森にまつわる話を読んでいく。私はグリダニア出身でも在住でもないので、恐ろしい因習をどこか他人事のように楽しんでいた。あぁ、また人が森に還ってしまった。なんて土地だ。どれだけ顔の良い男がいたとしても、こんなところに嫁に行くのだけは願い下げだ。
暇さえあれば私は伝聞集を読んだ。持ち歩くのが大変なので、会社の機材を使って魔導タブレットにデータとして取り込んだ。これでずいぶん楽になる。なんなら仕事中でも読めてしまうぞ。うちの社員はみんな優秀だし、私ひとりサボったところで飛空艇は墜落したりしない。
何度も繰り返し読んでいると自然とお気に入りの話が出来てくる。仕事がうまくいかなかった時はその話を読み返しては、森の昏い魅力に想いを馳せた。つくづく良い買い物をしたと思う。
暇だったので同僚に伝聞集の事を教えてみた。概要を伝えるだけで「書いたやつらは頭がおかしいんじゃないか」などと言ってきたので、私のお気に入りの話を聞かせてやった。そんな集落など存在していなかったのだ!とクライマックスを語った時のあいつの怯え方ったら、ほんと傑作だった。
語ってみると、ますますその話の事が好きになってきた。推し語りは健康になるよね。そういえば来週はグリダニアに出張がある。出張なんて憂鬱なだけと思っていたのも今は昔。私は魔導タブレットの画面をなぞりながら、その日が来るのを指折り数えて待つようになっていた。
出張先では何日か自由に動ける日があった。せっかくなので森へ行ってみよう。私のお気に入りの話に出て来る場所へ行ってみるんだ。殺されかけた冒険者が再び村を訪れると、そこには何もなかったという、あの話。恐ろしい因習の痕跡が、何かあるかもしれない。
私は目を疑った。地図には何も書かれていない場所に集落があるのだ。伝聞集の記載通りの、この世のものとは思えない美しい村。不思議な花の香りが満ちる隠れ里。私の足は震えていたが、神秘の正体を確かめたい好奇心が勝った。一歩、一歩と歩みを進めていく。
不意に背後の草むらが派手な音を当てた。振り返った私は思わず叫び声を上げた。森で見かける魔物とは次元の違う、恐ろしく禍々しい魔物が二体、そこに居たのだ。私は振り返り、集落に向かって叫びながら一目散に逃げた。助けて!誰か助けて!精霊様!精霊様助けて!
だけど、私の願いは聞き届けらなかった。魔物の触手が信じられない速度で伸び、わたしを捕縛してしまった。あっ、という声を上げる間も無く、私は醜い魔物に蹂躙される。黒衣森の梢の向こう、抜けるような青い空が全て真っ暗になり、私の意識は完全に暗転した。
◆◆◆
目を覚まして視界に入ったのは、さっき見た青い空。そして私の顔を覗き込む同僚だ。私が起きたことに気がつくと、涙を浮かべて抱きしめてきた。えっ、何?どういう状況?私は同僚に抱きつかれたまま身体を起こす。目の前に広がるのは黒衣森の青い空、豊かな森の樹々、森で嗅いだことの無い不思議な香の匂い、そして美しい集落———は影も形もなく、切り立った断崖が広がっていた。
「え…?あの村は…?」
「そんな村なんか無いですよぉぉ!うわぁぁぁん!」
同僚はいっそう強く私を抱きしめて泣いた。無い?村が?
「えっ…でも…私には…あの話の村が…」
「その話、なんてタイトル?」
少し離れた場所から声がした。目を向けると、刀を帯びた紫髪の女がいた。白いツノに鱗肌。アウラ族だ。その横には編み込み髪のツノなし女もいる。アウラ族の女は私のタブレットを眺めている。
タイトルだって?そんなの決まってる。何度読んだと思ってるんだ。その話のタイトルは—————
あれ?
困っているララフェルの話…
娘の行方…
森の帰還者…
………
うつくしいひと…
はんぶんこの森…
分包奉救…
あれ?
「その話、どこに載ってたの?」
あれ?
「書いたのは、誰?」
そんなばかな。だって、恐ろしい村があって、こわい因習が。
あれ?
あれぇ?
◆◆◆
「あなたの同僚さんから、相談を受けたんです」
ツノなし—ソフィアと名乗った騎士風の女性はそう切り出した。そういえばこの人は社長の知り合いだとかで、よく事務所に出入りしていた人だ。
「私の同僚の様子がおかしい。おかしな本をずっと読んでて、咎めたら逆に恐ろしい話を聞かされた。今日は連絡も取れない、って」
おかしい?私が…?
「それで、置きっぱなしになっていた伝聞集を拝見したら、寄稿者の中にわたしのリテイナーさんが居たんです」
ソフィアさんは隣のアウラに視線を送る
「足首の話があるでしょ。あれを提供したのは私なんだ」
私は脳内の目次を検索する。漂着する足首、情報提供者はイズミ・アオバさん…。
「マスターから連絡があってね。あんたが話したっていう怪談のあらすじを聞いてみて、やばいって思ったよ。だってそんな話、載ってないんだから」
イズミさんはタブレットを私に手渡した。目次を辿る。あの話は、無かった。いくら探しても、存在していなかった。
「理由は不明ですが、魔に魅入られているのは間違いない。それで、わたしと彼女とで、あなたを探しに来たんです」
「やっと見つけたと思ったら、すごい悲鳴を上げて崖に走っていったんだ。焦ったよ」
「うわぁぁぁぁん!無事でよかったよぉ!」
夢を見ているようだった。いや、今までが夢で、それから覚めたのか。わからない。どうして私がそんな目に。
改めて崖を見やる。底を覗かなくてもわかる、ただでは済まない高さだ。森が、私を、ここへ。
「これは」
イズミさんが私の手からタブレットを取り上げる。
「もう使わない方がいいよ」
「購入された本も、です」
ソフィアさんは伝聞集を手に持っていた。
「わたしたちが責任を持って祓っておきます」
「あんた達は…もう帰って寝な」
同僚はまだ泣いていた。
私は同僚を撫でながら、こくりと頷いた。
雲が太陽を少し隠した。
◆◆◆
ガーロンドアイアンワークス社の独身寮。私は自室の魔導端末に記録用トームストーンを挿した。内部に眠っていたデータが端末に移動していく。移動を確認した私は端末を操作し、データを展開した。
愛しの黒衣森伝聞集がそこにあった。
訳の分からない出来事の果てに魔導タブレットと伝聞集は失われてしまった。だけど、まだバックアップは残っているのだ。エオルゼアの英雄様も魔導技術の細かい概念まではわかるまい。たしかに怖い目にあったけど、それは私が昼も夜も伝聞集にのめり込んだからだ。きちんと用法容量を守って読めば、現実と幻の境目がつかなくなるなんて事は無い。さぁ、また楽しませてくれよ、伝聞集。私は端末を操作し「はじめに」を飛ばして冒頭の話を読み始めた。何度も読んだ、ガーロンドアイアンワークスを舞台にした話。まさか黒衣森伝聞集の冒頭を飾るエピソードが我が社のものだなんてびっくりだ。それゆえ、巻き起こる話のリアリティも尋常では無い。私のためにあるような話だ。なんだ?うるさいなこんな時間に。はーい。え?社長?こんな時間にどうしたんです?はーい、今開けますよ!
【了】