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「進むべき道」4年・鈴木沙季

平素より大変お世話になっております。
上智大学体育会サッカー部4年マネージャーの鈴木 沙季です。

まず初めに、目に見えないウイルスに不安を抱えながらも最前線で戦ってくださっている世界中の医療従事者の方々、我々の活動を支えてくださっている大学関係者や施設関係者の方々、選手のテーピングや怪我のサポートに勤めてくださっているトレーナーの方々、そして何より毎日サッカーに真剣に向き合い健康で頑張っている上智大学体育会サッカー部の皆さんに感謝の気持ちを述べさせていただきます。
 

私は小学生の時、スポーツ観戦に全く興味がありませんでした。
 
私自身周りと比べて背が高かったため、アメリカのバスケチームに誘われて所属していた程度でした。バスケも毎日楽しく取り組めていたし、充実した日々を過ごしていました。

私の家族と祖父は大の野球好きで、幼少期から何度も球場に連れて行かされました。兄も野球少年だったし、試合にも毎週行って応援していました。また、アメリカのメジャーリーグを家族で観に行った経験もありますが、なぜか野球には目覚めませんでした。
 
小学4年生の1月にアメリカから日本に帰国し、愛知県の小学校に2年間通いました。その後はお兄ちゃんの影響もあって中学受験をして、南山国際中学・高等学校(以下:南国)に進学しました。
 
アメリカではバスケをしていたためバスケ部に入部するか迷いましたが、日本に帰国後小学生の時に肉離れや骨折など頻繁に怪我をしてしまい運動に自信が持てなくなってしまいました。そのため中学からはスポーツに全く触れず、文化系の部活動を転々としていました。
南国には6年間で3回までしか部活動を退部できないというルールがあり、中学3年間でその回数を使い果たしてしまいました。
 
高校3年間は何をしようと考えていた時、私に大きな転機が訪れました。

2015年1月に行われたアジアカップの試合中継をたまたまテレビで観戦したときに、柴崎岳って選手かっこいい!と思ったのがサッカーへの興味・関心を抱いた1番のきっかけです。軽率な理由で、すみません。

それからは、柴崎選手が当時所属していた鹿島アントラーズのサポーターになり、愛知県から茨城県にあるクラブハウスやカシマスタジアムに定期的に通っていました。交通費はバカにならないくらいかかっていたと思います。
 
そして私は高校に入学後、日常的にサッカーと関わりたいと思い、サッカー好きだった親友を誘って2人でサッカー部にマネージャーとして入部しました。
 
当時マネージャーが1人もいなかったため、私と友達の2人でした。

 
しかし、現実は想像していたよりも過酷なものでした。

固定のオフ日はありませんでした。平日の練習は毎日放課後にあり、土日両日試合があればオフはありませんでした。ほとんど週7で部活があり、毎日部活動に足を運んでいました。
 
また、入部当初は選手が沢山いましたが、代が上がるごとに人数が減っていきサッカー部員のみでは試合にギリギリ出場できるかできないかくらいの規模感の部活でした。
そのため、他の部活から人数調整で男子が数名呼ばれて試合に出場することも珍しいことではありませんでした。
 
勿論、遊び感覚でサッカーしている人も沢山いました。レベルや意識の差で選手同士の対立も多かったです。

勝った試合の記憶もほとんどありません。マネージャーの私から見ても決して強いチームとは言えませんでした。
一度グランパスユースと練習試合をしたことがありますが、二桁得点で負けました。当然ですが。レベルが高すぎて圧倒されたのを覚えています。
 
そして、選手との会話はほとんどありませんでしたし、仲の良い選手もいませんでした。
練習に行っても「あ、今日もいるんだ。」としか思われていなかったと思います。
 
練習ではボトルに水を汲み、試合ではスポーツドリンクを作って、部室の掃除をして、脱ぎ捨てられた選手の私服を畳んで、ビブスを洗濯して干して、という毎日の繰り返しでした。もちろん選手から感謝されたこともほとんどありませんでした。
 
こんな環境、誰でも辞めたくなりますよね。
ですが当時の私にはもう部活を辞める選択肢は残されていませんでしたし、ただがむしゃらに部活動をしていた覚えがあります。
 

そして何より、3年間続けられたのは、もう1人のマネージャーの存在はもちろん、顧問の先生がいたからだと思っています。
 
顧問は南国で1番厳しい先生と言っても過言ではありませんでした。
こんなゆるい部活、顧問がいなかったら崩壊していたと思います。
 
顧問は誰よりもサッカーが上手く、指導者としては勿体ないくらいの人でした。
みんな顧問が怖いからビビっていたし、怒られて泣いている部員を何人見てきたか数えられないほどです。
試合内容がひどければ、怒鳴って試合を放棄して帰宅してしまうことも何度もありました。
 
顧問からは本当に沢山のことを学びました。礼儀や振る舞い方などの基本的なことから、物事に真剣に取り組むことや継続することの大切さ、人間性など多岐に渡ることを教えてくださいました。今の自分は、ほとんど高校サッカー部の顧問から教わったことで形成されています。
私は顧問を1番に尊敬していましたし、顧問の元で3年間部活動に携われたから、サッカー部を続けられたと思っています。
 
そして大学に入学して、高校の文化祭でバンドをやった経験からドラムを始めようか迷いましたが、結局体育会サッカー部のマネージャーに入部し、今に至ります。


人生は選択の連続です。

私はこれまで、自分が選択した道を後悔したことは一度もありません。
自分が信じて選択した道を、後悔することによって「間違い」にしたくないからです。
自分の努力次第で、未来は変わるし可能性は無限大に広がっていることをマネージャーを通して学びました。

今年でマネージャー歴は7年目になります。
サッカー部のマネージャーを選んだことは、私にとっての一生の財産です。

最高学年になっても空回りすることや、反省することが沢山あり、日々学びの連続です。1つ1つの失敗を力に変え、さらに成長していきたいです。

 
私の今年の目標は、「組織の中での存在価値を高め続けること」です。
運営面、マネージャー業共に組織に必要不可欠な存在として、マネージャーからも選手からも信頼されたいです。
 
そして部員のみんなを含め、これまで関わってきた全ての人たちに対して感謝の気持ちを伝え続ける1年にしたいです。

普段中々伝えられない感謝の気持ちを言葉にして相手に伝えること、そして誰かに何かをしてもらった際に謝るのではなく、ありがとうときちんと伝えることを心がけたいです。

マネージャーをしていて1番嬉しい瞬間は、やはり選手から感謝されることです。
感謝されたくてマネージャーをしているわけではありませんが、自分のしたことが相手にとって良い影響を与えられていたら、これほど嬉しいことはありません。
自分がされて嬉しいことを相手にもすること、これを常に意識しながら関わる人全てに感謝を伝え、日々の部活に取り組みたいです。
 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
 
次回は、ケロッとした顔で爆弾発言をする3年松井健豪です!
ぜひお楽しみに!

#上智大学 #サッカー #南山国際 #部員ブログ

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