「やらないより全力でやる」3年・水原理玖
こんにちは。
総合人間科学部教育学科3年の水原理玖です。
最後までご一読いただければ幸いです。
サッカーを始めたのは小学1年生の時。
無理矢理連れて行かされたクラブチームでサッカーを始めることになった。性格は内気で人見知り、結構仲良くないと人と遊ぶのが苦手でなるべく自分の知っている環境に安住したいと願い、新しいことが嫌いだったのをよく覚えている。
最初にボールを蹴った日、クラブチームのコーチと対面パスをしてボールを蹴ることが楽しいと感じ、サッカーを始めた。
楽しいだけで始めたサッカー。頭で考えることがとにかく嫌いで感覚的にプレーしていたため、「なぜそうなる!?」というプレーも多々あった。
今考えれば逆にすごい発想をしていた。それは今も言える気がする…
サッカー人生とは少し脱線するが、小学4年生の時ある選択を迫られた。それは、掛け持ちしていたミニバス(ミニバスケットボール)とサッカーのどちらか選ばなければならないこと。
正直、バスケはうまくいきすぎてて怖いくらいだった。
姉がバスケをしており、一緒にバスケをしていたこともあり4年生で6年生の大会に先発出場していた。それでもサッカーをやりたいと思った。
なぜバスケを選ばなかったか。
それは指導者が見据える「人間力」にあった。
バスケはうまくいくし楽しい、でもそれだけだと感じていた。サッカーをしているときの方がプレー以外の面で学ぶことが多くあった。自分は多く抜けているところがある。それを言い訳にしたくないと思い、クラブでサッカーの技術と人間力を磨くことにした。
「目の前のゴミを拾える人間になれ」
この言葉を聞いた時、小学生ながらその難しさがはっきりと理解できた。
容易にイメージできたのだ。自分が目の前のゴミを拾える人間ではないことに。
そこからサッカーを通して、男に生まれたならかっこいい男になってやると決意した。
足がまあまあ速かったので抜かれても追いつけるということで、センターバックでプレーしていた。しかし、合宿でフォワードをやり点を取ることの楽しさと貢献度の高さを実感し、フォワードに転身した。
そして、ある日のトレーニング。
「お前は怖くない。」
紅白戦が一時中断され、コーチは私にそう言い放った。
周りに気を遣い、ミスを恐れ、パスしか考えていなかった私には、その言葉が胸を貫いた。
そこから点を取ることに貪欲になっていき、結果が出るようになった。
そして中学生時代。
小学生の時に所属していたクラブでそのまま続けた。セレクションもなく決して強いとは言えなかったが、勝つ試合は多くあった。
年代も上がり、トレーニング、オフザピッチの中でより一層人間性をブラッシュアップする日々が続き、自主的にトレーニングを積む充実したサッカー生活を送った。
荷物の整理整頓、挨拶、集合の30分前行動など当たり前を当たり前にできるような生活ができていた。
最後に、高校生時代。
専修大学松戸高校に進学した。1つ上と2つ上の代が大きな結果を残しており、千葉県で市船、流経大柏を倒せるのはここだ!と感じたのと、英語の専松と言われていたので英語好きという、そこまで深くない理由で志望した。自分の実力には見合わないレベルだったが、なんとか合格した。
1年生の頃はすごく調子が良かった。トレセンに選出され自分のブロックが千葉代表として東京都代表と試合をした時も得点したし、トップチームの公式戦にも9番で出場した。まさに順風満帆な学生サッカー生活であった。
しかし、3年生が引退し、後輩が入ってきたときに違和感が生じた。体が硬く、思うようにプレーできなくなってしまった。
そして、あっけなくBチームに落ちてそのまま高校生活は終わった。中学生の時も少し感じたことはあったが人数がそれほどいなかったので競争がそこまで激しくなかったし、カテゴリーも存在していなかった。
高校生になってカテゴリーを意識し始めた時、このような現象が起きたのだ。
Bチームの先生にはこう言われていた。
「ノミの心臓」 「キン肉マン」
後者は多少ふざけた場面での言葉で、おそらく体がガチガチでプレーしていることを示しているが、前者はまさにその通りだと感じた。どこか自分に自信がない、自分の力を見限っているのだ。過信しないことは大事だが、自信がないのもまた問題である。過小評価した結果悪いイメージばかりが頭を巡り、現実がその通りになっていく。
1年生から調子がいいのに、学年が上がるにつれてパフォーマンスが悪くなる。実際には伸び伸びプレーできなくなる、と言った感覚。なぜこれが起こるのか。
それは過去ばかり見ているからだと思っている。
高校1年生の時は、こんなに上手い人たちとサッカーできていた。
2年生の時はカテゴリーが落ちたけど、それでも上手い方だった。3年生は、、?
最初にうまく行った時、こういうことが多々起こる。
失速する原因はおそらく過去に囚われてばかりの高校サッカーだったからだ。
過去を見ても成長しないのは明白だが、すがってしまう小さいプライドがどこかにあるのだろう。
そして、大学サッカーでも同じことが起きた。
できるやつは絶対にそんなことはしない。躓いた時、自分には何ができるか常に考えて真っ先に行動する。
地道でプライドもないような努力が、止まった成長を少しずつ促進していく。
できないやつは自分の現状に不満を吐き出し、何も変えようとしない。俺はまだこれからだと何の根拠もない小さなプライドを抱えて何も変わらないまま時間だけを浪費する。
もちろんこれはサッカーだけでなくとも、同じことが言えると感じている。
これを踏まえて残りの学生サッカーをどう過ごすか。
先送りにせず、今できることを最大限に楽しんで行うことが自分の中で1つの答えになっている。
楽しむが先行するのではなくやるべきこと、やりたいことを楽しむことだ。苦しかったら全力で苦しもう、嬉しかったら全力で喜ぼう、そう思えば大抵のことはポジティブに転じる、気がする。
全力でやるのには感覚的な根拠がある。
例えばミスをした時
全力でプレーできている時は気持ちいいと感じる。正確には「気持ちいい」と「悔しい」を感じ、それはミスの仕方によって割合が決まる(あくまで主観です)。
しかし、100%でプレーできず楽しめていない時や変なプライドがある時のミスは、「悔しさ」だけが猛烈に襲ってくる。自分の実力が自己評価よりも圧倒的に低く感じ、何のためにプレーしているのか分からない虚無感が残るのだ。
これはまさに「やらないよりやって後悔した方がマシ」というよく聞くフレーズの具体例だと思う。
失うものなくチャレンジできるのが学生の特徴だ。
いつもの自分を変えるチャンスをサッカーが与えてくれている。
やり切ったと言えるように、そして今はまだまだ稚拙な人間力を高めることができたと胸を張れるように今後もピッチ内外で邁進していきたい。
拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
次は、一緒にプレーすることが多く、僕と同程度ネジが飛んでいると思われる後輩の宮崎祐樹くんです!