風の時代を視覚化すると
ついに冥王星が水瓶座に入った。
ここから風の時代が本格化していくと言われているけれど、そもそも風の時代とはどのようなものなのか?
地の時代と風の時代を立体で表現してみると、それぞれがちょうどピラミッド型と正二十面体のようなイメージになる。
ピラミッド型は固定されていて動かすことはできず、頂点に立つ一部の者たちがそれ以下の人々を階層的に支配し、それを覆すことも不可能という、まさに地の時代を象徴するような構造を表している。
一方で、正二十面体はどのポイントがトップであるかの決まりはなく、上下左右自由にくるくると回転しているイメージ。
ピラミッド構造の中では、属している階層や集団に常に一体化していて個人の存在感はなかったけれど、正二十面体においてはそれぞれの頂点が個人そのものとなる。
良くも悪くも個人のキャラクターやエネルギーが浮き彫りになる時代。
そして個々が上下関係なく平等に繋がり、そこには頂点を目指すというような意識もなく、バランスを取りながら世界を循環、持続させていくような構造となっている。
(各ポイントを個人から団体や国に置き換えて見ることもできる。全てはフラクタルのように最小単位から最大単位にまでこの形が繰り返される。)
ここ数年、風の時代に入ったと言われてはいたけれど、正二十面体に移行したというよりは、小さなピラミッドがあちこちに出来ただけのような印象があった。
これでは風の時代どころか地の時代のフラクタルに過ぎない。
けれど、一番大きなピラミッドが崩れようとしている今、私たちはこのピラミッド構造と正二十面体の構造がそもそも全く違うのだということに気づいて、速やかに移行していく必要がある。
これまでの地の時代からすると風の時代は確かに自由だといえるけれども、そこにはちゃんと構造がある。 構造があるということはルールもあって、そこに沿った在り方はやはり必要とされるだろう。
地の時代と違うのは、それが地位や金銭や物理的なもので支えられた構造ではなく、精神的なものになるということ。
そのためにもまず個人個人が精神的に健全でなければならず、自分らしさに正直であることが大前提となる。 ナチュラルでニュートラルな自分でいる必要があり、誰かにコントロールやジャッジをされない代わりに、自分で自分を律して生きる能力が大切になってくる。
そして自由ではあるけれどもそこには責任もあり、地の時代とはまた違った協調性やコミュニケーション能力が求められる。
個人や団体の自然な個性も、より強調される形となるだろう。
そして各自が自分自身の本分を生き、他者との関係性をバランスよく保ち、関わる全ての人にとって(ひいては地球全体にとって)利益や恩恵をもたらす方向へと意識を向けていること。
自分のことも誰のことも過大評価せず、過小評価もせず、そのままの在り方を尊重した上で繋がり助け合い、全体として上手く回る世界を創っていく。
個人が注目を浴びたりトップに上り詰めることを「成功」とするのはもはや時代遅れの価値観となり、それよりも個々のポジションや性質をうまく組み合わせながら、あくまでも地球全体として向上していくことに焦点が当てられるのだ。
この回転する正二十面体は、風の時代の構造がうまく機能した時の姿。
ここまで辿り着くにはまだまだ時間がかかるかもしれないけれど、私たちは確実にここへと向かっている。