自分か他者か?を超えた世界へ
「まずは自分が幸せになってから、他者に与える」
近年よく耳にするこの言葉は 「自分を犠牲にしてまで他者を助ける」 という日本的な古い価値観に対するカウンターのような言葉だけれど、どちらにしても非常に地の時代的だ。
どちらともが、本来の自然の摂理を無理矢理捻じ曲げるようなエネルギーを発している。
とは言え、これまでの時代はそれでも仕方がなかったのかもしれない。
何故なら、これまでの地の時代は基本的に一般民衆が簡単に富と自由を得られるような社会構造ではなかったし、そのような社会構造のもとでは個人の精神的な成長を育むことも難しかったのだから。
そのため多くの人には、まずは自分のエゴを満たしてからでないと周りのことを考える余裕などなかった。
けれども、これから私たちが向かう世界は違う。
先日投稿した記事の正二十面体の構造のように、風の時代では、私たちはみんな繋がっているのだということが実感として感じられるようになっていく。
そうすると、自分が幸せになるために必死になって頑張らなくても、どんな形であれポジティブな意図からのアウトプットをしていくことで自動的に全体の利益に繋がるようなフローが起きてくるのだ。
もちろんそこには自分自身の利益も含まれる。
(同じく良くない意図でアウトプットをすれば、自分も含め全体の不利益に繋がるので注意。)
そして、そこには自分が先だとか、無理してまで他者の為にだとかいう不自然な働きかけをする必要はなくなる…というより、そのようなエネルギーの流れ方は不調和でしかないので意味がなく、存在できなくなる。
つまり風の時代がうまく機能してゆくと、私たちは「自分のためにすることは他者のためにもなり、他者のためにすることは自分のためにもなる」という自然の摂理を実感できるようになるのだ。
一対一でのギブアンドテイクにこだわる必要もない。
一つ一つの行いが全体としてちょうどよく作用し、巡っていくから。
それは心理だとか道徳だとかいう人間的で複雑な思考回路ではなくて、もっとシンプルなエネルギー力学であり、単純な物理法則。
主観的な思い込みや情念の世界から、この宇宙全体を動かしている普遍的でシンプルな法則へと意識を移行していく時だ。