地の時代=「悪」ではない
先月から風の時代に入ったということで、「これからはもうみんな自由で好きなように生きられる!個性の時代なんだから何したっていいし、人のことなんて気にする必要はないし、地道な努力なんてしなくても成功できる!」……と、もしも思っている人がいるならば……それはちょっと、いやかなりの勘違いだ。
先日の記事で風の時代の構造を説明したけれど、これはあくまでも、風の時代の構造が良い方向へ、好ましい方向へ、私たちの意識がちゃんと向上した上での理想的な未来を示唆するものとなる。
そもそも、占星術における「火地風水」のエレメントはそれぞれ性質に過ぎず、そこには良いも悪いもない。
地の時代も風の時代も、各エレメントの持つ性質が顕著に現れる時代となるというだけで、地の時代=「悪」/風の時代=「善」と言うことでは決してない。
個人のホロスコープを見る時にも、地の星座の人が悪くて風の星座の人が良いなどという訳がないのと同じで、地の時代にももちろん良い面もあり、そして当然風の時代にも良くない面はある。
例えば、もしも今までの約200年間の地の時代において人類の意識のレベルが高かったなら、地の性質は良い方に活かされ、世の中は非常に安定し、安心で保証された時代だった可能性がある。
(この宇宙にはそのような構造でうまく機能している文明もあるはず。)
地の時代では、どのような人々がピラミッド構造の頂点に立つのかによってその社会が良い社会になるかどうかが決まるため、もし頂点が真に優れた精神性の高い人々であった場合、それ以下の民衆は大切に保護され、弱き者には適切なサポートが与えられるだろうし、能力のある者は引き上げられて世界を良くするための一端を担う役職に就き、人々のためにその能力を使うような世の中になるだろう。
その場合、階級や役職が上がるに従って責任や仕事が増え、ピラミッドの上部にいる者こそが下の者のために奉仕する形で社会が保たれ、一般民衆は特に苦労せずとも生活が保証され、生きるために切磋琢磨する必要もないと言う、民衆にとっては実は一番楽で、ある意味幸せな社会になる可能性もあるのだ。
けれども地の時代の性質が良くない方向に行くと、これまでの世の中のような、ピラミッドの頂点に立つ者たちのためにそれ以下全てが奴隷か家畜のように奉仕し、搾取され続けるシステムによって成り立つ社会となってしまう。
地の時代では、良くも悪くも一般民衆には責任も影響力もない。
ところが風の時代では、良く転ぼうと悪く転ぼうとそうはいかない。
個の時代というだけあって、その社会が良くなるのか、それとも悪くなるのかは個人個人にかかっているのだ。
そしてもちろん、風の時代も人々の意識が低ければディストピア的な時代になる可能性は十分にあり得る。これが、特にこの移行期に私たちが十分に注意しなければならない点だ。
ここに、風の時代がディストピア的な方向へと舵を切った時に考えられる特徴を書いてみる。
AIによる監視社会&管理社会
テクノロジー優位で命の価値が下がる
情報過多による想像力や創造力の欠如
個性を重要視しすぎた末の均一化
効率重視で味わいのない生活
思考優位で情緒のない文化
批判的で失敗の許されない社会
表面的で深みのない人間関係
合理性優先で余白のない世界
……など。
他にも色々考えられるけれど、とりあえずここに書いてあるものを見ただけでも、ゾッとしないだろうか?
風の時代だ!自由だー!と浮かれる前に、私たちはこのような社会にならないよう、感覚を鋭敏に働かせている必要がある。
「自律」は、風の時代において個人に最も必要とされる能力かもしれない。
それも、心の面での自律。
生活面ではお互いに助け合う世の中であればいいのだけれど、その助け合いが健全に機能するのは、個々の精神面での健全性があってこそだからだ。
もしも今、人生が苦しいのは100%社会が悪いからだとか全て政治のせいだと思っている人がいたら、そして風の時代になればその苦しみがなくなると信じているのなら、そこは本当に目を醒ました方がいい。
そのような人々は、これまでずっと地の時代の構造にどっぷり依存して生きてきたことをまず自覚して、ピラミッド構造に良くも悪くも支えられてきたということを認める必要がある。
ただ単に風の時代になれば自動的に自由で幸せになれると思っているとしたら、この地の時代の構造が崩れた途端にカタンと枠が外れて無重力空間に投げ出されてしまうだろう。
その時に自分の軸がないと、宇宙をただふわふわと漂う宇宙塵のようになってしまうだけだ。
そうなって初めて、今までどれだけ自分が地の時代の社会構造に支えられていて、それに頼り切って生きてきたかを思い知るのかもしれない。
その時に今度は風の時代を恨むようでは、結局どんな時代に生きたとしても同じこと。
要は、どの時代に生きたとしても、自分自身の精神性やどれだけ意識が進化しているかにかかっている。
そして精神的に成熟した人が増えれば増えるほど、風の時代は理想的に機能し始め、クルクルと回る綺麗な正二十面体に近づいていくのだ。
そのためにも、個人個人がまず、しっかりと物事を見極められる目を、そして健全な心身を持っている必要がある。
風の時代をユートピアにするもディストピアにするも、私たち次第。
風の時代が私たちを幸せにしてくれるのではない。
私たち皆で、風の時代を素晴らしい方向へと意識的に向けていくのだ。