家族ずかんVol.4(ここから何を話そうか)
雨続き。家でまったり会話するといろんな話に派生する。
「ねえ、ママはホームレスについてどう思う?」
えっ、突然デリケートな話が出てくる。
子どもたちと習い事に繁華街にいく途中、いつも「その人」はいる。いつも一人で座っている。お日様から身を守るような服装で。
子どもたちはきっとその人を思い浮かべながら、私に質問している。
あの人、なんであそこにいるのかな。働いていないの?勉強しなかったから?なぜ働かないの?働けないの?あそこが好きなのかな?暑くない?なんで変な匂いがするの?
質問攻め。答えにくい。分からない質問をしてくる。うーん、うーんと悩み出す。私には本人に確認する勇気はない。
でも考えて話し合ってみる。そうすることで、私の見方は今までとは違うものになったように思う。
インフルエンサーの影響力ってすごい。テレビのない我が家にまでこの質問が出てくるのだから。だけど、本当に大事なのは、そこから誰かと話し合うこと、家族や友人や周りの人との会話だと思う。
大切なことだからこそ、近くの人と話し合う。社会的に影響力のある人の言動を全て鵜呑みにするような教育は怖い。そんなの暴力に近い。
公共スペースに存在感を主張する建造物についても前から気になっていた。あの突起物は、もしかして…。でも、子どもたちに説明しにくいなあって。突起の数だけ、心のささくれがあるような。
世界にもあるみたい(Hostile Architecture)。
うーん、海外で生活していたときと、今は何か違う感じがする。
毎朝パン屋さんでバゲットを買う。そのお釣りをホームレスの方にあげるのが普通だった。学生だったし、貧乏だけど、あげるのが当たり前で。いいことしなきゃ!とかじゃなくて、当然にやってた。
足が悪い「その人」がバスから降りようとする時、移動に時間がかかった。降りる前にドアが閉まる。待ってあげないバスの運転手に一人の若い女性が、「この人が降りようとしてますよ!開けてあげて!ちゃんと見てあげてよ!」と注意した。
みんながやっているからではなくて、社会として、その人を人として受け入れている感じ。
その時とはやっぱり違う。
日本は、まるで誰もいないみたいに。ロボットみたいに。視界に入っているけど、意識しない。これって、ホームレスだけのことなのかな。
この違いや違和感。これは、ちゃんと言葉にして話し合わないと。
まずは家族で話すことから。
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