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昭和っぽいエッセー「中学生の僕と、RCサクセションの「ぼくの好きな先生」」

「中学生の僕と、RCサクセションの「ぼくの好きな先生」」

平手打ち

 「ビシッ!ビシッ!」と、2度、にぶい音が響いて、僕たちの頬に痛みが走った。

僕たちが、先生から平手打ちされたのはその時が初めてだった。

いったい何が起きたのか分からずに、僕たちは叩かれた頬を押さえて呆然とその場に立ち尽くしていた。

すると、普段は温厚で怒ったと事などない先生が険しい表情で、

「廊下では騒ぐなと、言ってあるはずだぞ!」

と言った。


 それを聴いた僕と友達の2人は、不思議な思いで顔を見合わせると、先生の方を向いて、

「僕たちは、何もしていませんよ。廊下で騒いでいた生徒たちはいましたが、僕たちは見ていただけで何もしていません。」

と言ったのだった。


 しかし、それを聴いた先生は、

「見ていたのなら、なぜ止めなかった!」

とひと言だけ言って職員室へと去って行ったのだった・・・。


理不尽な思い

 僕たちは何か理不尽なものを感じて先生の後姿を首をかしげながら見送っていたが、ちょうどその時、次の時限の始まるチャイムが鳴った。

僕と友達の2人は、これは濡れ衣だと、どうにも腑に落ちない気持ちのまま教室に戻ったのだった・・・。


 確かに、廊下で何人かの生徒が他愛のないふざけ合いをしていたのだった。

彼らは、大きな声をあげたり、ドタドタと駆け回る足音などをたてて騒いでいた。

どうやら、それを誰かが先生に言いに行ったらしかったのだ。

しかし、先生がやって来た時には、彼らはもう教室に戻っていたらしく。

僕と友人と2人が、その騒ぎから少し離れた場所で、のんびりと窓辺に寄りかかり外の様子を眺めていたのだった。

それで先生は、僕たちを廊下で騒いでいた犯人たちと間違えたのかも知れなかったのだ・・・。


ショック

 これは、僕が中学生の頃の事だからだいぶ前の事だ。

当時、美術担当のその先生に、頬を殴られたことは少しばかりのショックだった記憶として今でも覚えている。

しかし、普段は大人しくて、丸顔で、体はちょっと太めで、まだそんなに歳ではなかったはずなのに頭には白髪が混じっていて、どこかクマのプーさんや、くまモンを連想させた美術の先生・・・。

先生は、中学生の僕から見ても、何となく他の先生たちとは違っていて職員室には馴染めないような雰囲気があって画を描く事が好きだった先生・・・。


 いま考えてみると、体罰や暴力を生徒に対して振るう事は、絶対に許される事ではない。

そして、生徒の話も聞かずに、一方的に僕たちだけに罰を与えた事もあってはならない事だ。

しかし、もしかしたら先生は、騒いでいた生徒を叱ることが出来ない事情があったのかなとも考えたりする。

例えば、PTAの会長の息子や地域の名士の子弟を、殴る事には後々問題になるかも知れないと忖度したのかもしれない。

それで、廊下で、ぼーと立っていた僕たち2人が、彼らに対しての見せしめとして身代わりに罰を受けさせられたのかなとも思ったりもする・・・。


 こんな事を考えるのは、僕がその美術の先生に対して何となく好感を抱いていたからだ。

そうでもないと、好感を抱いていた先生に平手打ちをくらったショックは和らがないからかもしれない。

だからと言って、僕は、その先生と特に親しく話したする事もなかったので。

ただ、何となくの話なのだが・・・。


 今でも先生は、画を描かれているのだろうか、それとも・・・。

今となっては、懐かしい思いで話である。

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(昭和っぽい画 秋野あかね・田舎の東京タワー アクリル画)

「ぼくの好きな先生」

 そんなことを書いていると、RCサクセションの楽曲に「ぼくの好きな先生」と言う曲がある事を思い出した。

ボーカルの忌野清志郎が、慕っていた美術部顧問であった先生をモデルに作詞した曲である。

高校生の頃から、彼は音楽志望でアーチスト願望があった彼と先生は同じ芸術家同士という事もあり本当に気が合ったのではなかろうか。

だから、彼はアーチストになっても、先生へのリスペクトを忘れずにこの詞を書いたのだろう。

 意思表示

そして彼は、戦争や原発問題に対しても反対していて、ちゃんとその意思表示をしていた。

この国が、このまま今のような指導者の下にいれば再び戦前のような国に成るのは分かりきっている。

なのに、その事に対して、反対や異議の声を上げない事は見て見ぬふりをする事で「見ていたのなら、なぜ止めなかった!」という事に成る。

日本がいつの間にか旧日本軍のような国に戻って、国民が、のべつ上の者から頬を張られるような国に成らない為にだ。


 その意味では、どこかクマのプーさんや、くまモンを連想させた美術の先生が僕たちに言った。

「見ていたのなら、なぜ止めなかった!」

という事が、今の時代に必要な事ではないだろうか。

 現在の問題

 学術会議の問題も、戦争に反対する学者たちを排除して日本を再び戦争を出来る国にしたい。原発輸出が全てとん挫した今は、武器の研究開発と生産をして海外に売りたいとの思いからだ。

オリンピック問題も、現在の指導者たちは国民の命よりも企業の利益の方を優先している。

命よりも金の方が大切などと考えて実行している国は、世界中でも日本とあと数か国程度で、そんなバカなことしている国は他にはない。


 このまま進めば、日本はあっという間に戦前のような国に成ってしまう。いや、この7年間でもうこの国は十分めちゃくちゃで、生きずらく生活しずらい大変嫌な国に成っている。


 この国を、戦争がなく、自由で人権が守られて、誰でもが笑顔で幸せに暮らせる社会にする。そして子供たちに渡す事こそが、今の時代を生きている全ての者たちの役目ではないのかと僕は思うのです・・・。

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この記事は、「みなみつきひ」さんの

「『不条理』という言葉を知って、ほんの少し大人になった」を読んで

昔の記憶を思い出した事により作成いたしました。

「みなみつきひ」さん、記事を書く切っ掛けをありがとうございました。

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昭和っぽいエッセー「中学生の僕と、RCサクセションの「ぼくの好きな先生」」

終り

コメント 2020-07-15 154257

2020.12.2  2.21時45分、修正

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