
音のない世界
3月3日 ひな祭り…でなく耳の日にちなんで
手話🤟🏻のことでも書こうかなと。
大学から始めた。きっかけは何だったかな、、、?
仲良かった友達から誘われたのはあるな。4年間どっぶりハマった。
サインみたいなものだけど同じサインでも表情で意味も変わるっていうのが初めの入りだった気がする。
地域の学生主体サークルみたいな所へ参加。
そこでは声を発さないというルール(以下声なし)が決められており、声は聞こえないのだけど、唯一聞こえるのは笑い声。
何を言っているか分からないんだけど、とにかく笑い声から楽しそうだなという雰囲気を感じられた。
最初は、何を言ってるんだろうと汲み取る(読み取る)のに必死。今思っている、この気持ち考えをどう伝えようかということに必死。
伝えるにも理解するにも表現方法(語彙や単語)を知らない。
うまく伝え合うことが難しいこのもどかしさって、めちゃくちゃ重要な気がして、そこに何かキーがあるような気がして。
全然携わらない人にとっては、ドラマがまた身近に感じられるものだろう。手話や聴覚障害のこととか出てくるドラマもあるなって思って全てを見てはないけれど、自分のなかの代表作はこの2つ。この2つが、手話ブームを巻き起こす発端になってたような気がする。
◎オレンジデイズ
手話が自然とコミュニケーションで使われてたけど、どちらかというと大学生ってこんな感じみたいな印象が強い。もう一度見てみたいな。
◎Silent
手話も出てくるけど、最近の技術も駆使しててっていうかコミュニケーションって、手話だけじゃないなって思わせてくれたドラマだったような気がした。
大学を卒業して10年 めっきり手話を使う機会も減った。手話通して、繋がった仲間たちとは今でも会うこともあるけれど、せっかく体験してきたことは、腐らせたらだめだなと思ったりもする。
先日、地域の手話サークルに顔を出してきた。数年ぶりに。大学4年間でしみ込んだものは残ってて、地元のおっちゃんおばちゃんよりはできる方というか、、ただ、そうだったなと原点に戻った時間だった。
伝わる 伝わった瞬間が目に見えて分かるのがまた良い。お互いの歩み寄りで成り立つコミュニケーションだなって思う。
たまにこの境遇に浸りたいとは思う。
本来、コミュニケーションってそうだようなって感じられる。
丁寧に向き合って、お互いの伝えたいことや想いを汲み取ることって大事だなって忘れてたことを思い出させてくれる場、瞬間だと思う。