見出し画像

しんどくなって、自然と復活したワケ。

4月から新しい仕事に就くにあたって、この機会にしんどかった記憶を掘り起こして、自分なりに紐解いてみた。

2023年、仕事でしんどくなった
この年の4月、心機一転でかなりモチベーションをあげつつかなりギアをかけていたのは間違いない。法人6年目 異動して3年目。やる気で満ち溢れていた。少しギアがかかり過ぎて飛ばし過ぎてのかもしれない。

その途中で、しんどくなった。だけれど、そこから自然と復活した。

それはなぜか?どちらもの要因や起因を考えることも、今後の自分にとって大事になる。もし万が一同じような場面がくるかもしれない。そんな時のためになると、しんどくなった職場の上司に言われた。なので、少し掘り起こしてみようと思う。

仕事をしていく中で、主に同僚に対してイライラすることがあった。そこには、熱量の差が大きかったように思う。先輩や後輩に関係なく、求めることが多かったのだと思う。当時の上司より、それが、能力なのか意欲なのか考えてみては?と。(当時、療育をしていたので、子どもに対しての療育の考え方を後輩にも充ててみた。)後輩の実力を踏まえると、納得せざるを得ない実力ではあったが、もう少し頑張ってくれよという想いがどこか収まらなかったのだろう。

人・子どもと関わる仕事だったからこそ、対人相手のストレスもあっただろうし、プレッシャーもあったかと思う。自分自身の伝達ミスだったり、保護者とのコミュニケーション不足もあって、失敗したことも自覚している。

年齢や経験重ねていくことで求められていることも増える。落ち込むこともある。もちろん、楽しいことや嬉しいことも中にはある。難しいことも壁に当たることも、それを突破していく所に面白さややりがいを感じていた。

ただ環境は、時にそうは思わせないこともあるなと実感した。人材不足、業務量だったり、辞めていく人が多かった年だった。後輩が辞めたり、パートさんが辞めたりと、とにかく春から夏にかけてめまぐるしく環境が変わっていった。そして、大きかったのは歳下ではあったけれど、同期の子が休職したこと。そのことが徐々に徐々に自身のモチベーションの低下を加速させたと思っている。

仕事や職場に対する愚痴や文句だったのか、溜まってたかのように息を吸う吐く余裕も自分自身与えないかのように仕事のことを兄夫婦にひたすら話すことがあった7月。その時点で、すでに兆候は出ていたように思う。

夏休みに入る前だったか、ある日を境に、完全に何もしなくなった自分がいた。というか、できなくなったのが正しい。徐々に仕事に対して、やる気というものが出なくなっていった。企画や新しいことをするよりも、目の前のことを地に足つけて向き合うってこと。現場を回したり、後輩指導をすることに重きを置かれた。やりたっかったことを職員減の状況の職場環境の影響であきらめざるを得なくなったのだ。ここで、一気にモチベーションというものが湧いてこなくなった。何のために仕事を頑張っているのかわからなくなったのである。

今思えば、診断さえ出ていなかったけど、認めたくないけれど、うつだったんじゃないかと思っているし自覚している。どこかで病院に行ってやるもんかという意地があったし、病院に行けばすぐに診断が下ってただろうという状況だったことが間違いない。日々が楽しくなくなった、最低限、会う人には会っていたけど、人にも合う回数や連絡も減っていた気もする。職場と家との往復に近かった。

そのタイミングの頃だったか、カジサックのしくじり先生を繰り返し見ていた。ナイナイ岡村とカジサックの対談動画やラジオを見たり、聞いたりしていたことを覚えている。一度鬱だったり、パニック障害になった経験がある人の話をを聴いてみたかったのかもしれない。対処法みたいな所と自分はまだ違うよな!と言い聞かせていたような感覚に近い。

同期の子が復帰したのも秋以降。同期の復帰までとにかく頑張る気持ちはあったけど、余力でしかなく。復帰が決まって戻ってくると分かった頃には、事態は最悪で、症状は悪化していたように思う。戻ってきたことがゴールになってたような気はする。

10月末のある朝、家のソファに寝転がり、立ち上がれなくなった。「行きたくない」と思わず声を上げた時、父親に「あかん!行ってこい」と言われた。その一言で、奮い立たせて職場に向かった。きっとあの一言がなければ家から出られなかったままだと思う。この日がピークであった。家でしんどさを伝えるようなことは言ってなかった。これが一人暮らしであったら、もっと早く白旗を揚げてたかもしれない。

その週に、上司と話す機会があり、辞めると伝えた。それまでに会社自体には退職の意向を伝えてはいた。

それを機にだったのかスッキリしたのもあるのだろう。プライベートも少しずつ充実していたのもあったかもしれないけれど、次第に復活していったし、いつの間にか吹っ切れていた。

辞めるという区切りがあったからなのか、そこからは春まで職務に全うした。途中で辞めるという選択肢は持たず、やり切った。意地もあり、それは恩を返すという意味でも働き切ったのだ。そんな自分を褒めてやりたい。

辞めると決めたのも、この状況が起因の一つでしかなかった訳で、もちろん、給与面や環境、キャリア、将来性など総合して判断した。状況が状況ならきっと続けていた選択肢もあっただろうし。

しんどくなった要因や起因
・モチベーションがなくなった
・職場環境 人材不足と業務量
・同僚や保護者とのコミュケーション不足
・プレッシャー
・同僚への過度な期待

復活したきっかけ
・プライベートが少しずつ充実していった
・かろうじて、人に会っていた
・いろいろなことを割り切った
・良い意味で諦めた
・辞めると伝えたこと

まとめてみたけれど、こんなもんなのではないだろうか。

自分自身のメンタルが弱いことは自覚しているし、それをどう自身がケアしていくかが重要なんじゃないかなと思ってる。そして、ワークライフバランスは大事。自分がしんどい時と調子がいい時がどんな時かを理解していくことはもっと大事。

つらつらと書いてみて、書いているうちに思い出すこともあった。なんとか今日も元気で過ごしていることは、奇跡かもしれないけど、人に恵まれて助けられているおかげだと思っている。ありがたい。しんどくなった自分も受け入れることで、先に進みたい。

少しでも共感してくれた方、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました🙏






いいなと思ったら応援しよう!