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いっぱいいっぱいの日

出だしはよかったのになぁ、なんて思う。正直、今日も不安満載で稽古場へ向かった。しかし、前回の稽古で言われたことは、出来ていたとは言えないにしても、悪くはなかったのではないかと思う。調子も良かったはずだった。ただ、出だしに少し調子に乗ってしまっているときは、大体後半にかけて失速するのだ。

稽古が終わった後の自主練の時間にて、なんだか周りの人の嫌なところに目がついて、それを言わないように自分をなだめていた。それも1度や1人ではなかった。多分たまたま、私にそれが集中した、というか、私が察してしまっただけだし、そもそもの私のメンタルの調子自体良くなかった。タイミングが悪かっただけだ。今回の主役の子が気にかけてくれて、終わったあと声もかけてくれたが、私としては何も言わず、ただ顔が死んでいるだけ、という状況をキープするのに疲れてしまっていたし、話したくても話せる状況でもなかった上に、たとえ話したとして、私の中の問題。黙っているのが1番良かったのだ。今不和が生じる方がまずい。ということを考えて、自分を落ち着かせた。本当は、誰かに話す勇気がなかったというだけかもしれないが、誰にも言わない、というのがそのときの私の精一杯だった。

人って言いたいことが言えないとそれだけで疲れるし、なんだかいっぱいいっぱいで涙も出てくる。今日は稽古場に最後まで残っていたのは私だった。いつもだったら誰かが帰るタイミングで帰っていたし、最後に稽古場で1人になることもなかったが、なんだか今日は1人になりたかった。静かな空間で黙々と衣装作りの手を動かしながら、これみよがしにレ・ミゼラブルの夢やぶれてを歌った。どうせ誰もいないし、聴いてない。だから少しだけ心に正直になれたような気がする。

散々だった私に追い討ちをかけるように、作業中にこの間アルバイトの面接を受けたところから、合否の連絡があった。結果は不合格。私は小さく絶望してしまった。
自分で働いて生活費を賄いたいのに、その場所が一向に手に入らない。もう面接も結構な数落ちてしまっている。ここまでくると、本当に私は社会から必要とされない人。それどころか、みんなが当たり前にできていることが、私にできていない時点で、私は自分が人間ですらないような気さえしてきた。帰り道、何度も泣きそうになって、なにか良くない流れができているようで、藁にもすがる思いで帰り道にある神社に寄った。
専門学校に通っていた頃からたまに足を運び、オーディションのとき、不安になればよく来ていた。誰もいない夜の神社は、なんだか肺が揺れるような神秘さだった。お賽銭を入れ、手を合わせるとき、少しだけ耐えられなくなって涙が出てきた。上手く神様に届いたかは定かではないが、ほんの少しだけ、気持ちは楽になった気がする。

また金銭的なことで母に連絡しないといけないかもしれない。情けないが、後で大変なことになったりする方が怖い。腹を決めないと。

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