体調不良と人生な日
おはようございます。って言うには夜すぎる。寝たのは多分朝の五時頃。それでも午後二時半くらいにはベッドから出た。起きた時に気づいた。なんなら寝る少し前には気づいてた。喉が痛い。風邪をひいたときのあの感じだ。
今日はまず洗濯して、足りない日用品を買って、可能なら可能なだけの片付けをしようと思っていたが、身体がダルすぎて何も出来ない。ぼうっとしていたらこんな時間になっていた。昨日雨に濡れて帰ったのが良くなかったのか、ただの風邪だといい、とは思いつつ、そういえば身近にコロナになった人がいたな…嫌な予感がするので明日にでも病院に行こう。
久しぶりに部屋が静かな時間だと思った。私は基本何かしら音がないと落ち着かないので、YouTubeだったり、ドラマや映画などを常に流している。しかし今日はアニメを一本観ただけで、体のダルさに負けて床に横になった。そして脇に挟んだ体温計の音が鳴った。37.3度。この前微熱の話を書いたと思うが、ほんとに微熱が出た。休む理由を探していたくせに、いざこうなるとやっぱり身体がしんどい。
何か書こうと思って、何か面白いことがなかったかと頭の中に検索をかけて、思い出したことがある。
この前三軒茶屋の喫茶店に行った時に、隣に大学生と思われる女の子二人が座っていた。就活がどうのこうのと話していたが、いきなり片方が「もう人生飽きた」とこぼした。すごいこと言うぢゃん!?なんて思っていたら、もう片方も「ほんとソレ」え、そーなの!?たまたま聞こえてしまったが二人は二十一歳だそうな。
飽きるには まだ早くない? 最上川
…いけない脱線して川柳ができてしまった。なんだ最上川って…。二人は就活前の旅行の話をしているようだった。楽しそうな会話が聞こえてくる。
「もう人生飽きた」その言葉にどんな意味が込められているのか。飽きるほど、色んなことを経験したのか、飽きるほど、毎日が同じことの繰り返しなのか。当人達は「もう二十一歳だ」と残念そうにしていたが、やっぱり「まだ二十一歳」だ。気持ちはわかる。十代から二十歳になったとき、二十歳から歳を重ねるとき、なんだか年齢だけ聞くと、自分が歳をとったと老け始めたように感じる。特に私なんかは周りと遅れて進学した分、クラスメイトは年下ばかりだったので、自分のことを「おばちゃんはねぇ、」なんて言ってふざけたものだったが、そのうちそれが当たり前になっていた。だから先月二十五歳の誕生日を迎えた時に、「あぁ、私ってちゃんと若かったんだなぁ」とか、「もっと気持ちも若々しくしておけばよかった」なんて思ったのだ。気持ちだけ「おばちゃん」を先取りしてしまったのではと、なんだかもったいなかったように思ったのだ。どうせこれから先だって、三十歳になれば「二十五歳は若かったなぁ」なんて思ったりするし、生きてるうちはきっと繰り返すのだ。だったら「二十五歳は若かったなぁ」と思い返した時に、もったいなかった、なんて思わないように、今ある若さを楽しめるだけ楽しみたい。それこそよく聞く言葉だが、結局「今が一番若い」ということだ。「もう人生飽きた」と言っていた二十一歳の女子大生達に声を大にして言いたい。たとえ今までの人生で色んなことを経験していたとしても、それを超える経験がこの先あるかもしれない。毎日が同じことの繰り返しでも、その生活だからこその幸せを知ることが出来るかもしれないし、はたまたガラッと変わるかも。「飽きた」なんてきっとまだまだだ。そういうときはだいたい現状に不満があるときだ。これから、これから。しかし自分が死ぬ時には、「もう人生飽きた」という言葉を使えるくらいに、人生を楽しめたらなと思う。
「声を大にして」 とは言ったものの、喉の痛みでそんなことはしばらくできそうにない。食欲はないがお腹が空いた。おかしい、ご飯は食べたはずだ、と思ったらもう七時間くらい前の話だった。とりあえず何か食べて、大人しくしていようと思う。