山田美也子 写真集「遺作」についての感想
私は写真そのものに価値があるとは思っていない。
どれだけテクノロジーが発達しても人間の目に勝るカメラは存在しないからだ。じゃあ写真の価値とはなんぞやと言われたら、私は付加価値がついているか、ついてないかって答える
たとえば自身がどこか旅行に行ったとして、美しい風景や観光名所を回れば、とりあえず写真に撮ろうとは思うだろう。まー近年はそんなこともしなくなってるんだけど、とりあえずはスマホでもカメラでも大抵の人は撮るものだ。それは記録としての写真ということになる。だからこれは写真に自身の記録という付加価値がついている。
綺麗な女性のポートレートには綺麗な女性という付加価値がついてるし、ヒマラヤの山頂の写真は普段行くことのない場所という付加価値がついている。そう、写真には必ずと言っていいほど何かしらの付加価値がついている。大抵は。何かしら。そこに自分が好きな付加価値がついてるかついてないかの話。
本作「遺作」について第一に私が思ったことは、前述に記したわかりやすい付加価値が感じられなかったことだった。スキャンダラスな面も特別な場所も広告性も自身の技術ですら、ホントに何もなかったのだ。なんだこれはと。率直な感想だった。
写術表現という部類なんだろうが、それでも見せ方に、特別、奇をてらってるわけでもない。小難しい手法を用いてるわけでもない。普通こういうのはどこか説教くさくなったり、暗に解説だったり、伏線だったり、作者からの挑戦状だったり、意図するしないに関わらず、ヒントや作者の思いみたいなのは隠されているものなんだけど、自分は本当に感じられなかった。わかるとか、これはこうだよだよね?とかマジでひとっつも思わなかった。
「なんか言ってよ」って何度言っても、何も答えずただシャッターを切る音だけが聞こえる。
そういう写真集
第二に自分が感じたことは重い。重さだった。それは感覚でいう使われる重さとはちょっと違って、写真集、そのものの質量が重い。ありえない話だが、同じ紙質、ページ数、印刷所。全てを「遺作」と同じにして重さを量ったら「遺作」のほうが15グラムほど重いんじゃないか?って思う。ほんとあり得ない話だけど。誤差の範疇ではない。なんか気みたいな、良く人間が生前、死後、で体重を量ると死後の方が、生前に比べて軽くなるという話。
そんな類のような話。
そんな類のように感じる写真。
とっちらかってしまった。まだまだわからない。何回も開いてしまう。
言葉を使うのって不安だからだと思うんです。伝える手段としてこれ以上のものはなくて、だからこそ意図してない伝わり方もするんだけど。言葉って文字だけのものではないから。写真にだって言葉は乗るし。彼女の意図する所は絶対にあると思うんだけど。撮りためてた物からの抜粋という文字通り「遺作」ということなんだけど。
この作品以降、きっと彼女の写真が変わると思うんです。それは、勝手に自分がなんとなく思っただけで、でも断言出来るような気がしてて、
想像を絶する旅だったのではないか
ただ
やっぱり
彼女のことを何も知らない
量れない
俗にいう魂の重さ。
医師ダンカン・マクドゥーガルの実験で実証された、魂の重さは21グラムだそうです。
わかろうとした。彼女の魂の重さを
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