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【マイアミ移住4周年】4年目振り返りの巻

Hola〜!
お久しぶりにこのNoteに来ました!
ただいま絶賛ニートな私!!!!笑 と言うことで時間を使って書き溜めていたものを一気に出していきたいと今月は思っています。(実は結構下書きで溜めているものがあるのです。)

今回約1年ぶりの投稿一発目はマイアミ移住4周年記念!
毎年2月(2020年の2月に移住したため)に1年のまとめを書いていましたが、今年はまぁ、初めての会社員をしていた(4月で辞めました)こともあり、ドラマが多すぎてここまで辿り着けませんでしたので、ちょっと遅いですが今書いてみようと思います。

*過去の記事はこちらから



最大の成果
1年間、マイアミで会社員、マネージャー職をやってみたこと!


とにかく2023年はこれに尽きるかと思います!!むしろこれ以外にない!
なんて言ったって、、、はるか予想を超えた地獄でしたっっっ!!!!笑
アメリカで、マイアミでマネージャーやるのってこんなしんどいのかい!(これはもちろん勤める会社によっても違いますが、日本で働いていた人から言うとベースでやばいところも沢山あります。笑)て感じでもう初月から最終月まで、ドラマ満載の職場でした。これはもうネタが満載なのでまた別途に書こうと思います。

まぁ、辞めた時は悔しさもありましが、とにかく自分にお疲れ様って感じで、1年よく頑張ったと勝手に褒めています。笑 約2ヶ月たった今でも、思い出すシーンは山ほどあります。
毎日感情を穏やかに沈めるサプリ(怪しいものではないです。笑)を朝に飲んで出勤し、念のためにバッグにもそのサプリを携帯ピルケースに入れたり、あまりの「あり得ない珍事件」に何度かパニックで呼吸が上手くできなくなったこと(いわゆる我慢の限界値に来て頭のお湯が沸騰しているのに職場なのでクールに白湯のように対応しなければいけないと言う環境)もあり、アロマオイルを嗅いで、胸をドンドン、バシバシと叩きながら深呼吸しながら職場に行ったり、ランチ休憩をとったり、、、笑
今は笑えますが、それくらい自分の許容範囲を超えた毎日に耐えていた部分も大きく、毎日「何か」と「誰か」に頼りながら働いていました。

この一年、沢山美味しいご飯を作ってくれたジャン🙏🏼

「誰か」と言うのはもちろん最初に来るのはジャンです。笑
店舗マネージャーなので、夜10時ごろに帰宅するのですが、その後に泣きまくったり、愚痴をぶちまけたり、、、途中からあまりにエネルギーを仕事に奪われ、休みの日もぐったりして家事もろくにせず、ジャンがこの1年で主夫レベルが格段に上がってしまった、と言う結果に。笑
ジャンにも途中で「アスキ、僕も仕事しているし、夜遅くにその話を聞けない」と言われ、喧嘩をして、じゃあもうプロに頼るしかない、とライフコーチングも頼みました。
ただその彼女にも本来のプランの半分も終わらないうちで「あなたのエネルギーは正直重い、もう見れません」と途中でお金を返金されて切られてしまう始末。確かにそれくらい重かったと思います。笑
彼女は私の10年来の友人で唯一私のアメリカ生活の過程を知っていた人物でもあったので、コーチと共に友人も失ったのでした。
その時は本当にお先真っ暗な感じでしたが、それが9月ごろで結果そこから7ヶ月、ジャンが全てを守りきってくれていたので、1年が潮時という感じでもありました。

私は昔から仕事に没頭しがちなんですが、今回結婚してから初めてのきちんとした仕事で、「夫婦の妻やパートナーとしての立場や業務」と「仕事やキャリア、自分の世界を確立して突き進みたい自分」のバランスを取るというのは初のテーマでした。そしてそれがとっても難しかったぁぁーーー!!!
独身の時は帰り際にスーパーやコンビニで何か買って、帰ったら顔洗って食べて寝ればいいって感じが、結婚すると毎日レンチンのご飯というわけにもいかず(しかも車がないからスーパーにも簡単に立ち寄れないし、店も閉まっている時間)、相手を思い遣ったり、気を遣ったり、ということに気持ちはしたくてエネルギーが全然残っておらず、挙句ジャンに
「もう少し家事とか手伝ってほしいな」なんて言われた時
には
(私のすさまじい目力でジャンを睨みながら)「言われなくてもわかってるよっっ!私だって必死に頑張ってるんだよぉ!!!コノヤロー!!」と小学生の子供が母親に宿題やったの?と言われた時のレベルの低さで逆ギレして、、、ということを何度も繰り返していました。(ジャン、ジャイアンみたいにキレてごめんね、、、笑)

日本にいるときは楽しすぎて悩みなんか0。笑

仕事を辞めて、日本に1ヶ月ほど滞在してからマイアミに帰国した時も、フワフワして1週間くらいは楽しいのですが、あまりの過酷な環境から急に何もなさすぎて、今度は毎日何もない、仕事がないということに毎日の意義を見出しきれず、また急にパニクリだす自分。(どんだけドMっていうか、阿保っていうか、、、私もこの自分を救えません。笑 )
意味もなく不貞腐れている私を見て、滅多にキレないジャンもついに堪忍袋が切れて「アスキは結婚生活する気あるの?!自分の夢とかキャリアとか、、、やっと自由になれたのにまだ結婚に片足しか突っ込んでないじゃん!何かしら理由見つけて結局抜けたいんじゃない?!結婚生活続けたいの??そう思えない!この半年くらい自分のことしか追っかけてないじゃん!俺だってアスキがキャパオーバーだから全部一人で抱えて、アスキを支えて、孤独だったんだよっっ!2人でやっていく、サポートする気ないなら俺のことを切り捨ててくれ!」と言われてしまい、心にグッさりと刺さって、チーンとなりました。
そしてその言葉にどう返せばいいのか悩みもしました。
悩んだ結果、ジャンが求めているものが痛いほど分かりつつも、何度考えても自分が「妻と自分の世界の両方」が欲しいのです。
結婚したから2人で歩んでいくことに意義がある、2人で時を刻んでいくということはもちろん大切なことだと思っていて、それを「一緒に」しなければ結婚する意味なんて本当ないよなぁ、と思っているのでそこは諦めるつもりは全くありません。
ただ妻である前に個人の自分がないと私は私でいられなくて、それをアメリカに来て同時にチャレンジしなければいけない私(もし私たちが日本で結婚していたら個としての自分の世界はここまでぶれなかったので)、この2つの世界をこの条件下でも50・50のイーブンで欲しい私は夫婦や結婚生活の役割分担やバランスを取るのは相当むずかしいな、と思っています。もしくは一生出来ないものなのかもしれません。

今も2ヶ月ほど経って、また振り出しに戻った気分でもありますが、そんな「全力投身しばらくして、やってらんねぇ!って匙を投げて一気に腑抜けになる」みたいなサイクルもこの4年間、なんかルーティンのようになってきています。笑(私やばいですよね、、、知っていますよ!笑) 
私は腑抜けな時間には「クリエイティブ」になれるので、今度は「アーティスト」としての時間に切り替わっていて、ポケーとしながらこうやって書いてみたり、何かを作ったりするオタク時間もサイクルの中で大切だなぁ、とは今感じています。
1年仕事全力でして6ヶ月くらいニート。すっごい残業しながら働いた後の今は、アラームもかけずに毎日朝もゆっくり、昼寝までしちゃって、、、そんなサイクルも悪くないんじゃないか、と最近開き直ってきています。
この贅沢は紛れもなくジャン様のおかげでもあるので、私もジャンが帰って時は「おかえりなさぁーい!ご飯にしますか?それもとシャワー浴びますか?」なんて、昔のドラマのようにやってみたいですが、考えるとゾクゾクするので出来ないでしょう!!笑
ニートでも背伸びしないで、「家事する気がある時にしよう」くらいでいいや、と変なタスクやプレッシャーを自分に課せないし、それを悪いとも思うのもやめよう、と思いました。

今日から6月で、ジャンは「アスキのバースデー月だね!」と言ってくれたのですが、「えっっっっ!!39歳になる、30代最後でNo Jobのバースデー、、、それやばいっしょ!!!!」と言って、このフレーズに半分は本当にヤバさを感じ、半分はもうバースデーまでに仕事をし始める可能性はないので笑うしかないという、4年にして多少なりともしょうがない、みたいな飲み込める気持ちは大きくなって、これでも辛抱がちょーっっとばかりできるようになってパニック発作とイライラ発作は少しレベルが落ちたのです。

日本の宝です。

余談ですが、ふと美空ひばりの「川の流れのように」を聴きたくなり、携帯で聴いたのですが、やっと40歳手前でこの歌詞が心に響く年齢になったようで、号泣してしまいました。
美空ひばりの歌唱力に圧倒されながら、「あぁ、自分の人生、私は川なんだぁぁ!!!OMGGGGG(オーマイゴッド)!!!!」と自分を川に置き換えて号泣した自分、そんな気持ちでこの4年を締めくくり、5年目は(もうすでに一年の半分が終わろうとしていますが!)「ゆるやかに」「愛する人 そばに連れて」「おだやかに この身をまかせていたい」と思います。

あぁ〜川の流れのように〜
いつまでも
青いせせらぎを聞きながら〜

ではまたすぐに!!
Hasta Manana(アスタマニャーナ,また明日)!




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アスキ (Sookiebloom)
マイアミにいて、アーティストとしての夢の実現のために日々精進しているので、応援したいな、と思う方、是非応援お願いします~! 皆さんのサポート無駄にしないよう頑張ります!