入管と私の家族と外登証② ー家族の在留資格のことー
私の家族と在留資格(その①のつづき)
再び個人的な話になるが、私の家族の在留資格の話をしたい。
私の母は、ニューカマーなので現在「永住者」という在留資格である。そして私の兄も「永住者」という在留資格である、つまり特別永住者である私の在留資格とは兄は異なる。
では同じ兄妹なのに何故、兄は「特別永住者」ではないか?
それは、兄が韓国で生まれ生後半年で母と一緒に来日したからである。
かいつまんでその経緯を書きたい。
私の父は、祖母や他の兄妹は全員韓国へ帰国する中、戦後ひとりで日本に残った。何故かは分からないが、祖母と父は縁遠くなってしまったようだ。
そして父が恐らく40歳頃のこと、帰化を決意し専門の人に書類を全て揃えてもらい、あとは提出するだけという段階になって初めて父は自ら故郷の母と兄妹を訪ねたようである。そして結局その時、涙の再会になり帰化はとりやめ、又身内のすすめで、隣の村の私の母と見合いをし、すぐに韓国で挙式を挙げた(勿論母が日本に来日する事を前提とした結婚だった)。そしてすぐに兄を授かったようである。
韓国で挙式を挙げたのは、当然互いの親類が韓国にいたから、いや韓国にしかいなかったからだ。そして父は、何十年ぶりに再会した父の母や身内が故郷で非常に貧しい生活をしていたので、日本で借金し親孝行のつもりで、家や畑や牛を買ってあげたようだ。そういった事情でお金がない事もあって父は、(私の)母をすぐに呼び寄せられなかったという事もあり、加えて又、身重の母がいきなり日本にきて出産するのも大変だろうという事もあり、私の母は韓国の実家で兄を出産、生後半年になるまでは韓国で育て、そして約半年後父が、母と兄を迎えにいき日本にきた。ざっと話すとこういう経緯である。
結論から述べると、私は、兄が「特別永住者」の在留資格をとれない事に、昔からとても心苦しい思いでいる。調べてみると、父親が特別永住者で、母親が外国人である場合、事前に母親が日本の在留資格をえていたならば子どもは国外で出生しても、特別永住者の資格を得れるようだが、母親が事前に日本の在留資格をもたずに国外で出生した場合は不可のようである。
兄は、この法律の網の目から漏れた存在だといえる。
もちろん何某かのルール規定は必要なのだろうが、私はこのルールに不服をもっている。
何故なら、父は一度も日本の住居を引き払ったこともなければ韓国に住んだこともなく、ずっと日本で生きてきたのだから。
初めて韓国の故郷に何度か通い(短い滞在を何度かだ)、韓国で母と挙式する、子どもが授かるも生後半年で母と兄を呼び寄せただけで、旧植民地出身者とその子孫がもつ「特別永住者」の在留資格を、私と同じ父の子である兄が何故もてないのか?私は長年どうしても納得ができないでいる。
日本政府は一体何を懸念してこのようなルールを設けているのか理解できない。(国籍に関しては血統主義なのに、何故ここにおいて頑なな生地主義なのか?)
1920年韓国併合から日本と朝鮮半島では、多くの人が行き来し、そこには海をまたがる人々の「生活圏」が存在していたし、戦後残った60万人の在日朝鮮人は植民地支配という歴史的経緯をもつ存在である。
ひとりの人間の「人生」というストーリーを想像すると、私の父のようなケースも想像に難くないはずだ。
何も特別扱いしろと思っていない、ただその「歴史的経緯」(旧植民地出身者である父)」を踏まえた在留資格を父の子である兄にも、私は与えてほしい、ただそれだけだ。
そして、ひとりの人の人生や生活というものをリアルに想定・想像して法律を決めてほしいのだ。これは今の外国人政策全般に対しても勿論そうだ。
私でさえそう思うのだから、戦後、歴史的経緯を不問に「強制送還」対象にされ、「非正規滞在者」のまま少なくない在日コリアンが生きてこられたと思うが、その人々にとったらこの悔しさはどれ程だろうか。(実際、阪神淡路大震災で亡くなったとされる人々の数には入れられていない在日集住地の神戸長田で亡くなった「非正規」滞在状態で生きざるをえなかった在日コリアンの人々がいたという事も耳にした事がある)
もし交換できるのなら、私は兄と在留資格を交換してあげたい。(そんな事はできないが)
何故なら70年代80年代に在日コリアンとして子ども時代を過ごす事は、やはり辛いことやマイナスな事の方が色々と多かったから。
中学校の進路指導で先生に普通に、「(差別があるから)医者か弁護士になった方がいい」「将来は就職差別があるから勉強を頑張るように」なんて言われる時代である。(兄と私の実話)
これまで、私は父がもう少しきちんと事前に法律を知って手続きをきちんとしてあげていたら良かったのにと父を少し責めるような気持ちをもったことも度々あるが、でもやはりおかしいのはこの法律の方でないだろうか。
(せめて国外で出生していても1年以内に渡日していたならば、遡って「特別永住者」の在留資格を申請できるようするべきであると思う。)
明確には記憶していないのだが父の死後、外登証に記載された母の在留資格は確か「特別永住者の配偶者」から「定住者」の在留資格になった。
兄の在留資格はその時、特別永住者の子だったのか?これまた記憶は曖昧なのだがとにかく父の亡くなった98年から数年は、まだ「永住者」ではなかった。15-17年ほど前、母と兄の「永住者」申請の手続きに入管に3人で行ってそれではじめて母と兄は永住権を得たのだ。
私はとても不安になりながら入管にいったのを覚えている。母と兄の在留資格の変遷をきちんと調べずにここに書いて恐縮だが、2人同時に永住者資格をとった事は確かだ。来年2022年ちょうどまた母と兄の更新年で3人で入管に行く事になるから、又調べられるのならその変遷を確認してみたいなと思っている。
このように、在留資格によってとても不安な思いや忸怩たる思いを在日コリアンとして私は抱いてきたので、今多くの外国人の人が、その在留資格によってとても厳しい状況に置かれたり、不安な苦しい思いをしている事にとても、心を痛めている。
在日コリアンの自分と、ニューカマーの人々への思い
今年3月に起きた、スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが入管施設で死亡するという痛ましい事件。次々と明るみになる入管収容施設での人権侵害の実態と入管行政の制度的問題。多くの市民が、関心をもち怒りの声をあげてくれた事とご遺族の弁護団による精力的な活動の結果、証拠保全の申し入れが裁判所により認められビデオがご遺族に開示される事になったようだ。(決して入管自らの動きではない事を改めて付け加えておく。)
取材・報道されてきた記事などに目をとおし、他の多くの方がそうであったように私も何度も怒りを感じ、くやしい思いをしてきた一人である。
市民の声が大きかった事に何とか少し安堵する共に、同時に市民が声を挙げなければ、入管や政府はこの事件を簡単に闇に葬っていたに違いないと私は思っている。
ここ2.3年、新聞で「入管」という言葉を見た時、ドキっとし、「入管」施設での事件を伝える記事を何度か目にし読んだ。今年、改めて知ると、それらはあの事件だったのだなと振り返っていた。
また2019年NHKで放映されていた「ノーナレ」という番組で、技能実習生であるベトナム人女性がその惨状を訴えていた番組もその時リアルタイムで見たが、何だかとんでもない事が起こっているとその時衝撃を受けたのも覚えている。だがしかし結局私は、自分の日常に埋もれ、それ以上後追いも深追いもせず、普通に過ごしてしまった、そんな自分に今とても罪悪感を感じている。
今年、在日コリアンの歴史を改めて勉強しなおしていた事と、そして現実的にいま起こっている入管での痛ましい事件。難民認定率の低さや外国人労働者の人権が守られていない実態を知れば知るほど、苦しくなる。
「日本政府よ、在日を差別するだけではまだ足りないのか!」思わずそんな言葉すら胸に浮かぶ。
戦後、在日朝鮮人たちを監視・管理し取り締まる為に出来た法律がずっと、温存し続け、その間も在日コリアンはそのような社会的位置にいた事、そしてその地続きに今、ニューカマーの人々や難民申請をしている外国人の方々が多く日本におり、命を脅かすような逼迫した厳しい状況に置かれているという現実。
ふたつの当事者性
ひとりの在日コリアンとして私は、これらの問題について同じく虐げられてきた歴史的経緯の痛みをもつ「当事者」としての思いと、他方、この日本社会を生き、選挙権はなくとも市民として「社会を作る側」の、このような事を結果的には容認してきてしまっている側として責任をもつ「当事者」として抱く思い、その両方の「当事者性」を私自身はいま強く感じている。
多くの厳しい状況で働いている外国人の人々を思うとこの日本社会で自分は経済的・構造的に間違いなく搾取している側の方に入っている。まだまだ知らない事が多いので、もっと自分から知っていかなければいけないなと思う。
「当事者性」。もちろん単純に二分化できるわけではないが、私は自分のこのふたつの「当事者性」をこれからも大切にしたいと思っている。
そして日本社会に生きる以上、誰もが当事者であるともいえる。
先日、世界11月号でジャーナリストの安田浩一さんが、「絶望の収容所―入管施設とその戦後史を歩く―」と題した記事を書いてくださった。そこには、先ほど述べた戦後の在日朝鮮人たちを取り締まる法律として現在の入管法が成り立っている事、またかつて「朝鮮人収容所」と呼ばれていた大村収容所のことを取材して丹念に書かれている。(現在の入管収容施設の原型ともいうべき大村収容所は、「自殺」「自殺未遂」といった事件に満ち満ちていたことも資料から明らかにしてくれている。)
私は安田浩一さんのこの記事を読んで、とても救われる気がした。
ひとりの在日コリアンとして思うことは、やはり入管行政やその非人道的な側面をもつ外国人政策に関心が高まっている今だからこそ、そのうねりの中で(その後でもいいから)、やはり在日朝鮮人が歩んできた歴史についても、ひとりでも多くの人に知ってほしいということだ。
ウィシュマさんの死亡事件という痛ましい事件と同時にこのような事を発するのは何だか不謹慎なのでないかとも思ったりしてしまったりしたが、いや、やはりそうではない。根は同じ問題なのだから。
今回のことを通じて、まずはウィシュマさんの事件について徹底的に真相究明されるとともに、ブラックボックス化した入管行政の抜本的な見直しを今後すべきである。また技能実習制度の見直しは勿論、難民認定の緩和、仮放免の人々への医療の保障など検討し(仕事を禁止するなら当然のことだと思う)、排除の姿勢ではなく外国人をともに地域で生きる「生活者」としてみる制度や社会の醸成に努めるべきである。
それと同時に、ひとりの在日コリアンとして願うのは、今回多くの市民が、日本における外国人の人権侵害の実態を知ることになったからこそ、今まであまり在日コリアンの事を知る機会がなかったという人々には、戦後からずっと日本には多くの在日コリアンが隣に生きてきた事、また日本で置かれてきた処遇について少しでも知ってほしいという思いがやはりある。私たちの事を忘れないでほしい。国籍差別、指紋押捺、1世の無年金問題、今あるヘイトスピーチや朝鮮学校への制度的差別、加害の歴史を矮小化・歪曲化する日本政府の動き、等々書ききれないほど沢山のテーマがある。長年に渡る裁判闘争などをえて、ようやく勝ち取ってきた権利も多い。
色々な不条理の中、本当にずっとずっと声をあげてきたのが在日コリアンの歴史であり、それは日本の歴史でもあるのだから。(またその中で、当事者と共に長年闘ってくれ、自分の問題として取り組んでくれた日本の学者さんや市民活動の方々の存在がいる事も又知ってほしい。)
今、日本は転換点にあると思う。
外国人政策はもとより、それ以外の例えば、赤木さんの事件をみても、また日本のコロナ対策をみても、マイノリティに対する政策をみても、ひとりの命・人生を大切にするという当たり前の事がもはや前提となっていないのが、現在の日本だと思う。
私は政治や経済の事は勉強不足で語れる人間ではないが、このコロナ禍において、マイノリティのみならず、多くのマジョリティの人々も生活に困窮を強いられている人が沢山いると思う。そのような厳しい閉塞感のある社会の中で、その怒りの矛先が例えば生活に困窮している外国人労働者やその他の社会的弱者やマイノリティに向かう事が決してないよう強く願う。
政府や行政が、本当に困っている多くの人々への具体的な支援をすべきであるが、どうもそのような人々の声に耳を傾けているとは思えない。
厳しい目を向け訴えるべきは、声をあげるべき対象は、お上の日本政府である事を声を大にして改めて言いたい。
最後の結論にするつもりはなかったが、10月31日は、衆議院選挙である。
改めて今の与党が「大切な一人一人の人生を大切にしてくれる政党か?」今一度厳しく問うて、投票権がある人はこの社会を作る「当事者」として、その大切な一票を自分のために、誰かのために、未来のために投じてほしいと切に願う。
以上、長いものをお読み頂いて有難うございました。
(※自分の家族の在留資格について書きましたが、もし何かご自分の在留資格の手続きをされる方がいらっしゃったら、個別具体ケースで法律が異なると思いますので必ず専門家の方へご相談し調べて下さい。)
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【お時間ある方はもう少しだけお読み頂きたいです!】
① 「絶望の収容所―入管施設とその戦後史を歩く―」より一部抜粋
(世界11月号 ジャーナリストの安田浩一さん)
大村収容所は長きにわたり「刑期なき獄舎」「監獄以上の監獄」とも言われてきた。強制退去されるにせよ、仮放免で出所できるにせよ、その判断も時期も被収容者にはまったく予測がつかないからだ。いや、そもそも収容期間に関して、法律では何の制限も設けていない。それどころか司法が全く介在することなく、人間を拘束し、自由を奪うことができるのが、入管というものだ。「監獄以上」の施設が絶望を与えないわけがない。
② またこんな記事をネットで見つけました。「参議院ホームページ」より
⇒第15回国会1953年3月2日 当時共産党議員であった兼岩傳一氏から、参議院議長への質問主意書
「在日朝鮮人の強制送還に関する質問主意書」
大村収容所及び鹿児島収容所に収容されている「数百名の収容者の氏名と収容理由」を、当時の入管が公開しない事(とんでもない事だ!)や、収容所での、物資の不足や外部と連絡や面会の許可すら厳しいことも指摘している。
(この質問主意書に対する、回答もサイト内で閲覧する事ができるが、回答はご想像どおりだと思う)
③ 本とサイトのご紹介
是非この本(「ウィシュマさんを知っていますか?」を買って、(辛いだろうけれど)私も読みたいし、収益が仮放免の方の支援にもつながってほしい。またアンケートハガキで「ゆっきー舎さんのマンガをもっと読みたい」などの声を届けると、入管への面会や仮放免者との交流マンガ本の発刊に繋がるかもとの事で、是非それを望むものとしてハガキを出したいと思う。
またゆっきー舎さんは、noteにも入管や仮放免者の方々についてマンガつきの記事を書いてくださっている。(入管については「考える部」中に纏めて記事あり)
入管問題について具体的にわかりやすく知れるのと同時に、ひとりの仮放免者の方の姿を身近にイメージしやすい内容になっている。また仮放免者の方の出身国の事や文化や料理などを伝える内容もあり、「今日本にいる仮放免者」という視点からだけでなく、出身国や文化や色々な思いをもつ私たちと同じ「人」という事を伝えてくれており貴重な内容だと思う。そういった視点で、ひとりの人を知る事がとても大切だなと思っている。