母校訪問の路。
今日はちょうど大学が入学試験のため休校になったので三年前に卒業して以来、久々に三重県の全寮制の高校に訪問に向かった。途中まで友達の車に乗せて行ってもらう予定だったが途中でタイヤがパンクし、そこから一時間半かけて上り坂を登って行った。初めて高校までの道(3kmずっと上り坂)を自分の足で歩くこともあり、そこで見た景色は一瞬で私の好奇心を刺激した。
11月10日(金)13時20分。雨上がりということもあって霧が濃くなっていた。まるで外の世界から運ばれてくる情報を遮断しているかのような濃さだった。現在の私の視線からは「外界から訪ねてくる者の訪問を拒んでいる」かのように見えた。同時に高校時代に感じていた、実家で送る日常と寮生活の境界線が敷かれているような感覚を思い出した。自分のやりたいことだけができる。嫌なことから逃げられるようなそんな理想の生活を忘れさせ、自律した生活が将来できるようにという意図で組まれた全寮制というシステムに縛られながら生きている生徒の本心を閉じ込めるように景色に蓋が閉められていた。
学校の正門に到着すると自分が卒業した時のことを思い出した。ルールに縛られその通りにしか行かない周りのリズムに違和感を感じるとともに、そのルールに従わねば自分の立場がないという暗黙の了解にとても生きづらさを感じていた高校時代から解放された時の喜びを思い出した。その反面、三年間という実に長い時間お世話になった土地に寂しさも感じられた気がした。当時、芸大に行って自分のやりたいことを極めることを決めていた私を猛反対し、証拠もないのに「絶対にやめておいたほうがいい」と周りの先生に言われたことを頭に思い浮かべながらその土地を去った。そうでもしないと前に進めなくなるかもしれないと自分に気合を入れたつもりだったけれども、本当は寂しかったのだろう。今ならそう思えるような気がした。
高校に着いて職員室でお世話になった先生たちに挨拶したのち、お世話になった自分の部活動に顔を出した。そこは相変わらず前に進み続ける力と活気を纏っていた。そのパワーとオーラに圧倒されつつ、昔自分がそこにいたことを思い出してもう一度今の部室を見直した。ここまで明るくて活気がある。外部イベントや行事に対して一丸となって一つのカタチに挑戦し続ける環境がそこにあった。外野になってからでしかわからない学びがそこにあった。また、現在の私が外部の写真展覧会やイベントに積極的に出席するようになったきっかけがこの部活動にあることにその瞬間に気づいてしまった。それくらい大きな存在だったのだ。そういえば写真を自主的に学ぶことを決めたきっかけもここにあった。ここが全ての原点だ。
当時の私は音響、映像撮影、編集、演出などありとあらゆる裏方をやってみたが、どれもパッとしなかった。しかし、そんなある日に顧問の先生から「君には写真の才能がある」と確かにそう言われた。いきなりの発言に否定とか疑心暗鬼とかになるなんてそんな余裕なんてものは1ミリもできるそんな余裕すらもらえず。ただひたすら状況を飲み込めないままその日初めて一眼カメラを握った。それでも不安な気持ちは消えなかった。100回くらい自問自答したが「やってみないとわからない」ととりあえずそう思うしかないという感じだった。だがしかし、まさかそれがきっかけで現在写真家を目指す身として活動するようになっているとはこの頃の自分には想像できなかったと思う。むしろ、今でもびっくりしている。ヤバい。
けれども今は鮮明に覚えている。あの言葉がなかったら自分はどうなっていたか。真面目に勉強して何が何だかわからない大学に入学して後悔する人生にたどり着こうとしていたのかもしれない。それくらい大きな居場所であったのだ。今でも忘れはしないあの言葉を頭の片隅に置きながら、恩返しをするように私は現在の部活のカメラ担当の生徒に写真を教えた。
訪問が終わり、帰路についた18時30分。あたりはすっかり暗くなり、日中までは止んでいた雨がまた降り始めていた。
高校の唯一の最寄駅である近鉄東青山駅。少し不気味ではあるが、ポツンとあたりを照らす蛍光灯の光がそこの日常を包むかのような優しさも感じられた。世間一般では無人駅は奇妙なイメージを植え付けられていることが多い。しかし、実家帰省を終えた学生たちの玄関のように見えるこの駅に限っては、そのイメージが払拭されているような気がした。あたり一帯は街灯の一つもないため闇に包まれていたが、それがこの駅の特別感を一層醸し出してくれた。
電車を待っている間もシャッターを切り続けた。自分が過去に記録した記憶を呼び起こしながら、その時の動きや表情を読み解きながらシャッターを切った。本当は思い出したくもない記憶の蓋までも開けてしまったかもしれない。それでも後悔はしていない。むしろ、これからの活動を頑張れるような気がする。自分にいろんなきっかけをくれた場所にまた再度訪れると、初心に帰れると同時に、さまざまな物事に対して向上心が溢れてくる。あの時この部活に入っていたから今の自分があることを再確認することができた。来年はどんな素晴らしい話をお土産にしようかを考えながら、ホームに滑り込むようにやってきた名張行き急行に自分の足と希望を乗せた。