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【日本の記憶(その1)】
自分が、子供の時、日本や日本語は、どんな存在だったのかを考えてみた。
【明洞、南大門の街から見た日本】
私は、ソウル、そして、南大門で生まれた。
南大門は、市場があり、いつもにぎわっていた。
子供の時、日本製の食品や家電もどこからかよく売っていた。
【マルコメ君を見て、子供用の味噌だと思った母】
日本語しか書いてない味噌に、マルコメ君を見た母は、
「これは、子供用に違いない。」と思い、
私は、よく「味噌汁」と「白いご飯」を食べていた。
【日本製(イルゼー)のあこがれ】
私が子供の時は、日本製へのあこがれがあり、
小学校では、「パパが日本の出張があって、色鉛筆を買ってくれたんだ~。」と自慢する子が何人もいた。
そして、小学校では、「やはり、日本製は違うね~。」「日本に行ったら、●●がたくさんあるんだって~。」と何かしら、あこがれがあった。
中には、「私は、日本語を勉強しているの。」と自慢げに言いながら、
ノートに「ひらがな」を書いて見せている人もいた。
そうすると、必ず誰かが「日本語で、数字言えるよ!」といい
「いーち、に、さん、し~」と何人の人たちが、合唱のようになっていた。
【あの人のパパは日本人だぜ】
日本へのあこがれだけではなく、当時は、ひとり親で、
パパが日本人だという人もいた。
後で、分かったことだけど、いわゆる、「現地妻」のようなものだったかもしれない。
当時、パパが日本人だからと、「赤いランドセル」を背負い、
家は、「カンナムのマンション」なのに、通う学校は、なぜか、
相当離れた(誰も知り合いのない)小学校に入り、
寂しそうに窓を見つめている女の子の姿は、
なぜか、今でも忘れられない。
【経済大国日本はアメリカの次の大国】
経済的にも豊かであることは噂話のようにあった。
そして、私の父の友達は、「新宿」というところに行き、
「バイトで稼ぐ」ということを言っていた。
子供ながら「バイトで稼ぐ?」、生活が成り立つのかなども
真剣に考えた記憶がある。
当時の韓国の経済状況から考えるみるとあり得ないからである。
【日本へのあこがれと安心感】
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