普通のパート主婦、コンビニ経営者へ
ある日、主人が脳幹出血で倒れた、、、
昨年末のことだった、近所のスーパーでパート中、娘から連絡を受けた。
命に別状はないものの、後遺症が残るかどうかは不透明だった。
ただ生きていてくれたことが嬉しかった。
しかし悩んでいる暇はなかった。
なぜなら主人はコンビニを2店舗経営していたからだ。
店をどうしよう、、、
そうだ、各店に店長級のベテランがいる、彼らに頼めばいいじゃん
わたしは自分の仕事、スーパーの品出しに慣れ、やりがいも感じていたし
楽しかった、やめたくなかった
2ヶ月後、一つの店のベテランがやめることになり、主人代行の人件費も膨らんでしまい、わたしはスーパーのパートを遂に、、、やめざるを得なくなった
仕方ない、、、、1月のある日、わたしは主人の代わりに
コンビニのオーナーになっていた
さて何から話そう
自分が店に入ってみて気づいたこと
コンビニの従業員は、フリーター、高校生、社会をドロップアウトした者
あまり働きたくない者、逆に稼ぎたい者、
日中のパートさんを除けば、多くは会社組織のルールを知らない
知る前に組織をやめるからだ、
この辺が出来るなら、そもそもコンビニでは働かないだろう
やはり会社の方が安定した収入はあるから、自分に、上司に、同僚に妥協して生きる道を選ぶんだろう
しかし、
だから、
コンビニ従業員には常識は通用しないといえる
オーナーの席で食事する、それを注意すると、理由を聞いてきた、発注机でタバコを吸う、廃棄を食べる、廃棄を平気で持ち帰る、客がいても店の中で従業員どうし大きな声でタメ口会話する、レジ金額が足りなくても報告せず帰る、仮にもオーナー夫人のわたしを、新米アルバイト以下として扱う、店売りの洗剤は高いが平気で店使用におろす
エアコンの設定は許可なしに変える、BGMは支持したとて、自分はJポップが好きだからとかえる、、、
ベテラン従業員は自分の店のように決定、進めていた
私といえばこの年まで、多くはタテ社会の会社に属し、自分の立場をわきまえて働いてきたから、経営者に対等に意見しようなどとは夢にも思わなかったし、むしろ経営者の責任の大きさや大変さを理解していたから、なるべく協力はしても、足を引っ張りたくはなかったものだ。
けれどコンビニは違った。コンビニ従業員には社会の常識は通用しない
あと、悩ませてくれたのは、利益がなかったこと
随分赤字続きであったことが、判明した事、、、
それまで、なんとか利益が出せているんだろうと、妻のわたしは安心していた
信じ込んでいた、、、
だから主人の仕事には一切干渉しないできたのだった
、、、、、、、、、
結果として、この7月に一つの店の撤退が確定した。
それまでに本部と何度も交渉してきた、自分でもよく心が折れずに来れたと
自分で自分を褒めてはいる
ああ、主人は2月退院した。
幸い重い後遺症はなく、少しずつ少しずつ、感覚を取り戻せてはいるが老人のペースだ
集中できる時間は短く限界がある、一日に何度も睡眠を取らないと体がもたないようだ
車の運転も今はまだ無理、、、
2022、11月、主人が倒れてから
2023、2月、主人と一緒にコンビニ経営をし始めたわたし
わたしのキャリア
学生の時、スーパーのレジ、某ファーストフード店の裏方、社会人になって農協の経理、某製造業のライン担当、業務店へ24H酒の配達、生ビールの設置、販売、個人商店の売り子、スーパーの惣菜部門、加工食品品出し、食堂勤務、着付師、和裁士、農家の手伝い、花の栽培アルバイト、、、
DV家庭で育った、成人して腹違いの兄がいて亡くなっていたことを知る、実家の肉親4人を看送り、嫁ぎ先の家族3人の葬儀も終え、心配してくれる肉親はいなくなった、結婚後は子供4人の母、長子はニート、末子は重度障害児、これらの経験全てはわたしのキャリアになっている、、、
あらためて感謝したい、わたしのキャリア、
その全ては、わたしの血となり肉となり、現在のわたしに活きている
道に迷う時、何気ない一瞬の判断を、間違いなく助けてくれている
今後については、またnoteしていきます