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大川周明の「アジア主義」——ナショナリズムを超えて連帯するためには

松本:彼らの思想には、日本という一国の運命が世界全体の文明史と大きく関わっているんだという思いがあって、二人ともそこを主体的に、徹底的に追求したということになるんだと思いますね。そのためには、実は、日本中心主義的な発想ではだめである、という考え方ですね。(中略)
我々は、大川が立ち止まってしまったところから、これからアジアのなかで、どういう秩序を、アジアの人々がみんなでつくっていくのかといったところに向かわなければならないと思います。近代の国民国家(ネーション・ステイト)には、やっぱり非常に大きな落とし穴があると。次の文明をどうやってつくっていけばいいのかを考えた場合、ナショナリズムによってつくるのではなく、アジアにはアジア的な共通の文化があるはずであり、例えば、アジア共同体というものをつくっていったらどうかと。

NHK取材班編著『日本人は何を考えてきたのか 昭和編 戦争の時代を生きる』NHK出版, 2013. p.128-130.(太字強調は筆者による)

本書はNHKの番組をもとにした書籍で、日中戦争から太平洋戦争に向かう時代の思想家たちを取り上げている。第一章は大本教の出口なお・王仁三郎、第二章は北一輝と大川周明の「昭和維新」、第三章は西田幾多郎と京都学派、第四章は平塚らいてうと市川房枝という構成である。冒頭の文章は、第二章の大川周明と北一輝の思想について、麗沢大学教授の松本健一氏が述べている言葉から引用した。

北一輝(きた いっき:1883 - 1937)は、二・二六事件において理論的指導者であったとみなされ、青年将校らと共に処刑された思想家である。大川周明(おおかわ しゅうめい:1886 - 1957)は、民間人で唯一東京裁判でA級戦犯となった人であり、「アジア主義」の考え方によって大東亜共栄圏の理論を支えた思想家である。いずれも、過激なナショナリズムの思想家というイメージが強い二人であるが、彼らが実際に何を考え、何を目指していたのかはあまり知られていないのではないだろうか

意外にも、彼らの出発点はいずれも「社会主義」であった。つまり、格差社会・階級社会のなかで貧困に苦しんでいる国民を救うために、国家による社会主義の革命が必要であると説いたのだ。ただし、二人のアプローチは違っていた。大川が、軍部の中枢とつながり「上からの」革命を目指したのに比べて、北は、若き青年将校たちとつながり「下からの」革命を目指した。二人は当初、日本改造の実践団体である「猶存社(ゆうぞんしゃ)」で行動を共にしていたのだが、その考え方の違いから袂を分かつことになる。しかし、彼らの思想に共通していたのが「国民の天皇」という考え方だった。明治憲法によって「天皇の国民」という天皇の臣下である国民という位置づけがなされたのに対し、本来日本では天皇と国民が近しい存在であったのであり、「国民の天皇」というべき存在に天皇はなるべきであると、北も大川も考えたのである。

やがて日中戦争、太平洋戦争に突入する時代のなかで、大川は1938年(昭和13年)、東亜経済調査局附属研究所(通称「大川塾」)を設立し、アジアとの連帯を担う人材育成に乗り出す。全国各地から17歳以下の若者を募集し、全寮制で二年間学んだ後、アジア各地に派遣し、その国の事情を調査することが目的だった。ある塾生は大川から言われたこんな一言を覚えていた。「一人でいいから本当の親友をつくれ」と。大川塾では、タイ語、マレー語、アラビア語(ペルシャ語)などの語学も重視されていた。何より、大川自身が英語、フランス語、ドイツ語、サンスクリット語、中国語、ギリシャ語、アラビア語の七ヵ国語に精通していた語学の天才であった。彼が成し遂げた偉業に、コーラン(クルアーン)の全文訳というものがある。

大川周明は、東京帝国大学文科大学卒(印度哲学専攻)であり、元々は龍樹(ナーガールジュナ)の仏教思想などを研究していた。しかし、イスラム教にも関心を示し、コーランの全文訳を行うだけでなく、『回教概論』というイスラム教の解説書も書いている。大川は、なぜイスラム教にそれほど惹かれたのだろうか。それは、イスラムというのがキリスト教を中心とする西洋文明とはまったく違うところだったのではないかと、松本健一氏は推測する。西洋文明は、キリスト教を母胎として近代ナショナリズム、覇権国家を生み出した。しかし、イスラム文明は覇権国家をつくらない。国民国家ではなくて、地方の言語は全部認めるとか、各地通貨は全部認めるとか、非常に寛容であった。大川は、日本のシステムや文化というのは、西洋との違いを突き詰めていけば、東西文明が対立しなければならないが、そのときに、もしかしたら東洋と西洋を融合する役割を果たせるのがイスラムであるかもしれないと予感したのではないだろうか、と松本氏は述べる。

日本が危機にあった時代、北一輝も大川周明も、日本が変わらなければならないと考えた。大川周明の「アジア主義」は、日本がアジアの盟主になられなければならないと考えたところには欠陥があったものの、イスラムというアジア文化が持つ寛容性や、アジア共通の思想・文化を探っていくことで、アジアが連帯できるのではないかと考えた思想であった。そして、松本氏が主張するのは、今の困難な時代においても、アジア諸国がナショナリズムを超えてもっと連帯していくことができるのではないかということである。そこには、インド・仏教思想をはじめとする東洋思想や、アジアの文化が共通のものとしてあるのではないか。そのとき、大川周明の思想も何らかのヒントを提供してくれるかもしれない。



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