江ノ島
水族館へ行きたかったのには、原作『海獣の子供』とその映画に触れて、その時の反動が、共鳴が激しかった頃のなごりか
と思う。海獣の子供の映画を見たとき、見たあと、しばらくそこは映画の中、陸の海のようで、京都の映画館で見てから、帰りに駅の中にある本屋で、原作の漫画を探して、あったんだっけ、なかったんだっけ、そして電車に乗り
家に帰ると、わたしにしちゃ大きなキャンバスにあの絵を描いた。衝動と感動と記憶の絵という感じ。未完成のようで完成していてもいいという感じ。今度どこかで見せるけれど、指で描いたその筆先がとても音に乗っているのがなんとなく、記憶としてのこっている。さて
わたしのチャンネルの動画で、大水槽についてすこし話したのだけど、もう少し話したいのでここに、印す。
幼なじみの行動力にひかれ、ともに行った、
新江ノ島水族館
そこの大水槽に至る前にまず、丸い窓から見える水色があって、そこも好きだった。水の理想をちょこっと形にしたような空間、船にいるような潜る息、反射する瞳、そこから少し順路に進む。
大水槽は私が、海獣の子供の原作で見て、映画で見て、今回実際に目で見た。
とくに原作漫画で見ることができる大水槽を、わたしはひとつ抜いて覚えているが、原作で琉花ちゃんという子の目線にあわせて物語が進むとき、琉花ちゃんはたしか中学生なのだけど、その背丈と目と心に映っていた(原作者の五十嵐大介さんと琉花ちゃんの目からこぼれた)光景と、今回わたしの目に映ってとらえた大水槽、それらはちがっておもえた。
琉花ちゃん(五十嵐さん)の目がまっすぐ、現実をうつすものと決まっていないし、わたしの目もあやふやだから、なにも変なことはなかった。
ただあの大水槽だ!とおもって、先入して見たわたしの目に、大水槽はしゅっと納まった気がした。琉花ちゃんのようには、わたしには見えんのだなとおもった。
それがなんだかとても印象に残っていて、書きたかったこと。
絵描きのフィルターを、己のフィルターを通して物を見るというのは、こういうちがいが生まれたりするんだな〜と、実感しあらたまった、わたしもからだも大きくなるのだなとおもった話でした。
書きたいことは随時、描いていこうとおもうので
あとこれだけ、
ウミガメさんがとても素敵でした。
水族館をみたあとに江ノ島の、島にも行って、歩いたりおにぎり食べたりしたんだよ。だんごも食べました。おいしかったね、船ものり、帰りに道で売ってたおじちゃんのあの、アマビエだ、アマビエの絵を今思い出した。幼なじみのはっちゃん、一緒に行ってくれてありがとうね。
また会いましょう
20201222