『ダンサー イン Paris』感想〜踊れる人だけでダンス映画つくったら〜
お久しぶりです。
今回は、近頃ダンス界隈で話題の映画
『ダンサー イン Paris』の感想です。
こちらは、パリオペラ座バレエとホフェッシュ・カンパニーが舞台のフランスのバレエ映画。
ホフェッシュ・シェクターといえば、Gagaで有名なイスラエルの舞踊団「バットシェバ」出身のコンテンポラリーダンサー、振り付け家。
最近日本では、ジャニーズの上田竜也さんに振り付けて話題となっていました。
「ダンサーin Paris」では、ホフェッシュが本人役で登場します。そんなこともあり、バレエのシーンもコンテンポラリーのシーンも含め、全編通してかなーり踊れるダンサーばかりが出演している映画というイメージでした。
ストーリーはバレリーナの女の子が怪我をきっかけにコンテンポラリーダンサーとして第2の人生を探す、いわゆるありがちな展開。
そんな中、私が気になったのはなんでもない日常のワンシーンです。
それは、主人公の女の子がパリに戻り、遠距離恋愛中だった恋人(ホフェッシュカンパニーの一員)に再会するシーン。
彼女たちは電話しながら、お互いに思わず家を飛び出して、パリの道中で抱きついて再会を喜びます。
お互いをめがけて走る2人が道の真ん中で出会い抱き合う。バレエ映画でなくてもよくあるシーンです。
しかし、
先ほどから述べている通り、主人公もその相手役の男性も、友人も、ダンサー役の方々はほとんどが役者というよりダンサー。
お互いを目掛けて走る2人ももちろんダンサーで、2人は感極まって出会い頭に抱き合ったかと思いきや、壮大なリフト。
日常シーンでさえダンス感が溢れているのでした。バヤデールや白鳥を踊ってきた彼女たちなら(そういうシーンが冒頭にあります)愛の表現もリフトになっちゃうんでしょうね。
あとは余談です。
バレエのシーンやコンテンポラリー作品のシーンを含めて、せっかくなら舞台で観るくらい長く全体像を見せてほしかった…(顔のアップだけじゃなくて…)そんな気持ちはありますが…
「コンテンポラリーは地面との関係がリアルだ」
コンテンポラリーって一体どんなダンスなのか。その答えは、21世紀の今はまだ明確になっていません。主人公が放ったこの台詞からは、地面から離れよう離れようと尽力してきたバレエと対比することで、コンテンポラリーを理解しようとする姿勢が痛いほど見えました。
バレエじゃないダンスも、バレリーナ以外の人生も、今はまだバレエと比較してどうか?という目線で語る方法がわかりやすく感じる時代なのかもしれません。
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