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『痒み』12歳の文学 第2回 佳作作品


痒い。

絵筆を床に置いてから、首筋をかく。

昨日からどうも痒い。『どこが』とかじゃなくて、とりとめなく痒い。

頭が痒くなったすぐ後に小指の爪が、その後には右の掌が、といった感じだ。

永湖(えいこ)は髪の毛を手櫛でとかした。指にからまる髪が汗をじっとり含んでいて、気持ち悪い。

「・・・・・昨日はお風呂に入った・・・・・。」

心の中で言う。

「・・・・たぶん石鹸だ・・・・。」

そうだ。確か昨日は三日ぶりに風呂に入った。

ええとそれで何で石鹸を使う羽目になったんだっけかな。いつも使っているのはボトル入りのボディーソープなのに、と永湖は記憶の引き出しを開けて中を探ってみた。永湖は静かに目を閉じた。思い出せることといえばまず、服を脱ぎ、そしてシャワーを軽く浴びてから、しばらく無意味なテレビの画面を湯舟につかって眺めたことだ。

なぜこんなおんぼろアパートの風呂場にテレビが付いているかといえば、この部屋は二年ほど前に風呂場だけ改築されて、その時にセット内容に含まれていたのだ。おかげで退屈しなくて済むし、風呂場は新しく清潔だ。

良い具合に汗をかいてきたのでお湯からのろのろと体をあげて、シャワーを浴び、琥珀色のシャンプー液で念入りに頭皮を洗い(なにしろ三日間も風呂に入っていなかったのだ)、そのやわらかい泡を全て洗い流し、しつっこく体にくっついてくる真っ暗闇のようなぬれた髪を一つにまとめて絞り、ボディソープの入れ物の、押すと中身が出てくるようになっているポンプの上の所を押した。

しかし、そこからは何も出てこなかった。

空だった。

永湖はああ、と思って、現実を認めるためにわざと声を出してつぶやいた。

「空なのか。」

困ったなあ、買い置きなんてあったっけ。

つっ立っていると体が冷えてきたので湯舟に戻ってテレビを眺めた。2チャンネル。インターネットの掲示板の方ではなくて、テレビショッピングだ。ワニ革のバック。

やたら「奥様」を連発する司会の女。何か言いたげな顔のゲスト。そういえば、夜のテレビショッピングで男が司会をやっているところを見たことが無い。そもそも、何故呼びかける言葉が「奥様」なのだろうか。奥様じゃない人も見ているかもしれないじゃないか。二十三歳の浪人生が不精ひげ生やしてカップラーメンすすりながら見ているかもしれないし、一歳三ヶ月の赤ん坊がベビーベッドに寝っ転がって退屈を紛らわすために見ているかもしれない。そういうこともありえるかもしれない。

永湖は額の汗を拭った。いけない、これではシャンプーした意味が無い。早くボディソープの買い置きを見つけなきゃいけないのに。面倒くさい。

そこで永湖は名案を思いついた。そしてそれをさっそく実行に移した。石鹸台の上の、二年位使っていなくて置きっぱなしになっている怪しげな紫の石鹸を手に取り、泡立てて体を洗い始める。

 その後起こった事(例えば泡を流すとか服を着るとか)はたぶん私にとってどうでもいいことなんだろうな、と、永湖は思った。だって、覚えてないのだから。

とにかくこの痒さの原因は、あの紫の石鹸らしい。きっと石鹸は腐るかそれとも体に合わなかったのかしていて、それでかぶれたのだろう。それがわかったので、永湖は少し安心した。わけも無いのに痒みが止まらないなんて不気味だし変だ。そういう事とは、あまり関わりたくないのが普通だろう。そして永湖も、その『普通』の中のひとりである。

『普通』

六月の重く生暖かい空気が、体に絡みついてくる。

私は『普通』に当てはまるのだろうか。

永湖は絵筆を拾い、それをかたく握りしめた。汗で手が湿っている。絵筆が滑る。

私は『普通』に当てはまるのだろうか。

床に置いたキャンバスに、緑色を塗っていく。神経質に、しかし、それでいて大胆に。

私は『普通』に当てはまるのだろうか。

キャンバスの三分の二が緑色で塗り尽くされたころ、永湖はようやく答えを導きだした。

私は多分、『普通』では無い。

私は多分、『普通』では無い。

それで、別に困るわけじゃない。

永湖は床に絵筆を置いた。

痒い。

永湖はかかとをひっかいた。

昨日より痒さが増している気がする。痒みの範囲も広がった。

今度は背中をかく。汗でTシャツが背中に張り付いている。着替えないといけないことは分かっているが、脳味噌で考えている事とは裏腹に、体が動かない。ただ左手だけはせわしなくキャンバスの上を踊っていて、それと比べるとその他の部分はまるで眠っているかのようだ。

昨日緑色に塗った所は、すでに深い群青色にかわっている。永湖の指の動きひとつで、絵全体がまるで変わってくる。ほんのすこしの間絵筆を動かしていると、絵は草原になり、深海になり、空になる。馬が走り、魚が泳ぎ、雲は動く。絵の世界では永湖は神だ。自在に色をあやつり、風を吹かせて水を巡らす。そうして世界をまわすのだ。

絵の前から離れれば、ただの大学生なのに。

そのギャップが面白くて、永湖は、絵を描いている。

筆洗いの容器で青色の絵の具をおとすと、永湖はゆっくり腰を上げ、すぐよこに置いてある棚の五番目の引き出しを開けた。そこには、色のついた箱がいくつか入っている。赤、青、黄色、緑、黒──

白い箱をつかみ、引き出しを閉めるとまた絵の前に座った。箱を開ける。

白、白、白、白。いくつもの白いチューブが、箱いっぱいにつまっている。よく見ると全部違う白で、明るい順に並べられているのがわかる。永湖の人指し指はしばらく白の羅列の上をさまよっていたが、やがて一本のチューブでとまり、それを箱からひきぬいた。

透明のような白。

ふたを回して開け、パレットにその白を出す。チューブの腹を押すと、予想以上の量の絵の具が出た。

あまり使わない色だから、あまっているのだ。

多分こんなに使いきれないだろうなぁ。もったいない。そう思いながら、洗った絵筆に白をからませる。絵筆の毛が、白くかわる。かわっていく。変化していく。変化し続けていく。

大学に通わなくなってから、今日で丁度、二週間だ。

絵が描きたくて美術大学に入った。中学の時からの、夢だった。

絵を描いて暮らせたら、なんて素敵だろう。

でもつまらない講義にでなくてはいけなかったり(面白い講義もあることにはあったが)、友達に作品をけなされたり、そういうややこしい事が面倒くさくなってやめてしまった。いわゆる大学中退だ。今描いている絵は大学をやめる寸前に都内の美術館関係の人に頼まれた絵で、今のところそれ以外に仕事はなく、いままでに貯めてあった貯金で生活している。親からの仕送りは無し。反対を押しきって入った大学をやめた時点で縁を切られた。貯金が無くなる頃にはこの絵も完成しているだろうし、そうなれば多かれ少なかれ収入が入る事になる。死ぬ心配は、多分ない。もし本当に生活に困ったら路上生活者になって、絵を売ろう。きっと百人に一人くらい買ってくれる人がいるだろう。それにもし買ってくれる人がいなくても、絵を描いて暮らせるなら死んでも別に構わない。むしろ、本望だ。

そんな事を考えながら筆を動かしていると、いつのまにか群青の海に白い魚が一匹漂っていた。美しいその体は真珠の様な白で、絹のごとく柔らかく波間にたゆたっている。

孤独の白。

病的なまでに美しいその魚は、きっとそんな名前なのだろう。

永湖はゆっくり、その魚を撫でた。

痒い。

頭をかきむしる。そういえば、今日は風呂に入る日だ。ボディソープ、買って来なくちゃ。

絵は徐々に完成へと向かっている。昨日魚だったあの白は、馬や鳥、蝶々と変わり、今は人のかたちをしている。深海に漂う女の人。不思議と、魚だった時と雰囲気は変わっていない。きっと色が同じせいだ。

ボディソープを買いに行くためには、外に出なくてはいけない。外に出るためには着替えないといけない。面倒くさいが、しかたない。あの紫の石鹸を使う訳にはいかないのだ。

永湖はのろのろと這うように立ちあがると、シャツを脱ぎ捨てた。汗で湿っている。箪笥の引き出しを漁っていると、グリーンのポロシャツが出て来た。色が少しあせているが、まあいいだろうと頭から被る。ジーパンはそのままで、あと、お金が必要だ。寝室の貯金箱にいくらか入っていたはず。案の定そこには千円札が六枚と、五百円玉が三枚、百円玉が四枚あった。これだけあれば十分なので、二千円分ポケットにねじ込む。これで多分、出掛けるしたくは出来た。

そこで鍵を持って、外に出るために取っ手の錆びかけた玄関のドアを開けると、一瞬、目の前が真っ白になった。眼球に染みる光。涙が出る程、痛い。

刺激が和らいできたので恐る恐る目を開けると、特にどうということも無い見慣れた風景があった。ただ、永湖が何日も部屋に閉じこもって生活していたので、太陽の光を必要以上にまぶしく感じただけだ。

深く息をして、心拍数を整える。それから、扉に鍵を掛けた。別に泥棒が怖い訳じゃなくて(実際盗もうとしても盗む物などどこにもない)、これは世界共通の呪い(まじない)なのだ。世界の調和を乱さない為に、掛けたくなくても鍵を掛ける。入りたくなくても三日に一度は風呂に入る。無くなったボディソープは、買いに行く。そういうしくみになっているのだ。

アパートの駐輪場(詳しく言えば階段の下のスペース)から、「柿崎」と書いてある自転車を引きずり出す。土にめりこんでいてなかなか出せない。敷いてある砂利が車輪にぶつかって跳ね、あちこちに飛び散る。丸く白い石達が素足にサンダル履きという永湖の足に容赦無く体当たりしてくる。

永湖はやっとの思いで砂利の海から自転車を救出し、それにまたがった。半年以上ここで雨ざらしにしていて使っていなかったので、これもドアと同じく錆びかけている。ペダルに足を乗せ、力を込める。最初は金具が軋む音しかしなかったが、がりゃん、という何かが外れたような、もしくははがれ落ちたような音がして、それまでずっと力をいれていた足が急に楽になった。ペダルが素直に回転するようになったのだ。アパートの前の門を出て、坂を下りる。心地よい風。前髪がなぶられ、顔の前に落ちた。永湖はその髪をまとめて耳にかける。

そういえば、昔はよく自転車で色々な所に行ったものだった。特に小・中学生の頃は他に交通手段がなく、あったとしても徒歩だったから、友達と遠くへ出掛ける時はいつも自転車だった。毎日のように乗っているので自転車が体になじんできて、時々自転車が体の一部のような気がしたこともあった。自転車は、永湖の相棒だったのだ。

公園の脇を通ったとき、ベンチに目をやると白豚公爵が座っていた。色白で太った男のことを、永湖はいつもそう呼んでいた。その名前を決めたのも、確か、小学生の時だった。小さいころは目に付くたくさんの物や人をよく観察していたものだが、歳を重ねるにつれてだんだんそういうものを見なくなっていった。その代わり、目に見えない世界の裏側にこそ真実があることを学んだのだ。

白豚公爵は暑そうに汗をだらだら流している。はちきれんばかりのその服は、汗を含んでべちゃべちゃに濡れている。醜い。醜い醜い醜い。

はっとした。いけない。何を考えているんだ。外部からのイメージを取り込んではいけない。消えてしまう。あの絵が。

永湖は絵を描いている最中は、頭の中をその絵のイメージだけにすることにしていた。考える事はするが、イメージは取り込まない。頭をからっぽにして絵だけに集中するのだ。集中が途切れると、途端に描けなくなってしまうから。そういう考え方に、時々空しくなることもあった。見い得たかもしれない世界の可能性を、なぜ自分から摘んでしまわなければならないのかと。そんな時、永湖はこう考え自分を奮い立たせた。

「もしその可能性の芽を摘み取らなかったとしても、それらを育て、養い、花を咲かせる自信はあるの? そんな百パーセントの自信がない芽を育てるより、数々の芽を蹴散らしながら、咲かせる自信のある芽を育てたほうが、それこそ可能性が高いんじゃないの?」

 しょせん生きるということは、可能性を踏み潰して歩く事なのだ。

 私達の足元には踏み潰された幾億もの芽が折り重なっている。

だから、逃げても無駄なのだ。水面(みなも)に浮かぶいくつものイメージのかけらから一番良いものをすくい上げ、どうにかそれを形に表す。それが私の宿命なのだと。

強い風が吹いて、後髪をさらっていった。汗が一気に冷えてゆく。不快さは途端に姿を消した。 

出来ることなら、ずっとこうしていたいと思った。余計な事は考えないで。でも、もうじき薬局に着いてしまう。そうしたらそこで降りてボディソープを買わなければいけない。そしてアパートに帰り、台所の隅にしゃがみこんであの絵を仕上げるのだ。

そう思った瞬間、永湖を激しい倦怠感が襲った。鉛のように体が重くなる。同時に痒みもやって来る。我慢できなくて左手をハンドルから離し、頭をかきむしる。

視界が九十度、回転した。

気が付くと地面に叩きつけられていた。体中が痛い。特に、脚が痛い。そちらに目を向けると、脚の上に自転車が倒れて、乗り上げている。言い方を変えれば、脚が、倒れた自転車の下敷きになっている。かつての相棒は、今は痛みを与えるだけの存在にかわっている。あんなに激しかった痒みはもう消えていて、後味の悪さとだるさだけが残った。

痒い。

痒い痒い痒い痒い痒い。

だが、かいてはいけない。首筋がかきこわしになって、血が出ている。

首だけではない。脚もそうだ。腕もそうだ。体のあちこちからかき過ぎで血が出ている。

しかし我慢できない。永湖は腕の、ようやくかさぶたになって来た所をかいた。激痛。痛痒さが神経を這って脳に上がって来るので、痛さのあまりに涙が出る。

血がにじむ。

にじむ血も、痛痒さも、どっちも辛いがどうしようもなく永湖は油っぽい台所の壁に寄りかかった。

結局あの日はボディソープを買わなかった。

自転車ごと転んだ後、どうにもかったるくなりその場で数時間眠ってしまったのだ。路上で自転車の下敷きになって眠りこける女を通行人がどう思ったかは知らないが、きっと変人だと思っただろう。警察に通報しようと携帯のキーを「11」まで押して、そこで思いとどまった人もいたかもしれない。あるいは何かの漫画のように、「ママー、あのひと、どうしてあんなとこで寝てるのー?」

「ひろしちゃん、見ちゃだめ」

という会話を子供と交わした生真面目なお母さんだっていたかもしれない。どんな人が私の脇を通っていったかは定かではないが、考えてみるとかなり恥ずかしい。本当なら目覚めたと同時にぱっと起きあがってすぐに帰れば良かったのだが、すごく寝ぼけていて今自分が置かれている状況が上手くのみこめず、そのままぼーっとしていて、正気に戻った時にはもう夕方近かった。硬いアスファルトに長時間寝そべっていたせいで体中が痛く、当然それから薬局に行く気力も無かったので帰って来てしまったという訳だ。

しかし今永湖が抱えている問題に比べれば、ボディソープのことなど無に等しい位だ。実際永湖はあれから風呂に入っていないので、ボディソープは無くても困っていない。問題とは、もっと重く大きいものなのだ。

永湖はあの日から今日までの三日間、一度も絵筆を握っていない。

永湖はあの日から今日までの三日間、一度も絵の具に触れていない。

永湖はあの日から今日までの三日間、一度も絵を描いていない。

あの絵は今も青い海のままだ。

困った。非常に困った。こうしてぼんやりとしている間にも、美術館に絵をだす締め切りは刻々と迫ってきている。昨日で残り1週間をきった。締め切りが短いのは永湖がまだ掛けだしの新人だからであって誰のせいでもないのだから仕様が無いとして、この絵をこのまま出す事は、どうしても避けたい。まだ決着がついていない。イメージを出し切っていないのだ。焦る気持ちに逆らうように、体はちっとも動かない。毎日三度のご飯は一応食べているし、この暴力的な痒みを除けば他の部分で生活に支障は無いのだが、何故か気力が湧かない。どうにもだるい。あの日の溶けた鉛のような倦怠感がまだ体にべとりとまとわりついている。

このまま私は廃人になっってしまうのだろうか。

幾度そう考えたことか知れない。廃人のもともとの意味はよく知らないが、描きたいのに描けない、やりたいのにやれない、永湖はそういう人達は皆廃人だと思っていた。そして私はそういう風にはならないと思っていた。今から考えてみると、その自信はどこからきていたのか。みじめで笑いたくなる。三日前の自分が別人のようだ。この世にはどうしようも無い事がたくさん有るのだと、そんなことも知らなかったのだろうか、私は。まるでさっき産み落とされた赤ん坊の様ではないか。恥じた。自分を恥じた。これほどまでに自分が無知だということを思い知らされたことはなかった。 

しかし考えても考えても現状は変わらないし、絵は描けるようにはならない。だるさも消えない。

そこで永湖は眠ることにした。

良く言えば休憩、悪く言えば現実逃避だ。しかしここには良く言う人も悪く言う人もいない。邪魔をする人もいない。

そういう訳だから、永湖は眠ることにした。

夢を見た。

病院のような所で何かを探している夢だった。すごく必死になっていて、焦っている。ないと困るものを探しているようだった。そして多分そこは病院ではなくて、何か違う所だったのだと思う。とにかく白い。白い。壁も床も窓枠も、窓の外も真白。そして扉が沢山並んでいる。その扉達を見た瞬間、探し物はこの建物の中にあると直感した。銀のドアノブを開ける。ガチャ。突然奇声をあげて襲いかかってくる人達。その顔は恐怖と憎しみに歪んでいる。恐ろしくなってあわてて扉を閉める。迷いながらも次のドアを開ける。恐ろしい光景が広がる。そんなことを何回か繰り返していくうちに、ひとつの扉に出合った。

立ち入り禁止。

赤いペンキで、そう書かれていた。禁止されている事を必ずやってしまうのは、人間の本能なのだろう。迷わず開けると、中には八人の小学生位の女の子が座っていた。その中でも一番体の小さい子が口を開いた。

「おねえちゃんはなんたいせいぶつ?」

意味不明な言葉を投げ掛けられおろおろしていると、足元の何かにつまづいた。よく見るとそれは生首だった。

悲鳴をあげそうになる。

「驚かなくていいよ。それ人形だよ。」

中くらいの背の子が言う。けれど、その子の首にはあるべき頭がなく、そのあるべき頭は足元に転がっているのだ。しかし、そこで気づく。探しているものはこれだ。この首だ。そっと手を差し伸べて頭を抱き抱え、

そこで、夢から覚める。

そういう夢だ。嫌な夢。背中は油汗でべっとりとしているし、当然着ている洋服も汗に侵食されているので、着心地が悪い。

気持ち悪いなあ。

全て、この空間の雰囲気全てが気持ち悪い。湿気た空気。なまぬるいお湯に浸かっている時みたいだ。そろそろあがりたいけど、もうちょっと浸かっていたい気がする。もうちょっと浸かっていたい気がするけれど、もうあがらなきゃ。

この気持ち悪さをどうしたらいいか。

ふと時計を見ると、まだ一時。

考えた挙句、永湖は再び眠ることにした。

痒い

痒さで目が覚めた。顔全体がひりひり痒い。本当は爪をたてて引っ掻きたいが、爪がのびていて痛そうだし、顔には傷をつけたくないので水で洗うことにする。

幸い、夢は見なかったようだ。本当は見たのかもしれないが、覚えていないことは無かったことと同じ。気にする必要はない。

ぬるい水道水を顔にかける。全然痒さはおさまらないが、さっきまで程は痒くはないので我慢する。

「ひどい顔・・・・・・」

洗面所の鏡を見て、永湖はそう思った。頬はかぶれて赤い発疹ができているし、髪はぐちゃぐちゃに乱れている。目は眠くて上手く開かないためうつろに見える。ああ体の不調って顔に一番出るのかもしれない、と永湖は思った。

いや、精神の不調か。

別に体だろうが精神だろうがどうでもいいけど。

ふと何かの気配を感じて床に視線を落とした。

動く沢山の脚。

「・・・・・・・・・・・」

茶色のむかでが脚を波打たせて這っていた。むかでは永湖の存在に気付くとと気まずそうにそそくさと洗濯機のしたに隠れてしまった。

住処さえも虫に侵食されている。

永湖は、唇のはしで少し笑った。

絵の描けなくなった私の居場所は、もうどこにもないのかもしれない。

そう考えるとこの部屋も居心地が悪くなってきて、永湖はとりあえずサンダルをはいて外へ出ることにした。

玄関を出るとき。そういえば誰かが、人は思い出せないだけで覚えていないってことは絶対無いと言っていたことを思い出した。

鍵を閉めて、万国共通の呪いをかける。沈みかけた四時の太陽の下、サンダルを鳴らせて永湖はコンクリートの階段を降りる。

でも、やっぱり覚えてないことってあると思う。

覚えてないことすら覚えてないってだけで。

とりあえず、ボディソープを買った。いつも使っている水色の容器のやつだ。永湖は緑のカゴに三本のボディソープを入れて、レジへ並んだ。四時半のスーパーは何かを探してさまよう主婦のたまり場であり、今日も沢山の人が売り場をふらついている。もちろん彼女達は豆腐や石鹸や肩ロースを探しているわけではない。それらは単なる身代わりであり、迷うための口実だ。

やっぱり何かに飢えているのだろう。

それでもどこか楽しげな彼女たちを見る度に、永湖は自分との差を見せつけられる気がする。あのひとたちはちゃんと、自分の傷を見ないようにしている。それに比べて私は傷の手当てもせず、血を流しながらその傷口から毒が入り体を侵食していく様をただ見ているだけ。眺めているだけ。なんて惨め。

早くここから出たくて、一番すいているレジを選んだ。それでもニ、三人が待っている。永湖はなるべく目を合わさないでいようと思ったが、どうしても意識してしまう。こういうのって大人でも子供でも変わらないんだなあ、と思う。どんなに小さい女の子でも、たとえば同じ電車に同年代の子が乗っていたりすると必ず目がそっちにいってしまう。みんなそうだ。女の、本能なのかもしれない。

「次のお客様、どうぞ。」

はっとして前を見ると、さっきまで並んでいた人達はいなくなっていて、レジのお姉さんが不審そうにこちらを見ていた。慌てて返事をして品物をカゴごと出す。お姉さんが機械的な声で、「千三百円になります。」と言ったので、一瞬迷ってから永湖は千円札をニ枚出した。七百円のおつりとレシート、ボディソープを受け取ってレジを離れ、すぐ脇に設置されている台の上で商品をビニールの袋に移す。

あせった。考え事をしていていきなり声をかけられて吃驚(びっくり)する感覚を、久しぶりに思い出した。そういえば最近はろくに人とも話してなかったと、永湖は今更思った。

ちょっと重たくなったビニール袋を下げて、自動ドアを通った。外に出ると蒸した店内とはうってかわって、風が吹きぬけて気持ち良かった。もうすぐ五時。夕焼けに少し近づいて、オレンジと桃色の中間色に染まった空に、鳥が飛んでた。

田んぼ道を歩いていると、田んぼの中や道には色々な物が落ちていることに気が付いた。ビニール、缶、紙、雑誌、靴。一番驚いたのは着古した洋服が一揃え落ちていたことだった。それも靴下から上着まで、全部。誰かここで裸にされて殺されたのかなぁ、と思ってみたりしたが、こんなに平和な町では起こりそうも無い事件だった。

ふと、色を感じて顔を上げた。

遠く、田んぼの向こうにオレンジの群れがざわめいている。

あれは、何?

ただ、夕日をバックにしているのにそこだけは強く、はっきりと濃くオレンジが浮かんでいて、空恐ろしいような、神を見ているみたいな気持ちで永湖はそこに立っていた。

行ってみよう。と、永湖は思った。あれが何なのか確かめたいし、見てみたいし、なによりも永湖の本能がそう呼びかけていた。今行かないと、一生後悔する。一生。

こういう直感っていうのは、大事にしないと。

永湖はふらふらと一歩踏み出した。ふらふらと、でも、確かな足取りで。あの、オレンジに向かって。

額に張り付いた汗を拭った。やはり外は暑い。

永湖はオレンジ色へと歩を進めた。何かの目的に向かって歩くのは楽しい。小学生の頃の遠足を思い出す。あのときは県立公園まで歩いたのだが。

あと、少し。

頭上をカラスが飛んでいった。とても綺麗。哀しげな泣き声、黒いマント。夕焼けを通せばどんなものでも美しいのだ。

では私も美しいのだろうか。

そうだきっと、美しいに違いない。世捨て人と、夕焼け。

あと少し。

それは素晴らしい眺めだった。

遠くから見たときオレンジ色だと思ったのは、コスモス畑だった。季節外れだがそれでも、懸命に咲き誇っている。

素敵だなあ。

永湖は恍惚としてそのコスモスを眺めた。花を美しいと思ったのは始めてかもしれない。こんなに綺麗なものなのに、ちっとも気付かなかったなんて、本当、私の人生ってどうでもいいものだったなあ。

強い風が吹いた。思わず目をつむると、コスモスが散った。

くるくると舞う、コスモスの花弁。

それに包まれながら、永湖は強い既視感を覚えた。

散るコスモスの花弁。

くるくると舞う、コスモスの花弁。

このかんじ、どこかで。

浮かんでくるイメージ、様々なヴィジョン。記憶の濁流に飲まれて、思わず道路にしゃがみこんでしまう。

この場面、どこかで。

その瞬間、ひとつのイメージが永湖の目の前に現れた。

テレビの前にしゃがみこんでかじりつくように画面を見つめる子供。

その顔を後ろから首をのばして覗き見る。その、顔は――

小さい頃の私。

赤いくちびる。短く切ったさらさらの髪。黒い、黒い、その瞳。

見つめる先に目をやると、そこには

踊る女。

人形、仮面。

テレビの箱の中で、コスモスが散っている。

そうか。そういうことか。

これは、既視感なんかじゃない。私が昔見たものだ。

もう、全て分かった。笑いだしたい気分だ。

頬に風を感じながら、永湖は立ちあがった。

息を吸う。

吹き荒れる花弁の嵐の中、永湖は独白を決意した。

さあ、記憶を、隠された記憶を掘り出そう。

私はこれを、この場面を、見たことがある。

どの位前だったか。

私がまだ小さい小さい子供だったとき、暇潰しにつけたテレビの中に、面白いものを見つけた。普段ならほとんど見ない、地元のケーブルテレビだったと思う。

ホラーだった。

当時の私は怖いものが好きだったから、後で後悔することを知っていてもそういうものは見ずには居られなかった。

でも、それはそれまで見てきたようなどこにでもある安っぽい怪談ではなく、

私はそれを見て初めて映像を怖いと思ったのだった。

音楽が流れている。

画面は、緑レンズのサングラスを掛けて見たように緑色だ。後から知ったが、これは、映像を撮る時の手法で、レンズに色の付いたビニール板のような物を、貼り付けるか何らかのやり方でとりつけ、それから撮るというものだったようだ。

かなり早いテンポで画面が切り替わり、初めは何を移しているのかよくわからないが、じっと見続けているとだんだん分かってくる。

どうやら天井に吸い込まれていったり、不思議なものがうごめいているのでその姿ははっきりしない。

女の人はゆっくりと前へ進んでいるのに、他のものは早送りしたように早く動いている。

その間に挟まれる、蜘蛛の映像。

長い脚を動かして、糸を紡ぐ。

そのほかにも、訳の分からないものが沢山映る。

こんなに面白いものをこんなに早く映すなんてもったいない。もっとゆっくり、分かるように見せて、と思うのだが、私は画面を見つめている事しかできない。

だんだん、きちんと一つのものが映るようになってくる。

女の人が人形を抱えている。

何かの建物の屋上で、彼女は人形を振り回している。

殺そうとしているのか、抱きしめようとしているのか、叩きつけようとしているのか、振り落とそうとしているのか、激しく彼女は動き回る。

その人形は彼女がつくったものらしいというのは、間に入る映像でわかる。

木を削って顔を作り、布を裂いて服を縫う。彼女が人形を作っている場面が、所々に入れられる。

その顔は髪で隠れてよく見えないが、とても嬉しそうだ。

それから彼女は、人形を抱いて外へ出る。

そしてこの場面だ。コスモスが一面に咲いている野原で女は人形と踊る。人形は顔が仮面になっているのだが、その仮面が時々人の顔に見えたり、また女の顔が仮面に見えたりしてとても怖い。人形の手足が振りまわされ、コスモスが散ってゆく。

思い出せるのは、そこまで。多分私はあまりの怖さでチャンネルを変えてしまったのだと思う。そして次の日からそのことは忘れようと思い、私の脳はそれに従った。

でも、もやもやが染みついて消えなかった。

そのものやもやをなんとか形にしようとして――

絵を描きはじめたのだった。

コスモスが散っている。

なら、この風景は私の絵の出発点だ。

描けないないのなら、やり直せばいい。

そのために、今日という日があったのだ。

ボディーソープが無くなったのも、

痒くて痒くて仕方なかったことも、

全部、このことのためだったのだ。

永湖は笑った。声を上げて笑った。

ぜんぶ、わかったから。

三日後、絵が完成した。

あれから絵が描けるようになって、海の絵を描き直したのだ。前とは違う絵になっている。

締め切りに間に合ったし、依頼したひとも気に入ってくれたようだ。明日、送ることにしてある。今日でこの絵と別れると思うと少し寂しい気もするが、永湖は充実感でいぱいだった。

永湖は振り返ってあの絵を見る。三日間飲まず食わずで仕上げた絵。

いい出来だ。

自画自賛とはこの事だが、生まれ変わった記念だ。目をつむることにした。とても満足で、安らかな気分。

ふと気が付くと、痒みが消えていた。あんなに苦しめたくせに。知らないうちに治ってしまったようだ。

しかし何故か永湖はあの痒さを懐かしく思っていた。

私を追い詰め、責めたて、じらさせる、濁った紫色の感触。

まあ、いいさ。

永湖はクスクスと笑ってみた。笑うのは久しぶりだ。

私はただ座って筆をもてあそび、その痒みを待てばいい。焦る事などない。

痒みで狂いそうになりなるたび死にそうになるたびに、私は変わることができる。さなぎから蝶へ脱皮するように、そう、ゆっくりと変化する。

そのときは、またあのコスモスを思い出そう。

私はまだいくらでも、変わることができるのだから。

永湖は日だまりの中で目を閉じた。息を吸い、はく。

穏やかな気分のとき、思い浮かぶのはいつもそれだ。

静かな美術館。清潔で冷たいコンクリートの壁に、陽の光が入り込んでいる。

お客はひとりもいない。ただ、額縁に入れられた絵と台に乗った花瓶が置いてある。

窓から注ぐ暖かい日差しに、絵が照らされる。絵の横には作者名のプレートが打ちつけられている。花瓶のなかのコスモスが揺れる。

作者名 柿崎永湖。タイトルは――

『痒み』


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2007年、第二回の12歳の文学で佳作をもらった小説です。ちょうど12年経つので公開してみます。

本には名前だけしか載らなかったんだけど、審査員の評価のところで(たしか)樋口裕一に「大学生を主人公にするあたり背伸びしすぎている」みたいなことを言われて大分むかついたのを覚えています。

アンケートの好きな作家欄に、「恩田陸、田口ランディ、佐藤友哉、村上春樹」を記入していたので…まあ、こういう小説を書くようになるよね。

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