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フィッツジェラルドと映像/音のテクノロジー(要旨)

本稿は、The F. Scott Fitzgerald Society of Japanででのシンポジウム(於成蹊大学、2012年4月)での発表内容をもとに、同ニューズレター第27号(2012)に掲載された報告の再録である。このニューズレターも入手困難な状況のようなので、ここに再掲させていただいた。

 F. S. Fitzgeraldの作品のいくつかの場面を想起してみよう。たとえば『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby, 1925)から、ギャツビーの遺体を乗せたマットがプールに浮かぶ描写。静けさの中にかすかな動きのある、詩的で精妙な風景である。パーティ場面の喧騒と意図的に対比される、湖畔に佇むギャツビーの姿と相まって、静けさに満ちたギャツビーの世界を描出している。
 あるいは『夜はやさし』(Tender is the Night, 1934)の冒頭(初版)の、リビエラの海岸の描写。そこには映画的なカメラの動きが内包されているようだ。視覚的な記号に満ちた風景の中に響くのは、男のうめき声や息遣いのみ。この静寂に支配された風景の中を走る馬車に視線は寄る。そのまま馬車の内部に侵入し(あるいはカットを変え)、そこに座る母親の顔を残酷なほどのクローズアップで映し出す。次に語り手の視線(カメラ)はパンして、横に座るローズマリーの頬、額、髪、眼と、次々に移動しながら描写する。
 『ラスト・タイクーン』(The Last Tycoon, 1941)では主人公の目と耳を通じて、騒々しい映画スタジオと、写真やポートレイトが視覚中心の世界によって構成されている静寂に満ちたオフィスが対比される。ただし、スタジオでの様々な音が書き分けられ、ただの騒音として排除されているわけではない部分に、フィッツジェラルドの音に対する繊細で鋭敏な感覚が見て取れる。


 このように、彼の作品における視覚と聴覚に関わる描写を子細に検討することから、映画という新たなテクノロジーと、同時期に進行していた「音響革命」ともいうべき現象が浮かび上がってくる。その時代が、1896年に生まれ1940年に亡くなったフィッツジェラルド、つまり映画の誕生からサイレント期、トーキーの誕生から30年代のハリウッド黄金期遠通じて生きた芸術家の繊細な感受性をどのように組織していたのか。私の興味はそこにある。

 現象としてみればその時代の映画史は、サイレントからトーキーへ、映像・視覚中心の表現から、映像と音のコラボレーションへというドラスティックな表象モードの移行と捉えられるだろう。だが「映像」にあとから「音」が加わったと考えるべきではない。そもそも映画はつねに音とともにあったのである。最初期から映像と音声のシンクロを課題としていたエジソンの例を挙げるまでもなく、映画は映像のみで完結するのではなく、音と繋がって初めて完成するものという指向性は映画の中に最初から内在していた。これが映画研究者ノエル・バーチの唱える映画史である。
 それは映画とはそもそも、現実と繋がったものではなくもう一つの現実、別の世界を垣間見せるもの、という捉え方につながる。映画的制度とは、様々な技法やテクニックを駆使して自立した映画空間を作り出す表象様式と、この様式を「自然」なものと受け入れる観客の心性という、送り手と受け手の二者の準備が整って成立したものだったのである。この視線と感受性の組織化により、スクリーンと客席を別個の空間とする新たな空間意識が産出される。
 テオドール・アドルノは文化産業としての映画やラジオ、ポピュラー音楽を否定したが、その否定の中心には、そうした産業としての文化商品は受動的に受容するしかない「不自由さ」に対するアドルノのいら立ちがある。逆に言えば、映画が現実から自立した表現形式として完結したからこそ、ニッケルオデオン時代のような観客の積極的な参加、主体的な働きかけは不可能となってしまったのである。つまりこれは映画が積極的に引き受けた「不自由さ」なのだ。
 さらにアドルノは、ラジオによる芸術音楽の搾取、本来あるべきコンテクストから音楽を切り離し断片化することも批判している。この、コンテクストから切り離された音の誕生が、R. Murray Schafferが”Schizophonia”と呼ぶ現象である。トーキーの誕生と時期をほぼ同じくして、人間の聴覚世界を大きく変容させるシステムが誕生していたのだ。これが最初に述べた、音響革命と呼ぶべき現象である。


 こうした点を考慮に入れてフィッツジェラルドの作品を読み直すと、視覚優位な世界である『ギャツビー』から、聴覚への意識が徐々に強まってくる『夜はやさし』、そして視覚と聴覚がそれぞれ同等の機能を有するかのような『ラスト・タイクーン』と、そこに一連の変化を見て取ることは可能ではないか。
  晩年の「マイ・ロスト・シティー」(“My Lost City”)では、些かロマンティックに脚色された過去の記憶と現実の風景を比較しながら、ニューヨークという街への思いが綴られる。その中で、街の喧騒から隔絶された部屋に響くオーボエの音が、やや理想化された過去のニューヨークを象徴する記憶としてよみがえる。一方で、現在のニューヨークは「街角でラジオががなり立てる」騒々しさに満ち、そこから連想されるのは、北アフリカで聞いた不安を掻き立てる音である。こちらの作品では、過去の静寂や調和に満ちた音世界と、現在の不協和音や大音量の世界が対比されて、まるでサイレント映画を黄金時代として回顧する昨今の映画評のようなノスタルジアに満ちている。
 新たな都市空間とは、ノイズに満ちた場所である。だがそのノイズの中に埋もれている種々雑多な音を聞き分け拾い出すことが、新たな時代を享受しそこでの人間の営みを肯定することでもある。とすれば、『ラスト・タイクーン』で描かれたスタジオの様々な音と、その騒音が届かないような主人公の父のオフィスは、現実の世界がすでに自分の知っている世界とはすっかり変わってしまったというある種の諦念と、それでも過去の黄金時代として想起されるような理想的な場所を求めてやまない精神が相克する、そうした作者の精神世界が反映されているのではないか。フィッツジェラルドがもう少し生きていれば、また違った音風景に満ちた作品世界を生み出していたのかもしれない。

*付記 シンポジウムでは金原瑞人、杉野健太郎、そして宮脇俊文の各氏と同席させていただいた。みなさんのご発表を拝聴し、フィッツジェラルド作品と映像の親和性を強く感じることができたのが大変刺激となった。単に文学作品の映像へのAdaptationの問題を超えた、両者に共通する表象制度の問題にさらに深く切り込んでいくことができる素晴らしい機会を与えていただいたことに深く感謝している。

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