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「普通」を迎合する

『マリリン・トールド・ミー』を読みました。

この本は、コロナ禍で思い描いた大学生活を送れないまま、気づけば3年生になった女子大生が主人公のお話。彼女は、ジェンダーゼミに所属し、マリリン・モンローを研究することになる。

作中では、田中美津「新版 いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論」について、議論を交わす場面があります。

「それから、本のタイトルにもある〈とり乱し〉ってなんのことかしらと首を傾げながら読んだんですが、例えば著者は、あぐらをかいて座っていたのに、好きな男の人が来たら正座に座り直してしまった、という経験談を書いていて。彼女はリブで、女性が〈女らしさ〉を無意識に植え付けられて育つこの社会を否定したいのに、一方で、 好きな男の人に振り向いてもらうには、女らしくすることが有効な手だとも知っているから、そういう場面では思わず〈女らしさ〉に迎合してしまうんですね。たしかに矛盾だらけだけど、そういう自己矛盾に動揺したりしながら、だけどその矛盾も丸ごと肯定して、受け入れて、向き合っていこうという姿勢なんだと思いました」

P59

この場面では、どんな関係性においてもそれっぽく見せて、取りつくろうことがいかに自然で、時には自分にとって矛盾が生じることを書いている。

私たちも、自分が思う「普通」に合わせた振る舞いや、より良く見せようとする行動を日常的に取っているだろう。

例えば、好きな人の前では自分が想像する「より良い自分」を演じるし、家族の前ではだらしない自分を見せ、上司の前ではしっかりとした自分を演じることがある。それがほとんどの人にとって自然なこと。

これを延長すれば、友達や同僚の前でも、場面によって異なる振る舞いをしていることがわかる。

人によって振る舞いを変えることは、平野啓一郎『私とは何か』の分人の概念にも通ずる。

分人とは、「本当の自分などは存在せず、様々な対人関係で見せる自分の集合で私はできている」という考えだ。

新しい人と関係を作る時は全く新しい自分が生まれるかもしれないし、これまでに出会った人との関係でいる自分の濃淡を組み合わせたものになるかもしれない。

分人は、自分は相手との関係性によって作られるものだけれども、そこにモデルがあってもおかしくない。引用では、意中の人に振り向いてもらうために自分が女らしい行動を取ることを試みている。

どうしたら相手によく思われるか、その手段として女らしい行動が1番クリティカルに効くと思い、振る舞った。

これは、社会的に期待される「女らしさ」が、自己の一部となる瞬間でもある。けれども、それは自分が忌み嫌っていた女らしさであり、それがアイデンティティと相反してしまった。

私たちは、日々の人間関係において「普通」や「女らしさ」という社会的規範に迎合する場面が少なくない。

「分人」の概念が示すように、私たちは他者との関係の中で無数の自分を演じ、その中で矛盾や葛藤を抱える。

しかし、その矛盾を受け入れることで、むしろ自分らしさが浮かび上がるのかもしれない。

フィクションの世界では、キャラクターが大きく成長する場面で過去回想が入る。何かの影響を受け、それまでの自分と決別し、新たな自分になる。そんな過去の回想を経て、その人がそこにいる。

この場面でも、自分は1つであり、違う自分から新たな自分になることをほのめかしている。弱い自分から強い自分へ。優しい自分から暴力的な自分へ。

キャラクターの成長過程には、自分が気づく場面、仲間によって気づく場面、ライバルによって気づく場面など様々あるが、今回は敵キャラが主人公によって改心する場面を考えてみる。

こういった場面では、主人公が敵キャラに向かって、「おまえは昔の自分だ」みたいなことを言う。「でも、今は違う。」「俺はそれを受け入れたんだ。弱い自分も俺なんだって。」

この言葉を受け、敵キャラは最後の抵抗のように、「私が今までやってきたことは間違いだったとでも言うのかぁーーー!」みたいなセリフを吐き、最後は相手の言葉に共感を得て改心する。

「当時の自分が間違っていたわけでもなく、今の自分も間違いではない。全てが正解なんだ。みんな自分なんだ。それを受け入れてこそ。本当の強さなんだ」みたいな。

作り話だが、こんな作品はあると思う。
(パッと出てこないだけに悔しい)

ここから考えられるのは、敵キャラはこの世界が、弱い自分よりも強い自分、優しい自分よりも暴力的な自分の方が正しいと思わされた経験から改心することを決めるが、実はそれは1つの見方でしかなく、両立できる道を選べなかった。もしくは、手段が思い付かなかった。だから、分かりやすいモデルの道を選んだ。

けれども、主人公が際立つのは、両方の性質を兼ね備えた自分らしさがあるから。

結局のところ、「普通」に迎合する自分を否定するのではなく、それをも含めて自分自身を認めていくことが大切なのではないだろうか。

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