【読書記録】『働くということ 「能力主義」を超えて』
『働くということ 「能力主義」を超えて』を読みました。
能力主義を是とする歴史を振り返りながら、現在の能力主義を取り巻く環境を組織における人間関係を例にして書いたものです。
著者が、冒頭に書いているように方法論や「結局どうすればいいの?」ということは書かれておらず、何かしらの答えを求める人には向かない。
けれども、著者のツッコミ混じりの語り口調や、対話形式のパートもあり、読みやすい。
自分の中の正解が世界の正解ではなく、他の解もあるのかも?と凝り固まった考えにメスを入れる本としてはありかもしれない。
というのも、書いたように歴史を振り返りながら、能力主義が良しとされる価値観が形成された過程を見ることになる。それにより、自分がその歴史の中でどの立ち位置にいるのか知ることになる。
この価値観は今だけのもので、今の当たり前でしかなく、「昔から言われている」の「昔」はそんなに昔ではないことを知る。
今となっては、努力が自分だけのものだという言説すらも、疑問が持たれている。
マイケル・サンデル『実力も運のうち』でも、同じことが指摘されている。
近年、親ガチャと言われることも通ずる。親ガチャとは、自分の境遇を過去によって説明することで、自分の生まれが悪かったから人生が上手く行っていない。
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この本の1番の気づきは、一緒に仕事をする人に合わせて自分の振る舞いを変えることだと思う。
媚びを売るとか、忖度するのではない。
この人と私が一緒に仕事をすると考えた時、どうやったらスムーズに事を進められるかを考え、実践することにある。
多くの会社は、その会社なりの成果の出し方(一元的な正しさ)を社員に教え込み成果を出そうとする。
「コラム② 誰が悪いのか? 悪者は排除すればいいのか?」では、会社をすぐ辞める人が悪く、会社は間違っていないと思わせる内容だった。
採用試験で行った適性検査のデータを利用し、どんな人が辞めやすいのかを分析した。その結果、辞めやすいと判断された人はのちに全員退職した。
この結果から、適性検査でこの傾向が出た人はおそらく辞めるだろうから、そもそも採用しない、という採用方針を取る。
これは会社を正当化させるように感じた。会社も人間と一緒で、自分が悪くないと思いたいのだろう。
『なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか』では、哲学者のジョナサン・リアの『Radical Hope: Ethics in the Cultural Devastation』(過激な希望 文化的荒廃時における倫理)をこう解釈している。
自分の会社がおかしいと気づいても、それを認められない。また、そのシステムで成功してしまったがゆえ、どこを直せばいいのか分からない。
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私がマニュアル中心の仕事をしていた時、本書のエリコさんの話は理解できた。
ここまで尖ってはいないけれども、「一人でやったほうがうまくできる」とは思っていた。
今思い返せば、「自分の思い通りに動いてくれず、動きが噛み合わないから一人でやりたい」ということだったと思う。
これも一元的な正しさで、「自分の道筋が一番正しいんだ」しか見えていなかった。
同じ状況になったときは、「あの人がこれをしたら私はこれをする、それをしたらこれをする」と、複数パターンを頭の中で作った行動している。
考えが180°変わってはいないが、正解の道筋は1本ではなく、枝分かれした分岐点からも同じ位置にたどり着けるようになっていると、考えるようになった。
人によってスピードは違うし、標準と比較して遅くても、それに間に合うように自分にとっても無理がないように計画を立てるようになった。
不思議と、仕事を覚えると、他人と効率性を競ってしまう。そして、同じ賃金で働いてることに疑問を感じてしまう。
でも、1人でやることを考えると疲れるし、余計に他人にイラつく。そんなことは長続きしない。
それにいつも自分が社会的に認められる優位な立場にいる訳ではない。
P.S.
この本に登場する家族、みんな鋭すぎでは?