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自己啓発書をメタ的に見る

図書館で本を探しているときにたまたま目に止まった。

最近、話題の新書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んだ。

ここにも自己啓発本について語られていたので、近しいことが書いてあるかも?と思って手に取った。

ペラペラめくると片づけと自己啓発の繋がりについて書かれていた。「同じこと書いてある!」と思ったのもつかの間、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の文献リストを見ると、本書をちゃっかりと発見。さらには、自己啓発書と片づけを結びつけて書いていたのは本書の引用だった。

裏側を早くも知ってしまったものの、惹かれたのは間違いないので読んだ。そもそも自己啓発書を分析する本って読んだことがなく新鮮だった。

これからも自己啓発書の流れは止まらなさそうに思っているので、メタ的に自己啓発書を知れるいい機会だと思った。

本書では社会学者ピエール・ブルデューの理論を用いて自己啓発書を分析する。だが、よく分からなかった。

しかし、『ディスタンクシオン』という本で提唱しているハビトゥスという概念については少し分かった。

ブルデューの『ディスタンクシオン』を引用して、本書では以下のように書かれている。

身体化され『その人物』に完全に組み込まれた所有として特性、すなわちハビトゥス

P6

身体化とは、

「日常生活の中に落とし込」まれ、「習慣化」され、「感性」のような個人性の奥深い領域で発動するとされるこうした望ましい諸動作――それは単なる表面的な動作のみに収まるものではなく、それ らについてどう考えるかという「心」のあり方を含み込む

P6

ものとして書かれている。

また、『ディスタンクシオン』をこう解釈している。

日常における微細な振る舞いの差異が、その人と なり――これは単に人格というよりは、その生まれや育ち、教養や知性、現在の社会経済的地位とい った、社会的アイデンティティ全般を意味する――を示すことになる社会の構成について鮮やかに描き写した古典的著作

P4

ハビトゥスとは、育った環境で身につけた振る舞いや物事への考え方のことを指すのだろう。

例えば、食事のマナー。私はフランス料理をほとんど食べないので、フォークとナイフの置き方による作法は全く知らない。高級料理店に行くことを考えると、作法が分からないから行きづらいことを思い浮かべる。

しかし、よく通っていたり、子どもの頃から食べているとその習慣が身につく。その作法ができるか?の1つをとって、その人が育っていきた環境を知れる。もちろん、手慣れている人を見たら「あ、お金持ちなんだ」と思うだろう。

逆に、そういった場において無作法を全く気にせず、ギャーギャ騒いでいる人もいる。マンガやドラマの出来事でしか知らないが。こういった人を見ると、「成金で金にものを言わせて食べに来ている」とか、「金持ちぶっている」とか思うだろう。つまり、全く馴染んでいなく、見栄を張って食べに来ているとしか思われない。

ここでも、作法1つでその人の育ってきた環境を伺える。

そして自己啓発書とは、後天的に日頃からの身の振り方や考え方を身につけるものと位置づけられる。

おそらくは、何かしらの基準によって「見習うべき規範」となる人物が身につけていることを、それ以外の人に紹介しているのが、自己啓発書の役割。

本書ではこういったブルデューの理論を用いて、男(女)性向けの自己啓発書と手帳本、片づけ術のを分析している。

私はブルデューの理論に当てはめた自己啓発書の理解はできなかったが、それぞれの自己啓発書の主要なメッセージは理解できた。

端的に書くならば、男性向けの自己啓発書は仕事術。女性向けは自己実現。手帳本は仕事術から自己実現。片づけ術は自己変革、私的空間の浄化について書かれている。

男性向けの自己啓発書が仕事術なのは、古くからの男性が家庭・社会を支えるという意識から、いかにして仕事で成果を出すか?に焦点が当てられている。

それに対して女性向けは、仕事・結婚などのライフステージを得て、本当に自分の選択肢が正しかったのかを確認するためのもの。もちろん答えはないが、自分自身の選択に自信を持ち、自分がありたい姿(妻や母といった役割以外)になることを求められている。

手帳術は、過去を振り返るものから未来の予定を立てるものへ。過去も未来の予定を立てるために使われる。何を思って、何を考えたのかをメモすることは将来的な時間管理や情報管理の手段になる。さらには、それを批判し、なんの目的がなくても手帳を使っていいじゃないか。というほぼ日手帳の登場。何もない1日がかけがいのない1日になる。

片づけ術は、自分に本当に必要なものは何か、優先順位をつける手段や、自分の理想の生活を想起させる。社会はどうにもならないかもしれないが、自分の家を片づけることは自分の世界を自分の理想どおりにすることができる。自己実現の機会。

そんな分析もさることながら、著者がした自己啓発書類を読む目的のインタビューの回答として、「自己啓発書を「確認」として使っている」とあった。

「自分の考えと一致するもの」、「自分のやっていることに疑問を感じて、読み直して間違っていないことを確認する」「何かこの前も読んだことある」など。

今の自分の道筋が間違っていないか確認するために読む。

他にも、自分から出発して、これならできるかな?という視点から読む。

もう自己啓発書の類いはあまり読まないが、不思議なもので、落ち込んでいるときに読むと元気がでる。接種するのに時間がかかるエナジードリンク的な意味合いとして読むのがいい。

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