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SONOがSONOである理由について

タイトルのなまえを、どうぞご自分に当てはめてくださいな。
自分が自分である理由について。あたりまえに、自分という人間の人生を生きているわけなんだけれど、あたりまえに在るのもというのは凡そにおいて忘れがちであって、通常であることは実は奇跡の連続であったりもするのね。息をすること、夜に眠って朝に起きること(逆パターンもあるけど)、お腹が空くこと、トイレに行くこと、感情が動くこと、などなど。キリがないくらいにあたりまえにしていることは存在してる。

このあたりまえがあたりまえではなくなった時に初めて、これはあたりまえのことではなかったんだなあって気がつくこともあるけど、それもその状態が通常に戻った途端に忘却の彼方へと去ってしまう。こうして、個のあたりまえは、あたりまえとして日常に流れていく。

そもそも、自分が自分として生まれたこと自体が奇跡じゃないのかと思う近頃で、自分ってものを認識できてることが、もしかして、ものすっごいことなんじゃないの?くらいに思っている。哲理学作家のさとうみつろうさんが話してたことなんやけど、自分を認識するためには自分を見てる自分の存在が必要って話。誰かからSONOさんいるねって認識されるのは、その人があたしを見ているからで、あたしが自分がいるって認識するってことは、あたしを見てるあたしがいるってこと。

これってどういうこと?ってめっちゃ考えたけど、そのまんまその状態をイメージしたらなんとなく分かった。あたしを見てるあたしは別次元なのか同次元なのか分からんけど、確実に存在してるってこと。だからあたしはあたしを認識できてるんよね。いやー、世界は広い。深い。分からへんことだらけ。でもだから面白いのかもなあ。最終回の内容がすべてが分かってしまった世界なんて、きっと面白くも何ともなくって、そもそも最終回があるのかどうかも分かんないこの世界ほど、そこに生存している自分がいることほど、ドラマより映画よりずーっと面白い!

むしろ、この先の展開はなんとでも変えていけるってことなんじゃないのかと思ってて、2025年7月問題とかも、人がそれを悪いイメージで持っていけばいくほどそれは具現化する可能性が高まるけど、えー、そんなのないと思うーって、もっと楽しい方へ転換してくことをイメージできる人が増えれば増えるほど、ベクトルは変更されると思うしパラレルは無限に存在するんじゃない?って、あたしは思っている。これは、はっきり言うけどスピリチュアル云々の問題ではなくて、超現実の話。この世界の方向性も、個の人生も、なんとでも変えられる、というか、いろんな展開がもうすでに用意周到に存在してて、どれ選ぶ?ってことなんじゃないくらいに、あたしは思ってる。

ってことで、SONOがSONOである理由は、必要な存在だから。

これは誰にも当てはめられる。あなたがあなたである理由は必要な存在だから。これしかない。何もできないとか思っているのは何かと比較するからであって、比較ほど無意味なものはない。なぜかって、それは自分って存在がそもそもオンリーワンだから。とはいえ、あたしもまだまだ分からないことだらけなんだけれども、でも確実に言えるのは、この方向に思考をシフトしてからの人生の流れ方が明らかに変わってきたってこと。もうひとつ大きかったことは負の感情が起きなくなったこと。全ては良くなることにしか向かっていかない。それは自然の循環を見てたらよく分かる。自然は至善なんだと教わったことがあるけど、ほんとにそうだなあと思う。

自分を見てる自分を認識してみるといいよ。絵面をイメージするの。そうしたらもっと今の自分を俯瞰して客観的に見れるようになるはず。もっと楽に生きていいと思う。もっと楽しく生きていいと思う。それが生まれてきた意味だと思うから。


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