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アイスコーヒーとホットコーヒー
こんな風にまた夏が始まると、
毎年思う。
「喫茶店にアイスコーヒーを飲みにいかなくては」
特に人と会う予定もなく昼前に起きて
せいぜい洗濯と、昨日の夜の洗い物と、
銀行か郵便局に行く予定だけの休日の午後4時に
思い出したように行きつけの喫茶店に向かう。
10代後半から20代前半の頃までは、
夏の間はアイスコーヒーばかり飲んでいた。
アイスコーヒーばかり飲むような人にばかり恋をしては、どちらとは無しに誘い合って、
当時はまだたくさんあったタバコが吸える喫茶店で、
話をする時間が何よりの私たちの若さの結晶だと思っていたし、
よしもとばななばかり読んでいた。
ハタチかそこらの頃に、
とてもひそやかに友人に恋をしていた。
打ち明けてひと時の小恥ずかしい青春の思い出になんてなってたまるか、
と、
一度も思いは告げなかったし、
できる限りメスでは無い部分の自分のすべてを使って彼の役に立つ友人でいようとした。
よく一緒にコーヒーを飲んだ。
二人で向かい合っていたことも、大勢でテーブルを囲んでいたことも。
お互いに社会人になったばかりの夏に一度、
二人で喫茶店で待ち合わせをしたとき、
確か私のほうが先についてバカでかいサイズのアイスコーヒーを飲んでいたのだけれど、
遅れて登場した彼の、笑ってしまうくらいキマっていたスーツ姿のせいか、
効きすぎた冷房のせいか、
飲みすぎたアイスコーヒーのせいなのか、
私はだんだんと舌がもつれて
呂律が回らなくなって、
コントみたいにのろのろと自分の舌を噛みながら彼の話に一生懸命相槌を打った。
冷たい飲み物を飲んで舌が固まったように動かなくなってしまったのは後にも先にもその時だけで
(夢の中では舌も足もよくもつれるのだけれど
あの時の感覚はまさに夢が現実になったみたいだった。よくない意味で)
私は毎年、夏がきて
「喫茶店にアイスコーヒーを飲みに行かなきゃ」
と思うたびに
あの時の舌の重さ、
自分の着ていたものすごくはっきりとした緑色のワンピースを思い出すのだ。
喫茶店に着いたら、
一番好きなグァテマラのホットを頼む。
アイスコーヒーを飲みに来たのに結局いつも同じホットを頼む。
もう身体を冷やして、舌をもつれさせてまで言わないほうが良い想いも、
そもそも何時間もアイスコーヒーとタバコを行ったり来たりしながら
取りこぼさないように語りつくすべき青春の瞬きもここには無い。
暑さにも冷房との気温差にも胃腸の冷えにも年々弱くなっていく。
三十路を越えた小柄でしゃんとした女に必要なのは
誰にもばれずに小さく溜息をつくための
ホットコーヒーの方。