臨場感あふれる動画を届ける、フリーランスカメラマン、JO Mutsumi
様々なバックグラウンドを持ったそのまんま荘の住人がこれまでどのような人生を送り、今を生きているのか。住人一人一人の人生を紹介していく連載。
第3回目の連載で紹介する住人は、フリーランスで活動する報道カメラマン、ジョーさんことJO Mutsumi。そのまんま荘の日常の発信やこの連載のインタビュー写真を撮影してくれている影の立役者。
JO Mutsumi(じょうむつみ)|1995年生まれ、25歳。京都府出身。
山口大学の教育学部卒業後、大学院に進学。周りの学院生との価値観や考えの違いから休学し、上京。その後、Panasonicが運営する新規プロジェクトの共創空間「100BANCH」の運営スタッフとして働きながら、フリーランスのカメラマンとして様々な動画を世の中に発信している。
下記は、JOさんの作品の中の2つ。世田谷区から依頼され、事業のPR動画の撮影兼編集も行った凄腕のカメラマン。
動画撮影を始めたきっかけ
「中学生のときに購入した一台のデジタルカメラ」
--そのまんま荘メディア、第3回目の枠を飾る住人はJOさんです。本日はよろしくお願いします。JOさんといえば、常にカメラを構えて日常の様子を撮影しているイメージがあるのですが、動画を撮影し始めた最初のきっかけは何ですか?
JO
インタビューなんてされたことがなかったので、今回の連載がいつ回ってくるのか楽しみにしていたよ!こちらこそ、よろしくお願いします!動画を撮り始めたきっかけかー。中学生の時に初めて買った一台のデジタルカメラかな。小学生の頃から、両親のガラケーで綺麗な景色とか、兄弟の楽しそうな様子を撮るのが好きで、毎日のように撮っていたんだよね。でも、当時iPhoneのような良い写真を撮ることができる携帯ってなかったから、画質も悪いし、画角も狭いし、不満が多かったの。だから、中学生になって、必死におこずかいを貯めて1万円のデジカメを買ったんですよ。初めて購入した高いものだったから、毎日肌身離さずに身につけていたね。学校で友達がする何気ない会話とか、いいなと思った身の回りの景色をとにかく飽きるまで撮ってた。最初は写真と動画の両方を撮っていたんだけど、動画の方が見返したときにより具体的に様子がわかるから、高校の頃には、ほとんど動画で撮影することが多くなっていたね。
JOさんを虜にしたカメラの魅力
「一瞬一瞬の景色や情景を、記憶として鮮明に残すことができる」
--中学生の時に買った一台のデジカメからJOさんのカメラマン人生が始まったということですね!当時を振り返ってみると、カメラや動画撮影の魅力ってどんなところだったと思いますか?
JO
うーん。一瞬一瞬を記憶として鮮明に残せるところかな。例えば、「今日は学校の校庭にいつもより鳥がいっぱい居るな」と思ったら、カメラで撮影を始める。家族でお好み焼きパーティーをしていて、「なんか今日、いつもより楽しいな」と感じたときにカメラを構える。そのまま過ごしているとそれとなく流れる日常を記憶の一つとして残すことができるんだよね。みんな体験したことあると思うんだけど、過去の記憶って、思い出そうとしても、なかなか出てこないと思うのね。でも、カメラに記憶として残すことで、「あの日なぜかいつもより鳥がいたよなー」とか、「あのときのお好み焼きパーティーはすごく楽しかったなー」とか、景色や情景がずっとカメラの中に生き続けると思うんだ。いつも周りの人に、「なんで、JOさんはいつも動画を撮ってるの?」ってよく聞かれるんだけど、自分が見ている景色や日常を記憶に残して、将来自分で見返して楽しむに撮ってるんだよね。カメラはそのための一つの大切な道具って感じかな。
理想と違った大学生活
「周りに流され、大学に進学」
--確かに、今では写真や動画を撮ることが当たり前になっているけど、写真や動画を撮る意味まで深く考えたことはなかったなー。熱いですねJOさんのカメラにかける想い。これからは、JOさんの今までの人生について教えていただきたいのですが、JOさんの大学生活ってどんな感じだったんですか?
Jo
大学生活ねー。高校で進路を選択するときに悩んだんだよね、就職するのか、それとも大学に進学するのか。それも理由が、当時自分が就きたい仕事とか、将来なりたい理想像っていうのがなかったんだよね。動画は趣味でやっていたから、仕事になるなんて思ってなかったし...。やりたくない仕事には就きたくなかったし、周りの友達も大学に進学していたから、「大学でやりたいことが見つかれば良いか」と思って、大学に進学したね。学部は、子供が好きだったし、それが仕事になればいいかなと少し思っていたから、教育学部に。
--JOさんは子供好きそうですもんね。それから、大学生活が始まるわけですね。
JO
そう。大学生活が始まるわけなんだけど...。なんとなくで大学を選択したから、やっぱり楽しくないわけですよ。教育実習とか、先輩教員の体験談を聞いても、「何か面白みがないな、自分には合わないな」って。時間って経つのが早くて、気づいたら三年生になっていて、周りは本格的に教員採用試験の勉強を始めるんだけど、僕は勉強に熱が入らなかったんだよね。当時、別に教員になりたいわけでもなかったので。そこで何か、違う道を考えないといけないなと思ったんだ。たどり着いた結論が、インターンをしようって思ったの。理由は「価値観とか人生の選択肢が広がるかな」というなんとなくの思い。で、インターン先を探しているときに、出会ったのがリトリート(島での野外体験や林間学校)を新規事業として取り組んでいる地元企業だったのね。ここでの、インターンが人生を大きく変えたんだよね。
インターン先での大きな学び
「世の中には、いろんな生き方があることを学んだ」
--えー、気になります!どんなことを学んだんですか?
JO
でしょでしょ。インターン先が牛島(うしま)っていう、山口県から船で20分くらい離れた島だったんだけど、そこでの生活がすっごい楽しかったんだよね。島にはいろんな人が集まっていて、例えば、「塩釜で塩作りをしながら海藻の肥料をつくっている人」とか、「ボルダリングのジムを経営していて、子供たちと一緒にキャンプをしている人」とか、「スラックライン(綱渡り)日本一の記録を持っていて、子供達に魅力を伝えている人」などなど。いろんな生き方をしている人がいたんだよね。教育学部にいた僕からすると、全てが新しい生き方だったんだよね。ここで学んだことはまず、学校の先生より、島で好きなことをやっている人たちの方が輝いて見えたということ。好きなことで生きているからすごい輝いていたんだよね。もう一つが、世の中にはいろんな生き方があるということを学んだんだよね。教育学部にいると周りのほとんどの人が教員になるから、人生の選択肢が少なかったのね。ここでの体験は、人生で一番楽しかった半年かもしれないね。
(インターン先の山口県牛島の写真)
--そうなんですね。海が綺麗...。そこの島に僕も行ってみたくなりました。インターン後の大学生活はどうでしたか?
JO
インターンが終わって、大学が再開するわけだけど、周りの親、とか友達は心配をしたんだよね。「大学卒業したら、JOってどうするの?」って。インターンの経験で視野は広がったんだけど、やりたいことはまだ見つからなかったんだよね。だから、僕も「うーん、どうしよかなー」ってしか返答できなかったんだよね。結局、親に「大学院行きながら、やりたいこと見つけたら」とアドバイスをされて、渋々大学院の試験を受けたの。なんで受けたのかはわからなかったけど多分当時、「何かに所属している」っていう肩書きが欲しかったんだろうね。それで結果受かっちゃったんだよね。
大学院に進学、しかし...
「勉強はやりたいことではなかった。」
--なるほど。大学院はどうでしたか?
JO
大学院は大学より大変だったんだよねー。大学の教育学部って、教員になる人もいるけど、一部は企業に就職する人もいるんだよね。でも、大学院って、本当に教育が好きで、勉強が好きで、教員になりたい人しかいなかったの。そんな中、「二年間で何かやりたいことが見つかればいいな」と思っていたんだけど、勉強自体がやりたくないことだと入ってすぐに気づいたんだよね。「なんでやりたいことを探しているのに、今やりたくないことをやってるんだ」って。でも、何をしたらいいのかもわからなかったから、行動も出来ず。その結果、大学院に進学して3ヶ月で体を壊してしまったの。心も体も病んでしまったんだよね。
--やりたくないことをやっていると、心身ともに疲れが出てくるんですね。
JO
そうなの。でも、ある出会いがあったから、3ヶ月も耐えていたんだと思うんだよね。それは、大学院に進学した4月の話なんだけど、Facebookで「関西の大学生を集めて、オリジナルの入学式をつくろう」というイベントを企画している人がいて、面白そうだから、イベントをサポートしたの。そのイベントの発起人の一人がそのまんま荘のオーナーの荒木くんだったのね。荒木くんが僕が動画を撮ることが好きだったことをSNSで見て、「イベント当日の撮影をしてほしい」と依頼があったの。初めて誰かのために、カメラを構えて、編集までしたのね。そのときがすごく楽しかったの。ここで、「何より、動画を撮影するのが好きで、それを編集して世の中に発信することが好きなんだ」と気付いたんだ。
好きなことが仕事になった瞬間
「100BANCHからの動画制作依頼」
--たかさんとの出会いで自分がやりたいこと、仕事にしたいことが決まったんですね!そこから東京に来られたの思うんですけど、その話を詳しく教えてください。
JO
昔から東京に行ってみたいと思ってたから、体を壊したことを機に大学院を休学して、東京に出ることにしたんだよね。すると荒木くんが、「東京のシェアハウスに空きがあるから、来たらいいじゃん」と言ってくれて、休学してから1週間後には東京に移住していたね。当時全財産が5000円しかなくて、「とにかく何か仕事をしないといけない」と思っていた時に、100BANCHで荒木くんと住人の田中くんがプロジェクトを行なっているということから、仕事を紹介してもらい、100BANCHの運営スタッフとして働くことになったんだよ。仕事の一つの広報として、自分で撮った100BANCHの様子をSNSに動画としてあげていると、運営から、「1年の振り返り動画を仕事として依頼したい」と言われたんだよね。そのときは、もう。「好きなことが仕事に。しかもフリーランスとして!」って感じだった!その後も、各プロジェクトから動画制作依頼を受けるようになったの。好きなことを発信していたら、誰かが見てくれて、それが仕事になったという幸せなことが起きたんだよね。この後に、正式に大学院を退学したね。
現在の近況報告
「当たり前の環境から離脱し、さらなる学びの場へ」
--いろんな経験をした結果、好きなこと・やりたいことが見つかり、仕事にすることができたんですね。終盤に入ってきました、現在の近況報告を教えてもらいますか。
JO
そうだね。実は、一度山口県に帰ろうと思っているんだ。理由は、「直感的に自然のある場所に戻りたい」って思っている自分がいるのと、「2年間住むことで東京での生活に刺激を感じなくなった」ということ。最初の頃は、都会ならではの気付きや発見があったり、そのまんま荘でもいろんな価値観や夢を持った面白い人と会話できるし、刺激的だったんだけどね。インターンでの話があるんだけど、地元のおじいちゃんに「この島の海は本当に綺麗ですよね」と話したことがあったんだ。すると、おじいちゃんは「ずっと住んでるからあまりわからないな。昔はもうちょっと綺麗だったと思うよ。」って。そこで気づいたことが、同じ環境にいると、驚きや発見が薄れて来るんだということ。今の自分と牛島のおじいちゃんの感覚は同じだと思うんだ。だから、一度東京から離れて、また山口で新しい視点を学ぼうかなって思ってるんだよね。でも一つだけ言えることがあって、「どこに行っても、動画を撮り続けて、景色や情景を発信し続けるということ」。これは今後も変わらないかなって。今までいろんなことをしてきたけど、僕が見ている景色をカメラで切り取ることだけは、昔からずっとやってきていることだからね。
見ている方へのメッセージ
「自分が信じた道を選び、行動すること」
--すごい一つの映画を見たような感覚です...。本当に今回のインタビュー楽しかったです、ありがとうございます。最後に見ている方へJOさんからメッセージをお願いします。
JO
僕が思うことは、自分で選んだ道は、納得の行く結果になるということ。逆を言うと、誰かに言われたことを鵜呑みにして、行動をしても、納得する結果が得られることが少なく、続かないことが多いということ。大学生でも、社会人でも、不安になったり悩んだりすることってあると思うんだよね。でも、どんなに悩んでも、自分を信じて行動することが良いということ。ぼくの経験からの意見だから、ひとつの参考としてのメッセージになればなと思います。
JO Mutsumiからの学び
「マイペースを大切に」
〜焦らず、自分のペース、考えで行動すること〜
「無理をしないこと」
〜しんどいことはしない。身体を一番大切にすること〜
「考えすぎない」
〜答えが出ないときは、一度休憩をすること〜
そのまんま荘については下記の投稿からどうぞ。
(執筆:立野凌央)
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