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自らの誤りを自ら正す

人間だから間違うことがある。
試行錯誤の末に、間違いだと気付くこと。

そんな時

その違和感を抱えながら進むのか?
一度足を止めてみるのか?

間違いに気付いた時
自分で「間違いだった」と言えるのか?

アラフィフになって、ほどけて来た
わたしの強いエゴやプライドは
最近、人の振りを見て我がフリを改めている。

自分で自分を正せない人に
私自身が腹を立てているから
自分も正さなきゃ気持ちが悪いと言う理由。

ちょっとだけだけど、素直になってみている。

普通に接していて
接し方を間違うことがあって
言葉が足らず「そうじゃないって(怒)」
と言って不機嫌な顔を見せる母を見て
私も、全く同じこと言うことがあると気づいた。

きっと私のそれも同じく相手には
本当に間違って受け取られているだろうと
気付いた時

すぐに自分の言動を振り返れるか?
誤りを見つけて訂正できるか?
素直に謝ることができるか?
自分は悪くないと正当化していないか?
負けたくないという感情が湧いていないか?
悲しくなってないか?
怒りや葛藤はあるか?

そうやって少し感情の時間を待つと、自分で
「わたし素敵じゃないな」って
「お詫びしよう」って想いが込み上げる。

それは結構、儲けもんだと思う。
歳を重ねれば、そう思えることが
貴重になってくる。
言う前に配慮しろよなとも思う。

頑なさ
負けん気の強さ
意志力

正しく機能しているなら、それは誇れる個性。
Not-selfなら、不快なお荷物なんじゃないかな。


自分の間違いは
誰も正してはくれないから
自分で正すこと
自分で気づくこと

本当にそれは手放せないものなのか?
胸に手を当てて聞いてみる。
案外そんなもん、ポイっと簡単に
捨てられるもんかも知れない。

いくつになっても
変わっていく自分に出会いたい。

今日はこれを書き残したくて書きました。
私は自らの誤りを、自ら正せる人でありたい。

人のことは分かるのに、自分のことは全くダメです。サポート・招待を受けると、心の底から喜びます。どうぞよろしくお願いします。