あとになってみないとわからない
なにか不幸だと思われる出来事がおきると
そのことを恨んだりすることがある。
なぜ自分にこんなことが降りかかったのだと
人生を憎んだりもしはじめる。
しかし、いろんなことはあとになってみないとわからないのである。
僕の場合だと、そういう不幸と思われるものごとは悉くよくなっている。というか、全部よくなっている。
精神的に限界が達して、会社が続けられなくなってしまったこと
一生を約束したパートナーとお別れが訪れたこと
双極症になって、お金、ともだち、仕事を失ってしまったこと
これらは自分に起きた出来事の中で
とても強く印象にのこったものたち。
その渦中にいるときは、苦しみ怒り悲しみ絶望無力感のフルコンボを味わい、この世の終わりだと思っていたが、人間慣れるようにできているものでその状況にも次第に慣れ、もちろん時間はかかるが、冷静に出来事を見つめ直すことができるようになる。
諦めたことや、逃げ出したこと、破壊されたものごとは自分にとって無理が生じてたことで必要のないものと気づくことができた。
自分の心からしたいことでないことを
無理くりしたいと思い込ませて頑張っていたな。
情や責任感などで、無理に関係を続けようとしていたな。ありのままの自分ではなくて、演じた自分で人と接してたな。無理のない自分では、会いたくない人だったな、
などなど。いろんなメッキが剥げ落ちた。
それらは、自分のことを深く知るための出来事だったんだとあとになって気づく。
あらゆるご縁の中で、人や出来事の出会いも別れが訪れる。
喜怒哀楽しながら、それらとたくさん対峙する。
その出来事がおきたとき、いいか悪いか
その時の自分の視野では想像できないことがとても多い。
ものごとは色々とあとになってみないとわからない。