正しさより優しさ
なんとなく世間に蔓延る正しさの形
Twitterなんか眺めてるとその嵐をなまじっか目撃する
いろんなことで人々はぶつかり合い、自分の中の正しさをふりふりしている。
どっちでもいいやん。
そんなことを思いながら、どっちでもよくなくてもいいかなんて思ったりする。
リアルな人間関係でも、距離が近ければ近いほど自分の中の正しさで相手をねじ伏せようとする。
浅めな、親密ではない間柄ではあまりそういうような自分は現れない。角のたたないように取り繕うことが割と容易にできるから。
どっちが正しいなんていうものは、本来なくて
その人その人が生きてきた中でいろんな経験をして握りしめてきた正しさを持ってるだけなんだけどね。
だから、言い争いなんかして
正しさの主張をしあっても限りなく平行線でお互い疲れるだけだし、いい負かせたと一瞬思っても、束の間の悦に浸るだけで関係が気まずくなった方が苦い筈である。
こういう主張も僕のもっている観念だからいいも悪いもないんだけど、
そんな無毛な争いをして、自分の低い自尊心を回復しようとしたりするのはやめにして
意見の違う相手と繋がってみようよって話。
相手のバックグラウンドを根掘り葉掘り知ってみたらそういう考えになるのも、わかるなって思えてきたりするから。
そうなれたら、あとは話し合うだけなんだよね。
俺はこういう思いをもっている、
あなたはこういう思いをもっている、
それをまず理解する。
その後に、お互いがお互いそういう思いをもっていることを尊重して過ごしていこうねって着地する。自分にとっても相手にとっても嫌と感じるポイントは違うから。
それで落着じゃない?
意外にも正しいが多くて、人と言い争ったり、捌いたりする人は、自分自身に対して厳しくて色んなルールでガチガチになっていることが多い。
そんなに自分を締めたあげずに、ゆるっと力をぬいてさ。
言い争ったり、正しさを振りかざすような厳しさよりも、相手の嫌なポイントはこうなんだなって気づけたら、もし気づかないうちに嫌な思いさせたのならごめんねっていえたほうがお互い気持ちいいよね。そしたら自分が嫌って思ってたら相手のことも嫌じゃなくなるしね。
といいつつも
僕もまだまだ沸点がぐつぐつなって咄嗟にそういうことをしてしまうことがあるけどね笑
そういうことをしてしまってもしょうがないとまず許して、あとあと一息ついた時にしっかり謝るようしてる。
正しさより優しさ。
そういう思いで、生きていけたらなっておもいます。
ではでは〜