競争に向き合ってみて気づいたこと

昔から、他人に対して、競争意識が異常に強かった。家族に対しても。

歳の近い兄がいたこと、
戦隊モノのアニメにどハマりしてたこと、
理由はわからないのだが、とにかくそういう状態だった。

幼少期から
スポーツ(野球)、勉強(早い段階のお受験)があった為か、より一層その状態が強化されていった。

勝ち負けがのみが世の真理と
そのときは本気で思っていたこともあり、
勝負がある項目については、がむしゃらに努力した。

その結果もあってか、また運動神経などは、元々恵まれてたこともあり、
その時の周りの人たちよりよくできる。そんな状況になった。

勝ち負けで人を判断しているから、
人を見下した子供になり、だんだん周りに横暴な態度をとるようになっていった。独善的に。

そんな風な態度なので、
周りから友達のようなものも減っていった。
そのときは、そんなものはいらない。なんて、斜に構えていたけど、心の中ではえらく寂しかった。また仲良くしたいのだけど、勝ち負けの土俵でしか人を見れなくなっていて、打ち解け方がわからなくなっていた。

その後、中学に進学してからも同じような考えで過ごした。

その中学は、進学校ということもあり、
それまで自分が上だと思っていた学力もその中では、かなり下の方だった。

スポーツの方も、同様で
自分よりうまい友達がいたりして、昔のように殿様でいることができない状況になった。

そのような現実を目の当たりにしても、
自分の無力さ、不甲斐なさ、ろくでもなさ
と向かい合うことができずに、勝ち負けの物差しを手放すことが出来ずに、

鬱になっていった。どんなに努力しても周りに勝てない自分を攻め始めたからだと思う。人の目も見れなくなっていって、対人関係もうまくいかなくなった。

そのときは、鬱になったせいで、俺はできなくなったんだと現実から目を背けられるからその状態を引き寄せたように今となっては思う。

その状態からも、なにか他の部門で勝てることを探した。

いかに女性からモテるか、いかに荒れ狂って周りから注目を集めるか、そんなことに傾倒していった。

社会人になってからもそれは続き、
周りと比べてお金をどれぐらい持ってるか、他の人よりも営業成績が上か、人から注目を浴びているか、そんな事ばかりを中心に全てを進めてきた。

もちろん、そんなことばかり考えているので
一時的な爆発力はあったりして、その瞬間は、悦の中にいれた。しかし、結果もコントロールは、できないし、そういう心持ちで物事と向き合っていたので、他に落ちるスピードも爆発的に早かった。

その状態からまた、自分を責め、
こんなに努力してるのに、こんなに頑張ってるのにと、次は世の中の不条理について憎み始めた。

さらに、精神は荒んで、
生活ができないほどに壊れていった。

その状態になって、
やっと自分のことを振り返ることができるようになってきた。

自分が勝ち負けに異常なほど、重きを置いていること。
常に上下で人を見るために、人との関係性が利害的で、脆く、寂しいこと。
勝ち負けもただの概念であること。
自分のしょうもなさ、いたらなさを受け止められずに勝つことで目を背けようとしていたこと。
勝ったからといって、そこに幸せはないこと。

色々なことに気づかせれていった。
もし、自分が勝ち続けていたことを考えると悍ましく思う。えらく横暴な態度だっただろうし、人との繋がりも打算的でしかなく、とても寂しい人間になっていたと思う。

もちろん、勝ち負けがいけないわけではない。
自分が本当にやりたいことや、好きなことで
周りと切磋琢磨できている状態で、向上することに喜びを感じるなら、健全なことだし、むしろよいスパイスになる。
自分の中に劣等感がなく、交戦的で戦いが好きって人も同じく。

しかし、僕みたいに
自分の劣等感から目を背けるために勝ち負けをするのは、苦しいだけだと思う。勝っても束の間、更にまた勝てることを探して、そこに安堵はなく、ただハイエナになるだけだから。

これまでの人生と
真逆の思いでこれからは、生きていく。
沢山のものを失い、色んな人を傷つけ、自己中心的だった自分がいて、今があると思っている。

後悔や、申し訳なさは
数え出したらキリが無いが、
新しい自分で歩いてゆく。みんなと手を取り合って。

以上、競争と向き合ってみてでした〜。
またまた〜。



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