許せない。
差別や偏見が許せない。
差別や偏見をすることではなく、それを自覚しないで「プロ」を自称する人達が。
お金を得ているのなら全て「プロ」であり、それには絶対的な責任を伴うと思う。
知らなかった、で済まされないし、制作に関わった人たち全員の名前を公表すればいい!
なんて、過激な思考にさえ陥るほど許せない感情が湧いた。
そう私が感じる理由は、
息子が発達障害で生きにくい個性を持っているから、
と、
私に同性愛があるから。
息子の発達障害については、彼の個人的情報なのでここでは話せません。
私の性志向についてですが。
バツイチで子どもがいて、アラフィフで恋人がいる、今の相手は異性であるけれど、簡単に言うと、私自身はバイセクシャルの気質もあると言うこと。
LGBTQというけど、すっぱりと線を引くことは難しんだ、って感じています。
何故なら、
大多数の人は、異性しか恋愛対象に考えようとしていないから。
心から湧き上がるものがない状態でも、同性と恋愛的な行動をした時、どう感じるかを検証すらしていないから。
もし、恋愛的行動をした時、何か心に芽生えるものがあったとしても、打ち消すでしょうし。
逆に、すごくすごく好きになった人がいて、その人が考えていた性とは別の性だった時、自分はどう感じるのか。
好きじゃなくなるのか、自分を嫌悪するのか、がっかりするのか…。
でも本心は?
男だから好きなのか、女だから好きなのか、その人だから好きなのか。
性志向だけではなく、
自分が女なのが大前提なのか、男であることが一番と考える理由は何なのか。
もし、目も見えず耳も聞こえず、社会や文化と接触することのない世界で生きているとして、「男」「女」という概念がなかったとしたら、あなたの性は何ですか?
でも、「普通」ではないこと、自分が「変」であることは、自分が一番よく分かっていて、自分で自分を一番傷つけてしまう。
カミングアウトするのもしないのも、その人の権利。自由。
「言ってくれればいいのに」「言わないとわからない、配慮できない」という考え方の暴力。
誰もその人の固有の大事な部分を浸食する権利はない。
例え、夫婦であっても。親子であっても。
私は、相手にははっきりとは伝えていない。
過去に好きだった女性がいたことも、キスしたことも。
相手が、男であること「性別」に重きを置くことを知っているから。
私が、他の男性と話をするだけで嫉妬する相手。
私から見れば、女に嫉妬しない相手に滑稽ささえ感じてしまうけど。
いつか、別の人を好きになることがあるかもしれない、それは女性かもしれないって可能性。
誰にでもあるんだ。
絶対はないんだ。
みな、自分の話なんだよ。