2024年8月1日 広島市長記者会見(メモ)ー平和宣言、イスラエル・パレスチナについてなど
8月6日、広島原爆の日直前の広島市長記者会見が8月1日にありました。平和記念式典で読み上げる市長の「平和宣言」の骨子について説明があった他、式典について質問が及びました。問題意識や批判的思考を持って質問をする記者の姿勢を否定するかのような発言があり、特定の記者に対して、ものすごく先入観を持っているんだなということがありありとわかる会見でした。記者は広報担当者ではなくて報道関係者なのですが、その認識があるのかどうかすら疑わしいと感じました。皆さんはこういった姿勢についてどう思われるでしょうか。
例によってわからない部分は〓のままにしてありまして、取材メモがわりです。
広報課長)
それではただいまから市長記者会見を始めます。会見時間は45分間、終了時刻は午後2時を予定しております。皆様のご協力をお願いします。本日は広島市からの発表案件が2件ございます。まずはじめに、第11回NPT再検討会議第2回準備委員会への出席等からの帰国報告です。それでは市長お願いいたします。
NPT再検討会議準備委員会の帰国報告
松井一實・広島市長)
はい。この度、第11回NPT再検討会議第2回の準備委員会への出席等を目的としまして7月20日から27日までの8日間の日程で、スイス・ジュネーブ市を訪問いたしました。そのポイントについて、話したいと思います。詳しくは、お手元の資料を後ほどご覧いただければと思います。
第10回と第11回の再検討会議の中間地点と、今回の準備委員会は、中満国連事務次長兼軍縮担当上級代表の、核軍縮は一夜で成し得るものではなく、各国は一歩一歩着実に進んでいかなければ、実現することはできない。今こそ、締約国が手を取り合って協力していくことが必要だと、そういった呼びかけをする開会の挨拶から始まったところであります。
準備委員会の2日目のNGOセッションにおきましては、参加した21の団体のうちはじめから3番目に、長崎市の鈴木市長とともに平和首長会議の代表としてスピーチを行いました。スピーチにおいては、広島・長崎の被爆体験は、核兵器廃絶の根拠となるべきものであり、我々は、核兵器は断じて使ってはいけない兵器だと訴え続けて受けていたにもかかわらず、現下の国際情勢では、核兵器が条件次第で使える兵器へと評価が変わっていることを極めて遺憾であるとした上で、平和記念資料館の訪問者数が、過去最多となっていることに触れまして、為政者に対し、平和を愛する市民社会の声を踏まえ、核戦力強化や核軍拡競争を肯定的にとらえることを直ちに見直し、対話による外交努力をもって、核軍縮・不拡散措置を確実に進展させるように訴えたところであります。
滞在期間中には、核保有国でありますフランス、米国の政府代表と会うことができました。面会の際には、核保有国である両国にも多くの平和首長会議加盟都市があり、平和を愛する市民社会が広がっているということを説明し、為政者は、市民社会の声を軽視せずに、対話による外交努力を行い、誠実に核軍縮交渉を行うよう要請いたしました。それとともに、平和市長会議の取り組みに対する理解、協力を求めたところであります。
また、日本政府の代表とも面会を行ったほかに、核兵器廃絶に向けた国際的な取り組みを牽引しているタイ、メキシコ、アイルランドの各国政府代表と面会をいたしまして、核兵器禁止条約の普及や、実効性の確保に向けて今後も連携していこうということで一致いたしました。
準備委員会に合わせて開催した平和首長会議役員都市の意見交換会には、広島市、長崎市の他に、フランスのマラコフ市、フィリピンのモンテンルパ市、スペインのグラノラーズ市、クロアチアのビオグラード・ナ・モル市、フランス支部の4都市1支部が出席いたしまして各地域で、実施する取り組みの発表や今後の取り組み等に関する意見交換を行いました。今回の意見交換で行った議論を、本年10月に米国マンチェスター市で開催する。第13回理事会で深めていきたいと考えています。
さらに準備委員会の会場内で、原爆平和展および今回初めての試みとなりました、子どもたちによる「平和なまち」絵画展を開催いたしました。会議出席者、国内関係者に被爆の実相や、核兵器の非人道性、平和文化の振興に向けた平和首長会議の取り組みへの理解を求めていただいたところであります。今回の準備委員会には、広島県内で平和活動に取り組む高校生8名を、平和首長会議ユースとして派遣いたしました。
私も現地で多くの日程をユースとともにいたしまして、平和首長会議が実施する約4万4000筆の核兵器禁止条約の早期締結を求める署名を、中満国連事務次長に交付してもらったほか、市川軍縮会議日本政府代表部特命全権大使主催のユース交流レセプションに出席いたしまして、現地の若者たちと交流を深めることができました。
さらに、準備委員会のサイドイベントとして、ユースフォーラムを開催いたしまして、平和首長会議ユースや、スイスと日本の交流に取り組んでおるジュネーブ市の学生をはじめとする、それから各国の若者8組が、自分自身の取り組みの発表や、平和活動を行う上での課題等について意見交換を行いました。
参加したユースからは、様々な立場で多様な活動を行う同世代の仲間を知る良い機会となった。従来の枠組みにとらわれることなく様々な視点から、核兵器廃絶を働きかける重要性を改めて認識できたといった声が聞かれるなど、今後の活動に繋がる有意義なフォーラムとなったと思っております。
こうした活動の他にも様々な場で、ユースたちが広島のメッセージを自分たちの言葉で力強く発信している姿を見まして大変心強く感じるとともに、被爆者の思いを確実に継承していくために、次代を担う若者の育成を世界規模で進めていく重要性を再確認できました。
ユースとして派遣された8名には今回の経験を生かしてこれからの平和活動を牽引するリーダーとして、そして、核兵器のない世界の実現に向けた世界を掛け変えていく原動力として活躍することを期待してるところであります。
さらに会議の会場となりました。国連欧州本部、パルデラシオンの庭で2016年に植樹いたしました被爆イチョウの2世の苗木が立派に成長しているのを確認することができました。今回の出張では、様々な取り組みを通じて、多くの各国政府代表者や、国連関係者などに、核兵器のない世界の実現を願う被爆者の思いを伝えるとともに、平和首長会議の取り組みについての理解を広げることができました。
核軍縮を進めていくにあたって、国家間に考え方のギャップが存在していることは否めませんけれども、平和首長会議としては、来年の被爆80周年に向けて、国連や幅広い市民社会のパートナーと共同して、平和文化を振興することをはじめとして、様々な取り組みをより一層強化し、為政者が平和を愛する市民社会の声を聞き、対話による外交努力をもって核軍縮に取り組んでいく環境作りを行っていきたいと考えているところであります。以上です。
広報課長)
はい、それではただいまの発表案件に関しまして質問がございましたらお受けいたします。質問される方は、社名とお名前を名乗ってからお願いいたします。なお、手話通訳の方が通訳しやすいよう、質問ははっきりとおっしゃっていただきますようお願いいたします。質問のある方、いらっしゃいますでしょうか。
日米外務・防衛担当閣僚会合(「2プラス2」)の受け止め(記者からの質問)
NHK)
ありがとうございました。現場でのスピーチの話がありましたが、核兵器が存在することが前提で使われうることへの懸念を強く表明されたのかと思います。あの市長出発前の会見でもですね、核抑止力に頼るということは、どれくらい危険だということをわかってもらいたいと決意を述べられていました。その関連でお伺いいたします。先月ですね28日、これ東京でですが、アメリカと日米とのこの拡大抑止に関する初めての閣僚会合が開かれました。拡大抑止、つまりアメリカの核戦力などで日本を守るという、まさに核抑止も含まれた、そこに依存するという考え方だと思いますが、これやはり被爆地からもですね、この原爆の日を前にした開催であることもさることながら、この核廃絶を目指す姿勢と明らかに逆行してるんではないかという指摘も出ていますが、今回のNPTでのスピーチも踏まえまして、市長この閣僚会合に関するお考えありましたら、お願いします。
市長)
基本的考え方は今ご説明いたしました、NPTでのね、発言と軌を一にするものでありますけども、改めて受け止めを、ということであります。私自身この度の日米、両政府の対応をですね、我が国周辺の安全保障環境が一層厳しさを増しているといった中で、現実的な対応として、日米間の連携が一層緊密になっているということを示すことでですね。そういった問題に対処しようという風に考えてるものだという風には思われるんですけれども、こういったその対応の仕方ですね。これは、私なりに解釈いたしますと、国家間の疑心暗鬼というものが元になって、核兵器による安全保障上の脅威が、現実のものになっているということを認めてしまう。言葉を変えて言えば、核抑止論の破綻を認めてしまうと、いうもので、あろうかと思いました。そしてそのことは、核戦力の強化とか、軍拡競争を肯定的に捉えて、そして核兵器の使用可能性までも高めることに繋がりかねない発想じゃないかなという風に思うんですね。
そういった言葉を起こらないから大丈夫だと言えない状況になってるという風に思います。したがいまして、本市としてはこれまでも一貫して、各国の為政者に対して、核抑止力に頼るという発想を乗り越えて対話を通じた信頼関係をもとに、安全を保障し合う世界の構築に取り組むように求めてきており、NPT再検討会議の第2回準備会においても同様の訴えを行いました。
また、重ねて平和宣言におきましてもですね、こういった核抑止力に依存する為政者にですね、政策転換を促していければという風に考えてまして、引き続き機会を捉えて、日米両政府を含む各国政府にですね、今言ったようなことをですねしっかり訴えていきたいと思ってます。
広報課長)
それではその他質問のある方いらっしゃいますでしょうか。よろしいでしょうか?それでは、続きまして、次の発表案件に移らせていただきます。次の発表案件は、令和6年の平和宣言についてです。それでは市長、よろしくお願いします。
2024年8月6日発信予定の「平和宣言」について
市長)
はい。令和6年の平和宣言について説明をさせていただきます。ロシアによるウクライナ侵攻の長期化や、イスラエル・パレスチナ情勢の悪化といったことによって、世界はますます混迷を極め、戦火により、罪のない多くの人々の命、あるいは日常、こういったものが奪われております。
こうした中で、自らの安全を守るためには、為政者が主張する武力や軍事力の強化を容認せざるをせざるを得ないではないかといった考え方が広がってきておりまして、その傾向がさらに強まっているんじゃないかと感じているところであります。
こうした状況そのものを変えていくためには、これまで以上に為政者が、威嚇であるとか、武力行使と、いったものではなく対話による平和的解決に向けた外交政策へと転換することを促す必要性が今以上に高まっていることから、市民社会に平和文化を根づかせることによって、こういった事態を解消する重要性を強調するなど、被爆地広島から強く訴える平和宣言にしたいと考えています。そして、懇談会のメンバーの皆さんからいただいた貴重な意見を踏まえて、推敲を重ねて作成したといった内容になっています。
また平和宣言が若い世代を含めて、世界の多くの人に、より広く、より早く届くよう、発信にも工夫をしていきたいという風に考えているところです。お手元の資料を見ていただきますと、まず1の宣言作成の基本姿勢であります。これにつきましては、平和宣言の作成に当たりましてこれまでと同様に、被爆者の思いを伝える。そういったことを主眼に置きながら、平和宣言に関する懇談会での意見を踏まえた基礎という内容になっています。
構成要素としては、六つの要素、すなわち被爆の実相、時代背景を踏まえた事柄事項ですね。核兵器廃絶に向けた訴え、被爆者援護施策充実を訴え、原爆犠牲者への哀悼の意。そして平和への決意、こういった六つの内容になっております。
国家間の疑心暗鬼が高まり、深まり、世論において、国際問題を解決するためには武力に頼らざるを得ないという考え方が強まっていると感じられる中、為政者の政策転換と、市民社会が起こすべき行動を強調いたしまして、広く理解してもらうため、できるだけわかりやすく、展開するようなものにしたところであります。
次に、宣言の骨子、説明いたしますと、まずロシアによるウクライナ侵攻の長期化やイスラエル・パレスチナ情勢の悪化など、世界情勢が混迷を極める中で、宣言の冒頭におきまして、国家間の疑心暗鬼が深まり、世論において、武力に頼らざるを得ないという考えが強まっている中で、また、こういった状況の中で市民社会の安全安心を保つことはできないのではないでしょうかという問いかけを、まず最初いたします。
次に平和を愛する世界中の人々、〓でありません。人々、必ずおります。こういった人々との公正・信義、そういったものを信頼し合って、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすると決意した広島市民をはじめとする多くの人々によって、施行から75年を迎える広島平和記念都市建設法のもとで平和記念公園は作られ、そして現在、平和都市広島が実現したといった展開にしています。
また、被爆者の体験記を引用いたしまして、被爆の実相と、人々が連帯して不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融和へと、歴史の潮流を転換させる必要があると訴える被爆者の平和への願いを紹介いたします。
さらに、為政者が、決意の上で対話をするならば、危機的な状況を打破できる事例といたしまして、レーガン元大統領と対話を行うことでともに、東西冷戦を終結に導いたゴルバチョフ元大統領の言葉と、米ソ間の戦略兵器削減条約を紹介し、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すために、希望を胸に心を一つにして、行動を起こそうという風な呼びかけを行います。
その上で、争いを乱す疑心暗鬼を消し去るために、市民社会が起こすべき行動を提示いたしまして、平和文化を共有できる世界を作っていこうと呼びかけ、とりわけ、若い世代には広島を訪れて、ともに行動してほしいという風な訴えをいたします。
広島市は、平和首長会議の加盟都市とともに、市民社会の行動を後押しし、平和意識の醸成に一層取り組んでいくということを宣言いたします。
そして、被爆地広島への関心、平和への意識の高まりから昨年度の平和記念資料館の来館者数が過去最多となったことに触れまして、各国の為政者には広島を訪れ、市民社会の思いを共有し、被爆者の平和への願いを受けとめ、核兵器廃絶への決意をこの地から発信していただくことを求めております。
また、日本政府に対しては、各国が対話を重ね、信頼関係を築くことができるよう、強いリーダーシップを発揮するとともに、来年3月に開催される核兵器禁止条約第3回締約国会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となることを求めます。また、被爆者の苦悩に寄り添い、在外被爆者を含む被爆者支援策を充実することを強く求めております。宣言の骨子は、以上の通りです。
最後に、宣伝の発信についてでありますけども、平和を願う広島の心をより早く、より多くの人に共有してもらうために、恒久平和と夢や希望を持って、明るい未来へ羽ばたくという願いを込めて建設されましたエディオンピースウイング広島で撮影・収録いたしました英語版の平和宣言の動画を式典における平和宣言直後に広島市公式YouTubeチャンネルで配信をいたします。また、動画を周知するために、平和首長会議加盟都市やICANなどの関係者、式典に参列した大使などに情報提供し、SNSによる事前告知や、プッシュ配信なども行うことに加えまして、例年、平和記念資料館に配架するとともに、各国駐日大使館や国連代表部等に郵送しております。平和宣言文に、今年度から上記動画のリンクを2次元バーコードにして掲載することにしております。説明は以上です。なお、参考資料として引用した被爆体験記を書かれた方のご家族のコメントも付けておりますので後ほどご覧ください。
広報課長)
それでは、ただいまの発表案件に関しまして質問がございましたらお受けいたします。ご質問ございませんでしょうか?
記者)
平和宣言に関して昨年に引き続いて核抑止力からの脱却を為政者に促すという文言が入るかと思うんですけど、改めてそれを入れた意図と市長の思いを教えてください。
市長)
はい。先ほど来申し上げてますように、世界情勢を踏まえて、核兵器をですね、使うかもしれない、実際核保有国の為政者の中でそういった発言が出るような状況になってます。東西冷戦が厳しかった頃はですね両方とも為政者ですね、核というは持ってるけど、絶対使うことはないものだと。破壊力がですね、人間のコントロール下に置けないようなものだから、持ってるということそれで十分なんだと、それを核抑止論という。それを持ちながらも、他国にそれを広げない核不拡散。そして、力を維持しながら、自分たちで調整して、核兵器を縮減していく。それがNPT体制で皆さんNPT体制入りましょうといって加盟国を増やしてきたわけですけれども、その根底が今変わりつつあるということなんですね。
核兵器を持ってる国はそのまま。そして、実際NPT体制に入ってない国で核兵器を持ってる国が出てるということはですね、以前も言ったんですけど、核抑止論、核兵器というのは使われない兵器だということが、認められなくなってきてるとそういう中でですね、これを前提にしてもいろんな展開をしていくとですね、ミスカルキュレーションといいますか、誤って核兵器を使うということが起こりかねない。
どなたでもわかる話でありまして、理性を発揮してそれを抑えるっていうことはね、できない可能性も増しているわけですね。だからそれ改めて、とりわけ核兵器を持ってる国の為政者にそれをわかっていただくということを言って、そのためには、多くの市民社会、わかってますよと。こういったことをしっかりと受け止めてくださいというそういう構造にするといいますか、世論そういう風に形成していくということを今やらないと、あの方が悪いから駄目なんだとね、次の犠牲者を売って次の為政者もそうなるかわかんないよわけでありまして、根源的なところでその問題意識をですねしっかり持つということをやる必要がある。
今まで以上にあるという風に思ってますので繰り返し言うと、ことをしたいと思ってます。
広報課長)
その他ご質問のある方いらっしゃいますでしょうか。
記者)
ゴルバチョフ元大統領の言葉を引用されるという風なことですが、これは今のロシアの情勢を踏まえてロシアの政治家の言葉を使おうという風に思われたのか、それともいろいろな言葉を調べられる中でなんていうかたまたまロシアの方々のかそのあたりの何か意図がもしあれば教えてください。
市長)
ゴルバチョフさんの言葉を利用するというのは、実際にその今の核兵器に対する評価の問題が変遷してきて、核使用の危機があるといった中でですね、核兵器に関わる核軍縮・不拡散の考え方をしっかり進めることができた為政者がね、いたという事実に着目しました。
その事実と、実際やろうという決意を、核兵器を持っている為政者がやるならばできるという事実があるということをお示しすることでですね、今の核兵器保有国の方々に、しっかりと考えていただけないかな、という動機づけです。そこで今の核兵器保有国、両大国は米国と当時はソ連でしたけどね、今はロシアです。両国の為政者、東西冷戦がある中でですね、ある意味で両者とも、ある意味で〓的な発想でやっておられたんですけども、しかし全体構造を考えた中で、ゴルバチョフ元ソ連大統領は、ベルリンの壁が壊れたのは1989年ですけれども、それに先立ち1986年ウラジオストク市でですね、レーニンの勲章受賞記念式典があったときに、そこで演説された言葉をね、見ますと、強い決意を持って、対処するというようなことを言われて、その後、実際に中距離核戦力全廃条約であるとか、戦略兵器削減条約、STARTですね。これを締結するということをやっております。そのことを、1990年にはノーベル平和賞というものを受賞することで世界的にも認知されておりますからね。今の為政者でも、しっかり考えていただければ、可能性があるんじゃないかということを改めて確認していただければと思っていました。
広報課長)
他に質問はございますでしょうか?
記者)
引用されている被爆者なんですが、資料によりますと高橋さんってありますがこれは、確認ですけど、元資料館長の高橋さんで間違いないでしょうか?あと、この方の言葉を引用された理由ですね。何か市長の心に響くものがあったんじゃないかと思うんですが、どうしてこの方のこの言葉を選ばれたのかわかれば教えてください。
市長)
はい、これは今申し上げたゴルバチョフさんの発言、1986年ですよね。それとほとんど同じ時期なんですね。つまり、国家間の分断が強まっておりましてその後、グッと1989年になだれ込むんですけどもね。一番大変な東西冷戦どうなるだろうという頃にですね、その頃の緊張状態を背景にしながらもですね、その被爆の惨禍を経験して自分自身も大変な状況にある中でですね、いわば、過去の憎しみとかいうものを乗り越えて、悲劇が起こる歴史の潮流を転換しなきゃいかんという風に考えてそのことを語っておられたんですね。だから時代は違うんですけどもね。一番危機的な状況が高まった中で、いわば筋論をですね、通されたということ。そんな中でこの高橋さんが言ったからゴルバチョフがやったという関係ではないと思うんですけども、そういったことをね、やれる為政者がいたという事実があるんですからね。今でもやろうと思えばできなくはないんじゃないでしょうか、というそういう繋がりをですね、意識して引用させてもらいました。
広報課長)
その他ご質問ございませんでしょうか?
記者)
平和宣言の骨子の中に市民社会に対して行動を起こすよう呼びかけようとかですね、行動を提示し、とかって言ったくだりが各所にあるんですけど、具体的には市長としてはどんな行動を、市民社会、特に若い世代というくだりもあるんですけど、若い世代にどんな行動をイメージ実施されてるんでしょうか?
市長)
今度一緒に高校生8人、一緒に行っていただきましたよね。そういった中で、日々の行動をする上で、まず考えてもらうことですね。核兵器の使用というものがどういう事態を引き起こすかって、それをいいかもわかんないと考えてる方々に、どういう風に考えるべきかということを、まず自分の身に照らして考えていただく。それを使うことがどんなに悲惨な実態を生むか。まずね、使うことそのものが、簡単なことじゃないか、あんまり大したことじゃないんじゃないか、と思っているような方がいるとすればね。そういった方々に対して、被爆の実相をとにかくしっかりわかっていただくということで、そうすると、おのずと今の状況はどうなんだろうと冷静に考えていただけるという風に思うんですね。それを、広めたい。そして、アンチテーゼじゃないですけどそういう紛争状態と全く違う状況の中で、例えばスポーツ、オリンピックもそうでしょうけども文化芸術活動、そういったものができるということをやる、今申し上げた悲惨な状況と違う状況を作らないということをしっかり意志固めして自分たちのポジティブな気持ちを引き出すような諸活動をすると、これをやり続けるという風なことを決意してもらう。
そして、例えば為政者を選ぶような機会にはね、今言った考え方をしっかりサポートしてくれる。それを踏まえた行動していく。為政者を選ぶようにすると、そういったことを日頃の生活の中でですね、しっかりと身につけていくということをやってもらいたいと思っています。
広報課長)
よろしいでしょうか?他にご質問がある方。
「イスラエル・パレスチナ情勢」について(記者の質問)
記者)
ご説明ありがとうございました。今回の平和宣言ですねすごく国際情勢に対する危機感というかそういったものが表れているなという風に感じたんですけれども、宣言の骨子の位置にありますように、ロシアによるウクライナ侵攻の長期化という風に、ウクライナ侵攻についてはロシアがウクライナを侵攻しているという関係性が明記されていることに対して、イスラエル・パレスチナ情勢については併記する形で「悪化」という風に表現をなさっております。広島でもですね原爆ドーム前で毎日スタンディングされてる方もいらっしゃいますけれども、それはやはりイスラエルの方も亡くなっているけれども、やはり圧倒的にガザ地区を中心にパレスチナ人が殺されているってことに対して、それを止めろという国際的な声も上がっておりますけれども、こういった併記した書き方では、そういった状況がちょっと見えなくなるのではないかという風に、ちょっと私は不安に思ったんですけれども、市長がイスラエル・パレスチナ情勢という風にあえて併記をした理由を教えていただければ幸いです。
市長)
今言われたような考えを持って併記したものではないということは申し上げます。
記者)
どういった・・・
市長)
その違いはですね、ロシア・ウクライナは、ある意味では国対国の争い事になってるということ、それが長期化しているということを記述いたしました。イスラエルの場合は、パレスチナという、国を一部認めてるところありますけど、国連として全体を認められていない、ある意味ではそのパレスチナの中の一部の住民がやってるということですね。やっぱ国家間紛争という風に言えるかどうかというのは、問題っていうかね、定義の仕方もありましょうから、実際紛争が起こってるということを言えば、皆さんわかっていただけるということ。そういうつもりで書いた、それ以上でも以下でもありません。記者会見で質問に答える松井一實・広島市長(2024年8月1日)
記者)
市長としては、当然というかガザ地区で起きている戦争犯罪とも言われている状況については、危機感を抱いているということは間違いないでしょうか?
市長)
危機感を抱いている具体例として、一つと記者会見で質問に答える松井一實・広島市長(2024年8月1日)
記者)
わかりました。ちょっとそれで関連でなんですけれども、昨日長崎市がですね、平和祈念式典にイスラエルを招待しないということを発表しまして、ただ一方で、パレスチナ自治区については広島市と違って招待をするという風なことが報じられております。このイスラエルを招待しないっていうことについての受け止めを教えていただけたらと思います。
市長)
はい。今回、広島と長崎の招待の仕方にね、差があるから、どう思うか、というご質問なんですけども、本市と長崎の対応の仕方はこれまでも異なっていたものでありまして、これまでそういう質問を受けたことありませんでした。ですから質問する方の方が、ある意味でね意図と思って聞かれてるんじゃないかというようなことを逆に私自身は、懸念してるわけでありますけれども。
従来から申し上げておりますけれども、世界の国々に対して被爆の実相に触れてもらって被爆者の思いとか平和のメッセージをちゃんと共有していただける、そういう式典を〓して、きちっと式典が平穏のうちにね、開催されるという思いでやってきまして、来る国の評価をどうこうという意図はないということ。これは長崎の方も、同じように考えてると、招待の仕方については、別にその協議してるわけでもないし、協調してるわけでもないから、今までもあったということをまず了解しておいていただきたいと思います。
その上で、長崎の市の方からのお話を聞きますと、イスラエルを招待しないことにしたのはですね、式典を平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで開催したいと思ってるんだけども、現時点でも、なおリスクへの懸念に変わりがないために、苦渋の決断ということで招待しないようにしましたということ。長崎の鈴木市長からもお電話いただいたという状況があります。
そんな中で本市として、これは以前にも、御説明してるんですけども、その招待の仕方、元々長崎の広島をそういうことを打ち合わせてやってないんですかね違ってるということを申し上げるつもりで言ったんですけども、まず平成10年に、当時の核保有国の駐日大使への参列要請ということで、開始をいたしました。そして平成17年に至りまして、核軍縮を推進する国の首脳、参列要請ということを追加した。つまり大使参列と首脳参列を追加したということでやりまして、さらに平成18年には、駐日大使への参列要請を日本政府が国家として承認している全ての国へと拡大したという結果がありました。その後、令和5年に至りまして、今申し上げた首脳への参列要請に関しましては、核軍縮推進国から、核兵器禁止条約の非署名、非加入国へと切り替えるということにしまして、核兵器禁止条約を認知した国はわかっていただいてるからいいだろうということでね、招待しないようにしてきたというのが広島であります。
イスラエル参列の件に関しましては、式典平穏な開催の妨げに広島としてはなることはないだろうということ。元々、世界の国々に被爆の実相を触れてもらって、被爆者の思いというものを、あるいは平和のメッセージというものを共有してもらう。 ぜひとも共有していただきたい、そういう考えでやってるんですから、今回もそれを踏まえた処理をしたんですね。それが、どうかという〓です。
ちなみに長崎の方に、確認しましたところ長崎は、我々が駐日大使への要請をする中で、日本政府が相手の日本政府が国家として承認している。全ての国へということをやってる。ところなんですけど、長崎の方は聞きますと、平成26年かな。頃にですね、日本国内にある大使館といいますか、呼ぶやり方をですね、変えているということがありました。平成25年までは一部の国への招待してたんですけども、26年からその全体に広めてさらに日本国内にある大使館の中でも、その他代表部、大使館ではないんだけれどもその他代表部ということで、代表組織を持ってるところにも招待するということにしたようでありまして、平成26年以降、パレスチナを呼んでおられると、それをそのまま今回も踏襲されたけどもそれに関してはですね、自分たちの式典の開催に、どうもリスクがあるんじゃないかということで考えたという。
ちなみにロシアについては、当時、私自身お呼びして、式典を開催するときに式典の開催が、平穏に行かない可能性があるからということで、やはり、ロシアが今もその態度を変えておられないので、態度ですよ。紛争しているかどうかじゃなくて態度を変えてもらえないと、いうことで呼んでいないということです。
記者)
はい。わかりましたごめんなさい。これで最後にします。ごめんなさい。式典このイスラエル正体についてしつこく聞くのはですね、やはり市民から招待して欲しくないという風な声とか抗議行動が起こってるから、お伺いしてるんですねこれについて市長がどういう風に受け止めているのかお伺いさせてください。
市長)
ですからそういう方々に対して今の説明を理解していただきたいと。自分たちが心配すれば世の中全部思うように、ね、変えられるということではない。つまり、式典を主催するわが方が、皆さんが考えておられるようなことで式典を開催しているわけではないので、ご理解いただきたいということを強調したいがために詳しく説明しております。私はアンパイア、審判員でもないわけです。どこの国が正しいとか悪いとか言ってるわけじゃないのにですね自分たちとして、式典についてそういうものだと思っておられるのでそういう考え方をとらないでいただきたいと思ってると。その上で、こういった処理をどう思いますかということを問いかけるために、申し上げておるということです。
広報課長)
よろしいでしょうか?はい。
記者)
すいません、今の関連になると思うんですけど、広島は広島のご考えがあって長崎は長崎で考えて、それぞれのご判断かと思います。パレスチナ自治政府の扱いなんですけども、こういった今、市長がご説明してくださったような、その都度その都度、どういった国をお招きするかってことは考えながらされてきているということがわかったんですが、昨今のこの情勢を踏まえてですね、あえてここでパレスチナ自治政府も招待するという選択肢もあったのではないかと思うんですけども、この辺りをどのような判断をされたのか。結果的にですね、お聞きしてるのが、長崎さんはずっと平成26年以降呼ぶという風な判断をされておる国家であるかどうかっていうことを問わずお招きするという姿勢を長崎さんがしているものですから、広島市の姿勢について改めてお尋ねします。
市長)
長崎と広島の対応でどう評価するかということについて私の権限を超えることだと思いますが、事実申し上げたように長崎は26年のときに取り扱いを変えたという事実があるし、そのとき相談したわけでも何でもありません。向こうは向こうの事情でされたんだと思いますし、我が方は先ほど言ったように平成10年、17年1、8年、令和5年という風な中でいろいろ取り扱いをし、それをそのまま踏襲したと。今言われたのは、そういったことをしないで今回の事態が起こってるんでね。なぜその招待の仕方をね、見直さなかったのかという質問に等しいんですね。私にとりましては。なぜパレスチナは呼ばないのかということですか。呼ばなかったのかと。今までのやり方を踏襲したと申し上げたらなぜ呼ばないのかということで長崎のように何で見直さないかというご質問になるわけでありますね。
だからそれはやっておりませんし、やらなかったことについて、私自身別に不自然なことありません。しかし、前回の会見で申し上げたように、そういったことを言われる方がおりますから、来年の被爆80周年においての平和記念式典への参列予定に関してはですね、もういっぺんきちっと見直してみると、そういった皆さんの疑義が起こらないように見直すということを申し上げてきておるところです。
広報課長)
それでは、予定の時間が過ぎておりますので、本日の市長の記者会見は以上で終了とさせていただきます。
記者)
ご質問できないですか。すいません、一個だけちょっと。
広報課長)
申し訳ございません。時間がもう今来ておりますので、大変申し訳ないんですが、はい。はい、それではどうもありがとうございました。申し訳ございません。
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