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愛する人からの言葉は魔法—35過ぎて私の思うこと。

 「その子さん、今日もかわいい」「その子さん、きれいだよ」。そう言うのは私のパートナーである。私の顔を見ては毎日「あ〜かわいい」「今日が一番美人」「どんどんきれいになる」など、かわいい・きれいという表現を繰り出してくる。最初からずっとこんな調子だ。ちなみに、“恋愛に情熱的”なイメージを想起するフランス人男性ではなく、日本人男性である。

 褒められていると思い「ありがとう」「うれしいわ」「ふふ」などと反応すると、「事実を言ってるだけだよ」という。褒めているのではなく、かわいくてきれいという見たままを口にしているだけだよと微笑む。

 どうやら彼の目には、その子という存在が世界一かわいくて、きれいな人に映っているようだ。そして、毎日のようにかわいさやきれいさがアップデートされているらしい。だから「20代のときの写真も見たことあるけど、今日(35歳9ヶ月)が一番きれいだよ」と一切照れることなく、じつに穏やかな表情で言う。

 彼の言うかわいい・きれいは、当然ながら、外見だけを指しているのではない。たとえ小さなことでも昨年はしなかったことに今年は挑戦している、新たな興味関心事に向かって活動しているといった、内面的な変化が外見を生き生きとさせ、はつらつとして見せることをかわいい・きれい・今が一番素敵、といったシンプルな表現に落とし込んでいるのだと理解している。

 基本的にはメイクをしている顔を好んでいるけれど、素顔にはじまり眠そうな顔、寝る前に髪跳ね防止にシルクキャップを被ったメイドっぽい姿(これについては「陳(建一)さんがおる」と楽しそうにコメントしてくるが)など、ありとあらゆる私を「かわいい」人として取り扱う。その状態を利用して、彼の前での自分はかわいくて、きれいな人として振る舞っている。

 この「私はかわいくて、きれいな人」という認知は、ひとりでいるときや別の人といるときにも適用されていて、食べすぎ飲みすぎで頬まわりの肉づきが良くなろうが、スポーツで動きまくって汗だくになろうが、「私の“ベース”はかわいくて、きれい」だと認識している。

 おかげで、わずかな変化に動じなくなり、自分を愛おしいと感じるきもちも増えた。少しふっくらしても、それはそれで、かわいくて、きれい。私自身が損なわれたり、悪いほうに変化したりしたわけではない、と。

 だから、どこに行っても、どんな場に出てもどっしりとしていられる。「今の私が一番いい状態」というのは、常にリアルタイムで更新がかかっているのと同じ。そうなれば、現在の恋愛にしがみつく感覚すら取り除かれる。「嫌われたらどうしよう」「相手に好きな人ができたらどうしよう」といった、20代のときにあったような、起きてもいないことを心配したり、相手の顔色を伺ったりすることとも無縁になる。

 「今の私が一番いいわけだから、仮にこのパートナーシップを解消したとしても、また他者と幸せな関係性を構築できるに決まっている」という、強固な自信が生まれるというか、今と同じようにハッピーな未来が幕を上げるイメージが瞬時にできるほどになっている。

 大切な人がかけてくれる、自己肯定感を豊かに育んでくれる言葉は、それくらい大きな力を持っている。自分も同じように、スペシャルな存在である彼に「大事だよ」と伝え、素敵に見える瞬間は「今かっこいい」「今素敵」なんて、そのタイミングで心が動いた通りに言うように、態度で示すだけではなく言葉を使うことをサボらないようにしたい。

 とはいっても、彼が喜ぶ「かっこいい」を口にできるときは少なくて、普段は私に心を許してくれる姿や愛おしさをどうしても「かわいい」と表現してしまうのだけれど。語彙力向上が必要だ。

このコラムは最近読んで感銘を受けた『40過ぎてパリジェンヌの思うこと』の日本版を作りたいと思い立って書き始めたシリーズものです。


 

 




 


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