だからわたしは逸ノ城関が好き。“非スー女的”倒錯気味な力士偏愛のカタチ
本コラムは「鈴木一禾」さんに寄稿いただいたものです。
---
平成最後の本場所となった三月場所。逸ノ城関は幕内では初めてとなる初日から土付かずの7連勝を成し遂げ、自己最多となる14勝をあげた。
優勝こそ逃したものの、平成26年九月場所以来2度目となる殊勲賞を獲得するなど、久しぶりに本来の強さを発揮して土俵を大いにわかせた。
■逸ノ城関との“出会い”は突然に
わたしが大相撲に興味を持ち始めたのは小学生の頃。当時、家にひとつしかなかったテレビ観たさに、祖母の部屋に通い詰めていたのがきっかけだ。
宿題もせずテレビに夢中になるそんなわたしに向かって、母は半ばあきらめたような口調で「あなたはそうやって、ひょうひょうと生きていけばいいわ」と言っていたのを思い出す。
親元を離れ、自由にテレビが観られるようになってからも、奇数月の15時になるとNHKにチャンネルをあわせるのが日課に。
とはいえ、じっくり観戦するというよりは雰囲気を楽しむのが好きで、規則もろくにわからない。調べようともしない。とくに贔屓にしている力士がいるわけでもなかった。
そんなわたしが逸ノ城関と“出会った”のは、平成27年五月場所、白鵬関との一番がきっかけだったと思う。立合い直後、浅く差した右手をすばやく抜いて、そのままうまく小手投げを打ち、白鵬関に初日から土を付けた。
逸ノ城関はどちらかというとコワモテな力士。取り組み前後はもちろん、勝利後のインタビュールームでどんなに上手におだてられようが、「うれしいです」「残りしっかりがんばります」と言葉少なげで、あまり表情を変えない。
華々しいデビューを飾った新入幕の頃から存在を知ってはいたけれど、特別な思いを傾けたことはなかった。
この日も、初めて白鵬関から金星をあげたというのに、勝ったか負けたかわからない表情のまま花道を引きあげていく逸ノ城関。ところが、付け人と目を合わせたところで不意に表情がほころんだのをテレビカメラは逃さなかった。
逸ノ城関というと、体重は226kgで現役の幕内力士としてはもっとも重く、身長も193cmで3番目に大きい。“モンゴルの怪物”という本人にとってはいささか不本意なニックネームがまかり通ってしまうくらいの恵まれた体格の持ち主。
わたし自身が小柄ということもあって、そんな大きな逸ノ城関に、はじめはちょっと苦手な印象をもっていた。ところが遅ればせながら、四十路を目の前にしてまんまとギャップ萌えしてしまったというわけだ。
逸ノ城関がモンゴル遊牧民の出であることや家族思いの心優しい青年であること、増えすぎた体重をちょっと気にしていること、甘いものに目がないことなどを知ったのはそれからあとのこと。
“スー女”というよりは“逸ノ城”女と化してしまったわたしは、彼が長く低迷していた時期も、“逸ノ城関”愛を育み続けた。我が子の無邪気な笑顔を待ちわびる母のような心持ちで……。
■“心にぽっかりと開いた穴”を埋めたのは、あなた
そんな折、かねてより病に伏せていたわたしの母が息を引き取った。
世にいう“心にぽっかりと開いた穴”は、想像以上に大きくて深い。怒りや苛立ち、焦りなどがないまぜになった複雑な感情をもてあましては、ときおり死に対する漠然とした恐怖に襲われる。絶対的な味方でいてくれた母が、突然に目の前からいなくなったことがどうしても腑に落ちず、ひどく狼狽する日々。
そんななか、ふと目に入ったのが平成30年大相撲一月場所のテレビ中継だった。12日目、立合い早々から逸ノ城関が嘉風関の喉元を、まるでアニメに出てくる巨人みたいに荒々しく掴みあげる。
とっさに「嘉風関が殺される!」と思った矢先、ふわりと宙に浮いたようにも見えた嘉風関の体(たい)を、グシャリと叩きつけるように土俵の外へと放り投げた逸ノ城関。
とてつもなく大きい、神がかった力を目の当たりにしたせいか、葬儀のあいだもずっとこらえていた涙が突然、堰を切ったように奔波となってドッと押し寄せてきた。
そのまま流れに身をまかせて、わめき散らしながら号泣するわたし。ひとしきり泣いて、泣き疲れた頃には心の澱があらかた洗い流され、すっかり浄化されたような感覚に。
■逸ノ城関は、わたしの心のパワースポット
普段はもの静かで穏やかな性格。ところがひとたび土俵にあがれば、鬼のような猛々しさが姿をあらわす。そんな優しさと強さとをかね備えた逸ノ城関の姿に、わたしは無意識に自分の母の姿を投影してしまっているのかもしれない。
あんなに温和な逸ノ城関のどこにそんな強さを眠らせておく隙があるのか、ずっと不思議だったけれど、今ならそれがわかるような気がする。母なる大地が育んだ力。
ときに恵みを与え、ときに荒々しく揺らぐ大地の生気こそが、逸ノ城関からみなぎる力の源であるに違いない。まさに動くパワースポット、さわれるものなら、さわりたい。
逸ノ城関は、優しいから強い。強いから優しい。だからわたしは、逸ノ城関が大好きだ。
逸ノ城関に母性を見出すというやや倒錯気味な感情を寄せるわたしには、“スー女”のような物腰のかろやかさはないかもしれない。
けれど、体重の話をふられるたびに見せる苦笑いや勝ち越しを決めたときのニッコリ笑顔に萌え、対戦相手を土俵上にズドンと沈める猛烈な叩き込みに体をシビれさせる。
そんな逸ノ城関の優しさと強さとを指標にして、今日も明日も、ひょうひょうと生きていくのだ!
Text/鈴木一禾
執筆のほか、撮影も少々。アパレルECのコンサルタントをすることも。好きなものは、相撲とKALDI、エリック・サティ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?