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脱毛と膣錠とかっこつけない私—35過ぎて私の思うこと。

 年齢を重ねるにつれて「恥ずかしい」と感じることが減っている。母や周囲の中年女性たちの言う通りだった。おかげで、自由度がよりいっそう上がっているし、いろいろなことを笑い飛ばせるようになった。

 たとえば、腰や背中に生えている産毛。以前付き合っていたパートナーに、脱毛を手伝ってもらったことがある。購入した「水あめ脱毛セット」を渡し、このあたりに塗ったあと専用の紙で押さえてほしいと指示して、毛流れとは逆方向に勢いよくひっぺがしてもらう。

 「塗るのうまいね」「わあ、こんなに抜けた! さすが器用ね。また頼みます」と彼を褒め、数カ月に一度やってもらっていた。自分だと手が届かない部分も、すべすべの肌でいたいから、一番お願いしやすい間柄の彼にやってもらおう、というシンプルな理由で。明るくした部屋で、腰や背中に薄い毛が生えているのを見られるのを恥ずかしいとはまったく思わなくて、面倒くさがらずに対応してくれて感謝しています、という感覚だった。

 同じ彼に膣錠を挿入してもらったこともある。カンジダにかかったため、カビを殺す薬を5夜連続で膣に入れ込む必要があったのだけれど、自分の膣に指を突っ込む習慣がないもので、失敗することが多かった。膣の奥の奥まで薬を到達させられないのだ。入れ方が甘いものだから、朝起きたら薬が股の間に出ていたこともあった。

 そんな話を彼に打ち明けると「僕が入れようか」と申し出てくれたのだった。婦人科クリニックで診てもらうときのように、下半身だけ脱いで布団の上でM字開脚して、彼に膣錠をぐいと押し込んでもらった。さらに、産婦人科医でもないというのに、膣の深部まで入れるコツまで教えてくれる(あなたは何者なの)。このときも恥ずかしさはなく、「カンジダにかかった恋人に膣錠を挿入してくれるとは、なんて懐の深い人なんだろうか」と温かいきもちになり、彼のことがますます好きになったものだ。

 現在のパートナーとも脱毛に関するエピソードがある。毎月10日ほど一緒に暮らすさい、私たちは「鼻毛抜き大会(仮)」を開催する。2名の参加者で大会というのは大袈裟だけれど、ふたりでやる鼻毛ワックス脱毛が面白くて、そう呼ばずにはいられなくなった。

 温めたワックスに脱毛用の棒を浸けて、ワックスが熱いうちに鼻に突っ込んで1分ほど待つ。そのあいだ、鼻腔に棒2本を突っ込んだ彼を見て、私は涙をにじませながら笑っている。月に一度やっていることだというのに、毎回飽きもせず爆笑してしまうから、よほどツボにはまっているのだろう。

 自分も同じように鼻から2本棒が飛び出た状態で、相当な間抜け顔に見えるわけだけれど、恥ずかしさはなくて、ふたりで「鼻から鼻毛が見えない清潔感のある状態」を目指して行う習慣だ。ここからは汚い話を詳しくしてしまって申し訳ないけれど、鼻から棒を勢いよく抜きとったあとは、ティッシュの上に各自の棒を並べて「とれ高」を確認し、「すごい。多い! 圧倒的に勝利」だの「少なくてつまらない」だの、視覚で楽しみながらワイワイする。

 若いときは、脱毛をかんぺきにして(したつもりで)デートに臨んでいたし、腰の産毛も上半身をぐいと捻られるだけ捻って、お風呂場でできる限り剃っていた。婦人科系の病気に関する話を恋人にしたこともない。ましてや人前で鼻毛脱毛をして笑い転げるなんて、当時は想像もしていなかった。

 「ないもの」として取り扱う対象だったそれらを「あるもの」とするようになってから、私はパートナーの前でかっこつけすぎるのをやめていた。

 全身脱毛をして基本的にはつるつるな肌だけれど、産毛が生えてくるのは制御不能だし、鼻毛だって何度脱毛してもしぶとく生えつづける。生活リズムが乱れる日々がつづけばカンジダになることもある。そんな「自然」を隠すのではなく、受け止めて付き合うことができるようになってからのほうが、昔より断然心地よいパートナーシップを築けていると感じている。

このコラムは最近読んで感銘を受けた『40過ぎてパリジェンヌの思うこと』の日本版を作りたいと思い立って書き始めたシリーズものです。



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